2009年12月11日

HappyXmas、そして良い年越しを

12月。師走。
私にとっては、イベント盛りだくさんなので、一年の中で一番気持ちの華やぐ季節。クリスマスぴかぴか(新しい)
それにしても一年という時間の早いこと。あせあせ(飛び散る汗)

槙原敬之の『雪に願いを』の歌詞にこんなフレーズがある。

 Twinkle Twinkle Little White Snow
 サンタが忙しい今夜
 みんなに素敵な笑顔つもりますように

このフレーズが何となく好きだな、と思う。


話は飛ぶが、先日、電車の吊り広告の中に『SGI』の文字が目に付いた。

〜池田大作が、どこそこの大学から名誉ナントカを受賞した〜

相も変わらず、何十年同じことを繰り返すのだろうか。
創価学会員という人種は、飽きるということを知らないのだろうか?

不毛な団体だ。

クロさんのブログのコメントにこんなことが書かれていた。

「人の不幸の上に自身の幸福を確立しない」

池田大作の言葉らしい。
自らの行いは、必ず自らの身に返ってくる。良いことも、悪いことも。
そのことを心に留めて生きていかなければ、と思う。


とりとめのない文章になってしまったが、みんなそれぞれに抱えている困難や悩み、悲しみを乗り越えて、良い新年をお迎えください。

このブログを訪れてくださる皆さまに、新年のご多幸をお祈りします。

ミル
posted by ミル1000 at 18:57| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記

2009年11月04日

多角的な視点をもつこと

1ヵ月半ぶりの更新になってしまった。。。あせあせ(飛び散る汗)
この間、コメントやメールを寄せてくださった方々、ご心配くださった方々に心からお礼申し上げます。 m(_ _)m ペコリ

少し近況を・・・。

なかなか時間がなく、ブログの更新が滞っていた間、創価についても殆どトレースできていない状況なのだが、創価関係のブログにはなるべく目を通す様にはしている。
彼とは全くコンタクトをとってなく、今後も私から連絡をするつもりはない。
ただ、万一、彼が私に何か相談したい様な事があれば、喜んで力になりたいと思っている。
もし、彼がこの記事を読んでいたら、心に留めておいてほしい。
〜あなたには、いつでも相談できる人がいることを忘れないで〜

9月に、短期間だがアメリカの知人を訪ねてきた。
年内に再度渡米する予定で、その後しばらくアメリカに住むことになると思う。
と言っても、長くて1年くらいなのだが。

そんなわけで、ブログの更新は極度にスローペースになると思われるが、時々思い出してちらっと訪問して頂ければ嬉しい。


さて、今日の本題は『情報提供のお願い』

先日、SGIのNさん(日本人の方)から、「矢野絢也氏の裁判」について問合せ頂いた。
私のブログ記事から、「最高裁で元公明党議員に対して矢野氏の手帖を返還する旨の判決が出たにも関わらず、未だ本人に返還されてないと知った」とのこと。

Nさんは現在、SGIの仲間に矢野氏の裁判ついて説明し、SGI幹部を通して学会に手帖の返還を要請しようと、情報を集めておられる。

私の方からは、ブログにも掲載した最高裁判決後のニュース、矢野氏の書籍等を情報としてお伝えしているのだが、その後の最新情報をご存知の方がいらっしゃれば、是非ソースを教えて頂きたい。

SGIにも、盲目的に組織を信じている人が多い様だが、日本の学会員よりは客観的な視点を持ちやすい環境にあると思う。
いずれにしても、内部から組織を正そうとする動きがあるのは、画期的なことであり、最も重要なことである様にも思える。
国内にも、Nさんと同様の考えをもっている学会員は、決して数少なくないと思う。
表立っての活動はできなくとも、是非とも、Nさんに出来る限りの協力をお願いしたい。

私がNさんに提供させて頂いた情報は以下の通り。

最高裁勝訴に関しての記事
矢野純也氏から話を聞く会
■矢野氏書籍「黒い手帖」/「黒い手帖」裁判全記録
最高裁判決文
矢野氏手記「池田大作創価学会名誉会長と私」

上記以外に確度の高い情報をご存知の方がいらっしゃれば、コメントorメールにてお教え下さい。


私は、幸運にも、学生時代から留学や海外旅行の機会に恵まれてきた。
そうした経験から、様々な視点で物事を見る姿勢が、とても大切なことだと感じている。
正義感や価値観というものは、その人の置かれている環境(国、文化、人間関係、教養、宗教、貧富の差、等々)で大きく異なってくる。
けれども、人は理解し合えるし、愛し合える。

今回の渡米で、アメリカ人家庭で夕食を共にする機会があったが、その時、皆で手を繋いで食前の祈りを捧げた。
と言っても、私は神に祈ることはしなかったが、私の為に祈ってくれたことに対して、素直に感謝の気持ちが湧いた。

人と人の理解や愛情は、本来、こうした心の融合から生まれてくるはずなのだ。

信じること、許し合うこと、認め合うこと。
その中で、多角的な視点と、自分自身の中に確固たる「正義」を持ち続けたいと思う。

posted by ミル1000 at 13:03| Comment(25) | TrackBack(0) | 日記

2009年09月16日

思い出話

最近、ひとりカラオケカラオケ を覚えた。。。

ひとりで好きなだけ歌いまくるのは、結構快適 わーい(嬉しい顔)グッド(上向き矢印)
でも・・・。 一人暮らし、一人買い物、一人ごはん、一人カラオケ。。。

こんなんで、いいのかしらね???


今日は、少し思い出話を書きます。

衝撃的な内容かもしれないので、ショックを受けやすい方は、この先は読まないでくださいね。

〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜




数年前、流産でお腹の中の子を亡くした時のこと。

あの夜は、本当に怖かった。
体の奥から、ドクドクと血が溢れ出してくるのを感じながら、寒い部屋で、布団の中で、たったひとりで、どうする事もできずに、ひたすら泣いていたもうやだ〜(悲しい顔)

それまでも、ずっと孤独と隣り合わせの生活だったけど、この時感じたのは、守ってくれるはずの人から見捨てられた、絶望的な孤独だった。

私は、「その人」のことを、信じたいから、ただ無条件に信じようとしていた。
今思えば、カルト宗教に嵌っていた様なものだ。がく〜(落胆した顔)

ただ、信じているつもりでも、心はいつも崖っぷちにいた。
その事に随分前から気付いていたはずだった。
でも向き合えなかった。---というより、現実に向き合いたくなかった。

絶望って、恐ろしい。
何度も「死んでもいい」と思った。
「赤ちゃんのところへ行きたい」と、いつも思っていた。

でも、ある日もっと恐ろしい事が起こった。

通勤ラッシュのピークが過ぎた朝のホームに立っていた、あの日。
突然、目の前の線路に、若い女性が飛び降りた。
赤いズポンを履いていた。それが一瞬目に焼きついた。
女性は、背後に迫った電車を背にして、線路に蹲った。
誰にも止められなかった。
女性は、電車に轢かれて亡くなった。

この日を境に、私は訳のわからない恐怖心に襲われるようになった。
あんなに「死にたい」と思っていたのに、死を目の当たりにして、私の心は恐怖しか感じなくなった。
とにかく、怖かった。
自分が「死」にとても近い様な、自分ももうすぐ死ぬ様な、毎日そんな感覚に襲われていた。
仕事帰りの通い慣れた道を歩いている時でも、風で木の葉が揺れる音に思わず飛び上がってしまうくらい、いつもビクビクしていて、怖くてダッシュダッシュ(走り出すさま)でウチに帰ったことも、一度や二度ではなかった。

=どんなに辛くても、私は死ねない。だから、立ち直るしかない。=

この時そう思えたことが、私の強さだったのかもしれない。


「選びたいもの」「選ぶべきもの」が違うことは、往々にしてある。

流産するまでの数年間、私自身が望んで選択した道は、決して正しい道だったとは思わない。
でも、今、後悔もしていない。

結果はどうあれ、子供を産みたいと思ったことだって後悔していない。
わが子が、その小さな命をかけて私に遺してくれたものに、今は心から感謝するだけ。

あの頃、まだ肌寒い春先の昼下がり、陽の差し込む窓辺でうたた寝しながら、自分の中に新しい命が芽生えた喜びと幸せが、じんわりと胸に広がってきたことを、今でも鮮明に覚えている。


もうひとつ、今になってしみじみと思うことは、私が愚かな道を歩んでいた数年間、友人と呼べる人たちが私を見捨てなかった、その事への感謝の気持ちだ。

私は、恋人の為ならこの友人たちを失っても仕方ないとすら思っていたのに・・・。

その時の私には、友人を諦めることはできても、恋人を諦めることなどできなかった。
私にとって、一番大切にしたいものが「恋人」だったからだ。
弁解になるが、それだけ愛情を注いだ人であったことも事実だ。


人の選択は、心の鏡だと思う。
その人にとって、何よりも大切なもの---それが、自分自身なのか、家族なのか、恋人なのか、仕事なのか、それとも、宗教なのか。
人の選択は、その人の心を正直に映し出す。
だから、時にひどく残酷だったりする。


私が長い間信じていたものは、「幻想」に過ぎなかった。
夢から醒めてみれば、友人も、両親も兄も、祖母も、ワンコも、変わらないままそこにいてくれた。

彼らを失わずに済んだのは、奇跡ぴかぴか(新しい) ・・・ではなく、彼らの無償の愛情のおかげだと思っている。
私は、一番大切なものを失って初めて、自分にとって本当に意味のある人の存在を知った。

恋人といる時はあんなに孤独だったのに、恋人を手放すのと同時に、私をがんじがらめに縛り付けていた"くびき"から解放された。


それでも、私は、かつて過った道を選択していた自分の人生を、後悔したりはしていない。
何故かというと、後悔しないくらい全力投球野球 していたから。
中途半端な、曖昧な感情が通用する状況ではなかったし、人生を賭けていたと言ってもいいくらい、本気で一生懸命だった。

だからこそ、今、その数年間を見つめることができる。
誰のせいでもなく、もちろん恋人のせいでもなく、その数年間の自分自身の選択に向き合うことができるのだと思う。


信じるものを信じきることは、悪いことじゃない。
ただ、信じることにも、それ相応の覚悟がいることを忘れてはならない。

人生の大切な時間を"信じるもの"に賭ける覚悟と、それによって何か(人かモノかお金か信用か、何かは分からないけど)を失う覚悟。

失ったものを、もう一度手にすることは難しい。
時間を取り戻すことができない様に、二度と取り戻せないものもある。

だからこそ、「選ぶべきもの」を間違えなくて済む様に、「大切なもの」を失わなくて済む様に、時に自分を冷静に省みて、耳の痛い忠告や周囲のことばに耳を傾ける勇気が必要なのだと思う。


今あなたが望むその道は、あなたの「心の逃げ道」になってはいませんか?

逆境の中でもめげずに信じきることが勇気なのではない。
信じるものに正しく向き合おうとする心が、本当の勇気なのだ。


私は、現実に向き合い、それを受け入れるまでに長い時間がかかった。

だから、私の想いがこのブログを読む人に通じるまで、長い時間をかけて自分の気持ちを綴っていきたいと思っている。


〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜

しばらく更新お休みします。10月には再開できると思います。

〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜
posted by ミル1000 at 22:10| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2009年09月15日

生涯の思い出の人

昨日(14日)、麻生総理が鳩山氏との会談で、
「国際金融への対応や安全保障のあり方について、
日本の針路を間違えないでもらいたい。」

と要請したそうだ。

麻生総理によって一定の評価を得て来た日本の外交だが、明日から始まる鳩山友愛外交は、「アジア」ではなく「世界」にどう評価されるのだろうか。

国際社会における日本の存在感を失うことになれば、国民の望む「より良い暮らし」など望むべくもない。

とある掲示板に紹介されていたサイトに、素晴らしい分析があった。

今回の衆院選の選挙分析 〜マスコミとネットは影響したか〜

記事の末尾にこうある。
=========================================
国民が民主の欺瞞を目の当たりにしたとき、

「政局より政策」と言っていたのは誰だったか
「実行力・責任力」と言っていたのは誰だったか
「日本を守る」と言っていたのは誰だったか

これらが初めて、威力を発揮し始めるでしょう。

=========================================

麻生総理がその人柄で人気を集めているのに対し、鳩山氏は「政権交代」という流行に押されているだけの様に感じる。
ネットに限らず、鳩山政権への国民の期待度は決して高くはない。

「鳩山政権」意外な結果 ネット世論調査
夕刊フジは10日、「ニコニコ動画」の協力を得てネット世論調査を行った。それによれば、16日に誕生する民主党政権に「期待している」のは約29%で、「期待していない」の約55%を大きく下回った。ネットでの支持率が高かった麻生太郎首相とは、対照的な滑り出しとなりそうだ。
(09/09/11 産経新聞)

これは、ニコニコでの鳩山氏のあの発言を思えば、当然の調査結果だろうと思う。

▼「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」 (YuTube版はこちら



麻生太郎という一人の総理をきっかけに、政治に興味を持った人が少なくない、---本当にそう思う。
少なくとも、私にとっては「生涯の思い出の人黒ハートとなった。
麻生太郎という一人の総理が、日本という祖国について真剣に考える機会(チャンス)を与えてくれた。その事に、心から感謝したい。

わずか1年の間に麻生総理が国民に残したものは、とてつもなく大きいものの様に思えてならない。
posted by ミル1000 at 17:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年09月10日

反創価活動 新たなステージへ

先日、せと弘幸Blog『日本よ何処へ』のエントリー「創価学会退会の決意」を読んで少なからず驚いた。

今回の衆院選で、東京12区におけるチラシ配布活動の中心となった方々は、その殆どが創価学会の退会者だったというのだ。

実際、アンチ創価ブログ主催者の中にも創価学会退会者は多いし、退会者や未活動家の方々が、幹部から末端会員まで、様々な方法で創価の実態を暴露してくれている。

こうした個人レベルの活動に加え、創価学会糾弾の組織的活動は、退会者の支援を得て新たなステージへ進んでいる様だ。

せと氏はこう綴っておられる。
--------------------------------------------------------------------------------------
創価・公明党の力を削いでいくには、信者の創価学会離れが一番重要です。
そして、大切なことは実はこのような退会した人が、今度は我々の運動に対する支援者となって活動して頂けることになります。

これからも、この戦いは続きますが、今後はより退会者との関係を蜜にしたいと考えています。

今回、退会者との話で多くの信者が創価学会に寄付したカネを取り戻したいと考えていることも知りました。
多くの退会者が集まれば、勇気をもって戦いに立ち上がることが出来ると思います。利害関係人であれば宗教法人の経理上の書類を閲覧する権利があります。
この利害関係人には退会者も当然入ります。創価学会が本来の宗教上以外の目的の為に信者の浄財を使っていた場合、返還要求にも正当性は認められるかも知れません。

今後は単なる批判からより一歩進めた新たな創価学会追及にも力を入れたいと考えています。

--------------------------------------------------------------------------------------

インターネットが世論を生み出す時代に突入した今、アンチ創価の思想は、今後ますます実社会へ流出していくことになるだろう。
数々のブログや、YuTube・ニコニコ動画などからのネット情報が、実社会へ確実に浸透していくのだ。
反創価活動は、もはや止まるところを知らない。

創価学会で活動を続ける方々には、こうした時代の流れを、もっと敏感に感じ取ってほしい。
衆院選の結果を目の当たりにして、創価の幻想に気付き始めた人、疑問を抱き始めた人がいるかもしれない。

追い風と言われた05年「郵政選挙」と、逆風と言われた09年「政権交代選挙」を比べてみて、気付くことがあるはずだ。

 09年 選挙区 782,984 (1.1%) / 比例区 8,054,007 (11.4%)
 05年 選挙区 981,105 (1.4%) / 比例区 8,987,602 (13.3%)


公明党の得票数と得票率だが、得票率を見る限り、激減したわけではない。
見方を変えれば、05年も09年も、公明党の支持層は変わらないと言える。
つまり、学会員がどれだけ必死に選挙運動しようが、それに左右される有権者はいないという事だ。
所詮、学会員は組織の駒となって空回りしているに過ぎない。

自公連立が解消され、今後、公明党は自力で選挙を戦わなければならない。
支持母体である創価学会の活動家は確実に減少しており、一方で、アンチ創価活動は着実に拡大している。
こうした状況下で、公明党の得票数が減少の一途を辿ることは目に見えている。


創価学会に疑問を感じている方々に、心の底から伝えたい。
今現実から目を逸らしてしまっては、それを悔いる日が必ず来ることになる。

誤解しないでほしいことは、創価学会という組織から離れることと、信仰を捨てるということは、決してイコールではないということ。
信仰は、心の中にあるもの。
自分という人間がある限り、信仰は心の中で生き続ける。

今大切なのは、組織に縛られない心で「仏の法」を見つめ直すことではないだろうか?
posted by ミル1000 at 22:36| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記

2009年09月09日

偉人の七光 【トインビー編おまけ】

池田大作の品格 PART2昼休み、本屋までぶらぶら散歩をしてきた。
『池田大作の品格 PartU』を見てみたくて。
「社会問題」のコーナーで『黒い手帖』の隣に発見。
少々立ち読みして(いずれ買うと思うが)、創価学会系出版のコーナーへも行ってみた。
折角なので『21世紀への対話』を見ておこうと思って・・・。
しかし、置いてない。 品切れかしらね〜。


Choose Life.jpgこちらは、I.B. Tauris & Co Ltd. というニューヨークの出版社から出ている『Choose Life』。
リンク先に、オックスフォード版も紹介されている。
思い立って、Oxford University Pressで『Choose Life』を検索してみたが、検索結果ゼロ
OUPでは廃版になったのかしらね〜。


ふうふうさんが<5.『対談』出版の経緯>で書いている様に、『Choose Life』がオックスフォード出版局から何度か「reissue:装丁を変えて出版」されたことは間違いないと思う。
しかし、内容に新たな要素が加わったわけではない。
創価学会の力を以ってしても、『21世紀への対話・続編』を世に出すことは叶わなかった様だ。

今後も、『21世紀への対話/Choose Life』は、池田大作の偉大さを語る拠り所として、創価学会という閉ざされた世界でのみ、賞賛され続けるのだろう。


ところで、「韓国は“なぜ”反日か?」というサイト、ご覧になったことがある方も多いと思うが、大東亜戦争に関して、歴史学者アーノルド・J・トインビー氏の発言が紹介されている。

------------------------------------------------------------
1941年、日本は全ての非西洋国民に対し、西洋は無敵ではないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。
(昭和43年3月22日「毎日新聞」)
------------------------------------------------------------

------------------------------------------------------------
第2次大戦において日本人は日本の為というよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々の為に偉大なる歴史を残したといわねばならない。
その国々とは日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が過去200年の間に考えられていたような不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。

(1956年10月28日/英紙「オブザーバー」)
------------------------------------------------------------

創価学会が、敬愛するトインビー氏のこうした「素晴らしい歴史認識」を、CM等々で広めてくれると非常に嬉しいのだが・・・。

同時に、学会員が、トインビー氏から学び取った正しい歴史認識に基づいて、「創価学会・公明党の中国、韓国への対応や政策」についてチョット考えてみてもらえると、更に喜ばしいわーい(嬉しい顔)
posted by ミル1000 at 16:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年09月06日

偉人の七光 【トインビー編2】

講談社G2
講談社から「ノンフィクション新機軸メディア『G2』」という雑誌が創刊された。
創刊号に矢野絢也氏が「池田大作創価学会名誉会長と私」という手記を寄せている。(←ネット上で閲読可決定 是非ご一読あれ。


さて、前回に引き続き、A・トインビー博士の孫娘ポーリー女史の手記「The Value of a Grandfather Figure」(1984/5/19 英紙『ガーディアン』掲載)を読み進めてみよう。

ふうふうさんの<2.ポリー氏のヒロシマ観>には、「ポリー氏にとって、ヒロシマの記念公園は、実に『鼻持ちならない』場所」だと書かれている。

ポーリー女史自身が、"Hiroshima is an uncomfortable place."(居心地の悪い場所)と書いている様に、彼女が「広島」を単なる「平和の象徴」と受け止めなかったのは確かだ。
ふうふうさんは、このことを同女史の「反平和的思想」に強引に結びつけているが、最も重要な部分をすっ飛ばしている。(恐らくは意図的に。)

----------------------------------------------------------
always peace. It is one of the Soka Gakkai's themes, peace in men's hearts, peace across the nations, the brotherhood of mankind and so on.
(どこに行っても「平和」だ。人々の心の中に平和を、世界の国々へ平和を、人間同士に友情を等々、「平和」は創価学会の常套句のひとつなのだ。)

The Soka Gakkai takes its peace mission round the world, often accompanied by an exhibition of horrific photographs from Hiroshima, which is used as a powerful recruiting aid.
(創価学会は、頻繁に広島の悲惨さを訴える展示会を開きながら、世界中を廻って平和を説いているが、これは新会員を集める手段として、大いに利用されている。
----------------------------------------------------------

つまり、ポーリー女史は、創価学会の平和利用を鋭敏に見抜き、学会のやり方に嫌気がさしていたのだ。

----------------------------------------------------------
It was then, at yet another banquet in Hiroshima that we lost our temper.
(広島でのある会食で、私達はついに堪忍袋の尾が切れた。)
We told them what we felt about the Soka Gakkai and Mr Ikeda's style of leadership.
(私達は、創価学会と池田氏の指導の在り方について、私達の考えを告げた。)
Our hosts were horrified and tried to smooth it all over and pretend the words had never been uttered.
(すると、会食の主催者達は恐れおののき、その場をなんとか取り繕い、私達の言葉を最初から聞かなかったかのように振る舞った。)
----------------------------------------------------------

くだらない会食にばかり付き合わされ、まともに対話もできない相手に、ポーリー女史がどれだけストレスを溜めていたかは、想像に難くない。
その怒りを爆発させた場所が「広島」だったわけだ。


ポーリー女史の歴史観については、"the marauding forces to Burma, Singapore, China, Korea" (ミャンマー、シンガポール、中国、韓国への侵略)というフレーズを見ても分かる様に、寧ろ、創価学会・公明党や日教組・民主党が大歓迎する思想だと言える。
しかし、1984年当時は、大東亜戦争に関して、まだ十分な情報公開がなされていない。
アメリカやイギリス、ロシアといった国々からこれらの情報が公開され始めたのは1990年代に入ってからである。
1995年、アメリカで公開された「ヴェノナ文書」や、ブレア政権以後のイギリスが公開し始めた情報史料は、日本がいかにして「彼の戦争に引き込まれたか」を証明する重要な情報として注目されている。


ちなみに、"horrific"の和訳は、前後の文脈からしても「悲惨」と訳して特に問題ない。「恐ろしい・凄惨」などでもいいと思うが、ふうふうさんの「おぞましい」は主観的意訳であり、「薄気味悪い悪趣味」までいくと、これはもう妄想が行き過ぎていてお話にならない。

(偉人の七光 【トインビー編おまけ】へつづく)
posted by ミル1000 at 16:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年09月04日

偉人の七光 【トインビー編1】

A・トインビー、松下幸之助、キング牧師、ガンジー。。。

偉人の七光ぴかぴか(新しい)を強引に利用するのが好きな池田センセイであるが、どこぞの有名人が池田ダイサクを自分のステイタスの証明にしているという話は、ついぞ聞いたことがない。


先日、『自由の砦』に紹介されている、A・トインビー博士の孫娘ポーリー女史の手記「The Value of a Grandfather Figure」(1984/5/19 英紙『ガーディアン』掲載)を読んでみた。

「自由の砦」に和訳文があるのだが、たまたまこの和訳に噛み付くサイト「トインビー対談に対する誹謗の実態」(ふうふうさんのウェブナビ)を見つけたので、「原文」「砦の和訳」「ふうふうさんの解釈」を見比べ、私なりに検証したものを以下に紹介させて頂く。


最初に明確にしておくが、手記を読む限り、ポーリー女史が池田大作を好意的に見た箇所はどこにもない。
同女史の池田氏に対する評価は下記にはっきりと表れている。鋭く的を得た指摘だろうと思う。

---------------------------------------------------------------------------------------
Asked to hazard a guess at his occupation, few would have selected him as a religious figure.
(池田氏の職業を当ててみろと言われて、宗教者を選ぶひとはまずいないだろう。)
I have met many powerful men -- prime ministers, leaders of all kinds -- but I have never in my life met anyone who exuded such an aura of absolute power as Mr Ikeda.
(私はこれまでに多くの権威ある人々--首相や、様々なリーダー--に会ってきたが、池田氏ほど絶対的権力のオーラを滲み出させた人物には、未だかつて出会ったことがない。)
He seems like a man who for many years has had his every whim gratified, his every order obeyed, a man protected from contradiction or conflict.
(池田氏は、恐らく何年もの間、自分の気まぐれを全て満たし、常に命令に従わせ、そして彼に対する反発・反論から守られてきた人物なのだろう。)
I am not easily frightened, but something in him struck a chill down the spine.
(私はめったに恐怖心を持つことがないのだが、彼には背筋が寒くなるものを感じた。)
---------------------------------------------------------------------------------------

池田氏は、初対面のポーリー女史に対し、図らずもこれほどの「不快感」を与えたのだ。25年前、同女史が池田氏から受けた印象は、現在様々なところで証言されている池田氏の人物像そのものと言える。


さて、ふうふうさんは<1.ポリー氏の『対談』観>で、「ポーリー女史は来日する飛行機の中で、時間つぶしの為に、初めて『21世紀への対談』を読んだ」と指摘している。

なぜ出版後8年もの間、ポーリー女史が同書を読む機会に恵まれなかったのか、その理由を見落としてはならない。

------------------------------------------------------------
It is probably the book among his works most kindly left forgotten
(祖父の著作の中で最も忘れ去られた様な本)
------------------------------------------------------------

女史が「for the first time(初めて)」と書いた意図がここにあることは、ある程度の読解力があれば読み取れるはずだ。

要するに、『21世紀の対話』は、ポーリー女史の目にも留まらない程度の本だったのだ。だから池田氏の招待を受けて「初めて」手にすることになった。

また、ふうふうさんは「時間つぶしを目的として読んだポーリー女史の同書に対する評価は正当なものではない」とも指摘しているが、「時間つぶし」とはどこにも書いていない。これは推測が行き過ぎている。

『21世紀の対話』が「汚染や戦争等の諸問題を真剣に語った本」として評価を得ていたのなら、ポーリー女史は8年も待たずして同書を読んでいただろう、と考える方が、はるかに妥当な解釈と言える。

(偉人の七光 【トインビー編2】へつづく)
posted by ミル1000 at 00:03| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記

2009年09月02日

矢野絢也氏 最高裁勝訴確定

『黒い手帖』の裁判が結審した。上告棄却による矢野氏の勝訴が確定。
衆院選大敗直後の、何とも絶妙なタイミングるんるん
下野した創価学会・公明党にとって、組織の存続を揺るがしかねない大きな意味を持った敗訴となることを期待したい。

「仏法は勝負だ。正義は勝ってこそ証明される。」
(8/29 聖教新聞社説)

いやいや、本当に、いい言葉だバー


次項有矢野元公明党委員長手帳持ち去り訴訟 最高裁、上告棄却
矢野絢也元公明党委員長が、公明党の元国会議員3人に無理やり手帳を奪われたとして損害賠償を求めていた裁判で、最高裁判所は、元国会議員の上告を棄却し、手帳の返還と矢野氏への賠償を命じた2審判決が確定した。
(09/09/02 フジテレビ)

次項有<手帳持ち去り報道>矢野絢也氏の逆転勝訴が確定
最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は1日、元議員側の上告を退ける決定を出した。元議員側の請求を棄却し、「脅迫された矢野氏がやむなく要求に応じて手帳を引き渡した」と認定。矢野氏のプライバシーを侵害したとして、元議員側に慰謝料支払いと手帳の返還を命じた2審・東京高裁の逆転判決(3月)が確定した。
(09/09/01 毎日新聞)

次項有元公明議員3氏の敗訴確定=「手帳持ち去り」訴訟−最高裁
3人は元参院議員の黒柳明、大川清幸両氏と元衆院議員の伏木和雄氏。
一審東京地裁は2007年12月、3人の手帳強奪を認めずに講談社などに賠償を命じたが、二審東京高裁は今年3月、「家捜しをして無理やり持ち去った」と認定し、一審判決を取り消して請求を棄却。その上で、3人に手帳の返却と賠償を求めた矢野元委員長の訴えを認めた。
(09/09/01 時事通信)


手帳の返還に関して、矢野氏が、『矢野絢也氏から話を聞く会』で語ったところによると、
「高裁で返せという命令が出、仮に執行することができると、このように主文で書かれている。だから強制執行もできると。
礼儀上、今弁護士の間で任意にお返しをいただきたいと、書簡をもって二度三度とやりとりをしておって、つい先週だか、先方の代理人の弁護士から、こちらからの返還してほしいという要求に『応ずる意思はありません』という内容証明による回答がきて、判決に反してでも返さん、と。

返すなという命令がどこかから出ているのか、どっかへ持っていってしまっているのか、それは僕らには分からないことだが、まあ、いずれにしても法的な手続きでこれは返してもらうつもりだ。」


賠償金の300万円は、二審判決後に支払われているというのに、手帳だけは何があっても返したくないらしい。
はて?その理由や如何に?

個人的には、手帳はとっくに処分されているのではないかと思う。
創価学会にとって危険極まりない代物を、後生大事に持っているはずもなかろう。

しかし幸いなことに、矢野氏はご高齢ながらもご健勝であり、裁判で闘えるだけの気概をお持ちだ。

「陰でずっと小さくなって1人で殺されるよりは、これだけおおっぴらにやって殺された方が、これは死にかいもあるというもんだと思うし、今さらもう惜しいというわけでもない」

ここまでの決意がおありなら、裁判に勝訴した今、たとえ手帳が返還されなくとも、語るべき『事実』を語ってほしい。
矢野氏を応援する国民の期待を裏切らないでほしい、と切に願う。


ところで、聖教新聞は二審の判決を「不当判決」として、とっても小さく掲載したのだが、今回の最高裁敗訴確定は報じてくれたのだろうかexclamation&question


人気ブログランキングへ
↑ 創価学会問題を多くの国民に知らせるためにクリックお願いします
posted by ミル1000 at 21:00| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2009年09月01日

当選は信心の証

愛読しているブログに、面白い動画が紹介されていた。
日頃、あまりテレビTVを見ないので、私の中では「ざこば」もくっだらない芸人と一緒くただったのだが・・・。
今日よりは、ざこば大師匠グッド(上向き矢印)。私って単純決定

▼シンジンが足りなかったのです!センセイごめんなさい(><)


ちなみに、ざこば師匠は正しいことを言っている。

聖教新聞『わが友に贈る』より
・8/23 勇敢なる信心で歴史を勝ち開け!
・8/24 信心強く烈風を跳ね返せ!攻撃精神で勝て!
・8/26 強盛な祈りが不可能を打ち破る!大信力で競り勝て!

聖教新聞『今週のことば』より
・8/24 祈りに祈って団結で快勝せよ!

聖教新聞 社説(8/29)も、今となっては、自ら墓穴を掘ったようなもの。
「仏法は勝負だ。正義は勝ってこそ証明される。」

いい言葉だビール


人気ブログランキングへ
↑ 創価学会問題を多くの国民に知らせるためにクリックお願いします
posted by ミル1000 at 18:05| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月31日

衆院選について思う

今回の衆議院選挙、公明党トップ3が見事に落選。公明党は結党以来、最低の議席数(1967年:25議席、2009年:21議席)となった。
そして、太田前代表の「野党連立はない」(09/08/26 asahi.com)という発言通り、10年の長きに亘る自公連立に目出度く終止符が打たれるわけだ。
喜ばしい限りではないか。

学会内では、常日頃、1957年に池田氏が公職選挙法違反で逮捕された事件に絡め、「常勝の関西」と叫ばれてきた。
今回、比例代表の近畿ブロックで獲得した5議席は、公明党の中では最多となる。
だが、聖域とも言える尼崎(兵庫8区)での冬柴氏の落選、堺市(大阪16区)で議席を守り続けてきた北側氏の落選は、公明党・創価本部だけではなく、何より、身を粉にして猛暑の中働いた末端会員にとって相当の痛手となったのではないだろうか。
茫然自失なのは、保守派支持層ではなく、選挙と信仰を結びつけ、そこに功徳を求めてきた学会員である様に思う。

学会本部は「自民党不支持の煽りを受けた」と言い訳してみたり、「逆風の中で近畿ブロック比例代表健闘!」などと苦しい勝利宣言を出すのかもしれないが、果たして、惨敗に直面した末端信者の士気低下を食い止められるだろうか?
未活動家を含め、学会員の組織離れを防ぐ為に、関西でのアンチ活動は、今まで以上に強引な妨害を受けることになるかもしれない。


ところで、久々にSEIKYOnetを見てみた。

8月31日の一面は・・・、
『創価の師弟の大城は盤石!!』 「学生第一」「世界市民」の学府
とあり、創価大学、アメリカ創価大学の新校舎設立の話。

『わが友に贈る』は、
「全国の広布の大英雄に心から感謝合掌!広げた仏縁は三世に不滅の宝だ!」

『今週のことば』は、
「悔いなく戦い切った偉大な同志、万歳!皆様の福運は永遠なり。さあ創立80周年へ威風も堂々と大前進だ!」

少なくとも、ネット上では「衆議院選挙の結果」は完全無視されている。
実際の紙面はどうなっているのだろう?
posted by ミル1000 at 12:22| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月27日

矢野絢也氏から話を聞く会

少し古いが、お気に入り登録していたiZaの記事よりご紹介。

■矢野氏から話を聞く会(1)
青年部のトップ5人からホントにつるし上げのように、極端な話『土下座せい』と(言われた)。
その明くる日、公明党のOBがきて、簡単にいうと脅し、すかし、おだて。で、挙句わたしの30年間、まあ40年間ですね。100冊の手帳をよこせと。
前後4回訪問があり、手帳や資料を家捜しして持っていった。
挙句、私が相当弱っただろうという状況で、『家を売って2億、3億の寄付をせよ』と。

■矢野氏から話を聞く会(2)
手帳を返してほしいというわけで、高裁では逆転判決、私の勝利、と。しかも、『学会が関与しておる』と。手帳強奪に。
東京高裁では明示的に、つまりあからさまに、あるいは暗示的に遠回しに学会の関与をちらつかせながら、私を威迫したと、そういう趣旨の判決文になっておりますので、学会もこの手帳強奪についてはしらん、ということは言えない。
私は、30年40年、学会とともにおり、言論妨害問題その他いろんなことを見てきたが、やはり今、創価学会・公明党はいい意味でも悪い意味でも曲がり角にきておると思っている。

■矢野氏から話を聞く会(3)
公明党の議員、池田先生が師匠であると、我々は弟子である、と。弟子は師匠のために命を投げ出してでも仕えなくてはならない。
原点の指導は、この師弟の道。これが、我々学会員の原点であり、公明党の原点ということになると思う。

宗教的価値観、あるいは宗教的排他意識、あるいはそれを憎悪心にまで転換して選挙で対立候補を貶めるということになる。
要するに宗教的価値観、つまり絶対的な価値観によって、本来相対的な価値観である政策、政治を支配していくと、それが一番恐ろしいことではないか。

陰でずっと小さくなって1人で殺されるよりは、これだけおおっぴらにやって殺された方が、これは死に甲斐もあるというもんだと思うし、今さらもう惜しいというわけでもない。

(2009/7/2 産経新聞より)
posted by ミル1000 at 20:45| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月21日

要は、気持ちの問題!?

創価について彼と話すとき、彼はとにかく黙る。ひたすら沈黙する。
そんな時、「オレは貝になりたい もうやだ〜(悲しい顔)と思っていたに違いない。
何も喋らないくせに、そのうち彼の方が疲労困憊してくる。そして私が話すのを諦める。
男子部の部長に「女性と話すにはエネルギーが必要だ」と言われたことがあるらしい。
「部長の言う通りやわ〜」と、いつもぐったりしていた。
そんな彼に、ある時こう言った。
「そんなん当たり前やん。男と女は究極の関係やねんから。命と命の繋がりやねんから。そりゃエネルギーも使うわ。」と。

感覚で喋ったので、自分でもイマイチよく分からないのだが・・・、
心が繋がるから肌のぬくもりを求め、身体を重ねることでまた心が結び付く。そんな命と命が触れ合う時間があることが、究極だなと感じた。

私の批判攻撃にぐったりと倒れ込む彼を見て、よくからかった。
の私にエネルギー吸い取られてるんやわ〜。」
この時だけは、彼はちゃんと断言する。
「ミルは魔なんかじゃない。そんなんオレが決める。」

要するに、その人自身の気持ちの問題なのだ。決めるのは宗教じゃない。

そう言えば、公明党市議Kさんも、以下の様な指摘で返答に困ると「気持ちの問題」に摩り替えようとしていた。

・彼が裁判の無敗を信じ込んでいたのは会合でのMCが原因だと指摘した時
⇒Kさん自身が、正本堂裁判全敗の事実を知らない。

・都議選の議席数、得票数の減少が、創価衰退の証拠だと指摘した時
⇒途中で話を遮られた。

・出所不明の日寛の本尊を改造コピーだと指摘した時
⇒祈る気持ちの方が大切らしい。ちなみにこのコピー本尊は3000円。ボロ儲け。

・創価で幸せになれなかった脱会者の多さを指摘した時
⇒幸せになっている人の方が多いと言うが、証拠はない。

・功徳を積んでいるはずの幹部が犯罪を犯す事実を指摘した時
⇒創価にも世の中と同じ割合で犯罪者がいるらしい。←創価にいる意味なし!

・池田さんの学術称号の多くが専門学校レベルのものだと指摘した時
⇒「山ほどの受賞=世界の評価」論を押し通す。

・財務によって破綻する学会員が少なくない現実を指摘した時
⇒「財務は自己責任」と問題意識がまるで無し。

・互いを矯正し合う相互扶助の関係がないことを指摘した時
⇒学会は個人の自由を尊重しているから、矯正し合うという考えはないと断言。

・地域によって幹部の指導にバラつきがあることを指摘した時
⇒他の地域の事は分からない。でも組織は完璧だと言い切る。←指導がバラバラでも完璧?意味わからん。


最終的に、Kさんは、私が愛用するミニPCを指して、要はご本尊様に一生懸命祈るその気持ちが大切。そんなパソコンで細かく細かく調べてるくらいなら一度ご本尊に祈ってみろ、と言うのだ。

学会員は何かと言うと「デマだ中傷だ」と言い張るから論拠を示して話をしてるのに、「気持ちの問題」に逃げるのはどうかと思う。
これが、認知的不協和を解消して自分を守ろうとする本能なのだろうか?


島田裕巳氏が著書の中でこう述べている。

『新・幸福論』(2004年 潮出版)で説かれている「楽観主義」というものは、心の持ち方を変えることで幸福を得ようというもので、これは日本の宗教全般に共通する基本的な考え方である。何ら特別なものでもなければ、新鮮で特異なものでもない。これでは、他の宗教と同じでしかない。
心の持ち方で問題が解決するなら、現実的な行動(勤行、折伏、選挙など)は必要なくなる。『新・幸福論』は教えを現代に即したものにしようと、心理学的な思考を取り入れているが、それは従来の創価学会の考え方とは、じつは正反対のものになってしまっている。
毎日お題目を唱えることで、幸福は実現できるのか?
創価学会の信仰のスタイルの「賞味期限」は、切れかかっているのかもしれない。
組織として頂点を迎えたあとには、往々にして衰退が待っている。今、創価学会はその境目にさしかかっている。

(『民俗化する創価学会』P113〜P120より)
posted by ミル1000 at 21:50| Comment(24) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月16日

激ヤセ進行中!

今朝、体重計に乗ってビックリ目
40kgの大台を割ってしまった・・・がく〜(落胆した顔) これは大変あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)
夏バテで食欲減退バッド(下向き矢印)と自分に言い聞かせてきたけど、やっぱり精神的な疲れが大きいみたいだ。

13日〜14日にかけてUPした記事「公明党市議に聞いたこと」が影響しているのか、アクセス数が急増右斜め上 ブログランキングも上昇右斜め上
8/16現在、OL部門で7位(133件中)、働くヒト部門で30位(1696件中)、日記部門で295位(8211件中)。(←記念に書き留めておきたくて!)

応援してくださる皆様、本当にありがとうございますぴかぴか(新しい)
そして、ご心配くださる皆様にも心から感謝しています。

思ってもみないことだったが、自分のブログが注目されることには、嬉しい気持ちと同時に相当の緊張感が生じる。

先日、マンションの部屋に篭って記事を書いていたちょうどその時、珍しくインターホンが鳴った。モニターで確認すると、知らない男。目つきが悪い。新聞勧誘だろうと思い完全無視。5分ほどして、またインターホンが。モニターには先ほどと同じ男。モニター越しに睨み付けられている様に感じた。なぜ2度も呼び出すのだろう?部屋にいる事が分かっているのだろうか?
そう言えば、数日前の22時前後に、オートロックをすり抜けて玄関のチャイムを鳴らした人がいた。初めてのことだった。玄関先に来られるとモニターでの確認ができない。
普段は然程気にしていない事でも、疑い出せば全てが疑わしく思えてくる。

私が創価学会に関る中で、当初から一番心配してきたのは、実家に迷惑をかけることにならないか、ということ。
けれど、心配すべきなのは実家だけではなかった。
先日、ブログでチラシ配布の呼びかけをしたところ(記事は削除済)、読者のお一人から軽率な行為だとお叱りを受けた。
周りが見えていないのは学会員だけではない。私も同じだと気付いた。

もし今、私のブログで被害を蒙る人がいるとしたら、創価の彼もそのうちの一人となる可能性がある。
一昨日、彼に私の懸念を伝えた。実際に起こっている学会員と批判者の間のトラブルを話し、彼自身にも注意を促した。
けれど、彼は「創価はオウムの様なカルト集団じゃない。」と、私の話を信じようとしなかった。
思えば、ずっとそうだった。
私が裁判敗訴の事実を伝えても信じず、本部長さんが彼の目の前で敗訴を認めると、一瞬でそれを信じた。
私が公明党に関する新聞報道を伝えても、部長さんが「その記事はデマだ」と言えば、その言葉を信じた。
公明党市議Kさんの話しも「ミルの解釈の仕方が違う」と言い、Kさんの言い訳を信じた。
挙句の果てに、「ミルがネットで連絡を取り合っている人たちには気をつけた方がいい。」と言い出した。
「誰のことを言っているの?」と聞くと、
「創価を批判している人と連絡取り合ってるんでしょ?」と。

以前、ブログに書き込まれた学会員の中傷的なコメントについて話し、
「会合でばったり会って私だとバレたら襲われそう」と言ったことがある。
その時の彼の反応は、ノーコメント・沈黙だった。
けれど、私の文章に賛同し、わざわざコメントやメールで情報提供してくれたり、身辺の心配をして下さる方々には『気をつけろ』と言うのだ。

彼には、感謝している。
私のアンチ活動を承知しながら、私を会合に連れて行き、また、信頼できる人を紹介してくれた。彼の協力がなければ、このブログもあり得なかった。

けれど、彼を利用するのはもうやめなければ。
彼に「今までありがとう」と伝え、連絡先を全て消去した。
そして、本部長さんに私の心配事を伝え、本部長さんのご判断で彼に注意を促してくださる様お願いした。
「彼の為に必要とあれば記事を取り下げる」という事も伝えている。

公明党市議のKさんは、私に繰り返し言った。
「創価の信仰でなければ最高の幸せはない」
「他の宗教では、創価で得る幸福には劣る」
と。

私は何度も確認した。
「他の宗教でも幸せな人はたくさんいますよね?」
「創価の中にも、不幸を感じて、疑問を感じて脱会する人はたくさんいますよね?」


ここまでは、Kさんも納得される。
けれど・・・
「創価でも、他の宗教でも、人は幸せになれる。それを認め合って共生していけばいいのではないですか?」
これには頷いてくれないのだ。

そして、話しは振り出しに戻る。
「創価の教えでなければ、最高の幸せを得ることはできない。」と。

創価学会の人がそう思われるなら、それもいい。
けれど、他人の幸せを、あなた方はどう判断するつもりなのか?
幸せの優劣を、何をもって判断できるというのだろうか?

生命の生涯は、幸と不幸・喜びと悲しみ・苦楽が織り重ねられたもの。
この世に生まれては消える星の数ほどの生命の生き様を、「創価」という小さな小さな枠にはめて、その幸福の度合いを測ろうとする。
その行為自体が、狭く閉ざされた世界の囚人になってしまった証なのだということに、どうか気付いてほしい。


人気ブログランキングへ
↑ 創価学会問題を多くの国民に知らせるためにクリックお願いします
posted by ミル1000 at 10:13| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月14日

SGI 192ヶ国

8/3の記事「創価とSGIの不協和」にあるSGIへの問合せに関して、回答があったので報告します。

問合せ内容は、「SGI 192カ国の国名や、それぞれの国の組織の規模などの基本情報を教えてほしい」というもの。

回答は以下の通り。
====================================================
Thank you for your e-mail. You have reached the Soka Gakkai International Office of Public Information in Tokyo, Japan.

The number would be 192 countries. However, although we do have a public list of constituent organizations, we do not have an official list of the 192 countries, due to various reasons, including the political situation of some of the countries.

Thank you for your understanding.

Sincerely yours,
SGI Website Team

====================================================

「政治上の理由も含め、様々な理由から192ヶ国・地域についての公式なリストは公表できない」との事。
理由はどうあれ、公式に証明できないのであれば、当然のことながらその信憑性は低くなる。
今年2月の会合(同時中継)で、池田さんも言っていた。
『仏教の教えは、証拠主義、結果主義です!』

余談になるが、公明党市議のKさんは、
「SGIは290ヶ国に広がっているからね!」と力説しておられた。
192ヶ国ですよね?」と訂正すると、
「いいえ!SGIはどんどん増えてるのよ!」と言う。
「学会のHPで192ヶ国と書いてありますよ。」とお教えすると、
「あら、そうなの?よく調べてるのね。まぁいいけど・・・」
⇒学会員さんの言うことも、あてにならない。

Kさんに伺った、更に興味深い話を書いておこう。

実は、Kさんにも「192ヶ国・地域の具体名」を尋ねた。
Kさんは、「公表できない国もあると思う」と、SGIからの回答と同様の見解であったが、続けてかなり衝撃的なことを仰った。
「中国は、創価学会に入っていることがバレたら銃殺なのよ。」

初めは、かなり強く断言しておられたが、私が、
「公明党は、その中国共産党と友好関係にあるんですか?」
と突っ込むと、
「まぁ、ハッキリとは分からないけど。私も聞いた話だから。」


つい先日(8/10)、中国の方からこんな情報を頂いている。
==========>
一般の中国人、創価に関心を持っていない人に対して創価は平和の組織。Google中国語版で調べたけど、*6,620,000件*の検索結果
だいぶプラスの情報。マイナス情報はほぼない。
周りの日本にいる中国人友人にも聞いたけど、あまり創価のこと知らない。だから、普通の中国人から見る創価学会は平和の組織!!!
<==========

この情報提供者は、日本で仕事をしておられる中国人の方で、このブログを通じて知り合った。
差し支えなければ「銃殺説」の真偽についてのコメントを下さる様、お願いしてみようと思う。

⇒お返事を頂いたのでお知らせします。
『これは嘘。
まあ、やったことがあるを証明するのは簡単だけど、やったことがないのを証明するのは難しい。
僕は共産党の幹部として、この銃殺することが嘘と証明する。
ありえない話。』



8/15追記:
皆様、お気遣い・心配のメールをありがとうございます。
ブログランキングを見て、読者の方々の関心の高さを感じておりますが、8/13〜8/14の記事は、18日以降の選挙期間中は、一時非表示とさせて頂きます。

8/17追記:
皆様、応援ありがとうございます。
一部記事を非表示にする旨お伝えしていましたが、確認したところ、記事の内容が特定政党への批判や衆院選候補者に言及したものではなく、あくまで宗教思想の見解を述べているものですので、このまま掲載いたします。

ひとりでも多くの方が、創価学会と一般社会の間にある問題に気付き、互いに語り合い、そこに信頼関係が築かれ、理解が生まれ、何かが少しずつ変わっていってくれればと願っています。



人気ブログランキングへ
↑ 創価学会問題を多くの国民に知らせるためにクリックお願いします
posted by ミル1000 at 21:35| Comment(14) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月09日

真心の最低額

創価学会の広布基金(財務)については、以前も記事にした事がある。
(6月6日「広布基金(財務)を考える」参照)
今日の記事をお読み頂く前に一度目を通して頂ければと思う。
先日、8月6日の記事「お釈迦様の真意はどこに」でも、財務という名の物質的供養が法華経の思想に反していることに触れた。

今日は、再度「供養」のあり方について考えてみたい。学会員の方々にも、どうか一緒になって考えて頂きたいと思う。

まず、kanさんに頂いたコメントをご紹介する。
「学会を守る全会一致」のコメントより一部転載)

==============>
内外共に悪名高い「財務」という名のタカリ。
毎年、夏くらいに申し込みを募集します。納金は冬です。振り込み票が来るのです。
希望者なんていうものじゃなく、幹部が積極的に推進するのです。
もちろん目標もあります。一般会員には波風が立つので言わず、幹部に言って強烈に寄付の推進です。

一口1万円です。
「気持ちのご供養なんです。」そう言いながら、100円ではダメ! 千円ではダメ!必ず一口1万円なのです。
何口も要求する話を幹部はします。
池田教となった創価は「幾らでもいいんです。真心でいいんです」という常識的な言葉はありません。あくまで一口1万円です。

それ、会則にはありません。会則にあるのはキレイ事だけです。
会則にない寄付を、金額を決めて要求し、その説明が一切ないのです!

記念の会合では「広布基金」という封筒を用意してて、会員さんはそれにお金を入れます。その金額も用途の説明も一切ありません。
以前に、会館の職員が遊びのお金欲しさに、そのお金を使い込んで県外に左遷された話を聞きました。もちろん会員さんたちには、そういう話は秘密にしています。

大変な世の中で、家族を養おうと大変なのですが、創価はそれはどうでもよくて、組織が望む成果を上げる人が立派なようです。
そういう成果をあげて、人生や生活環境が破壊した活動家、悲惨になった活動家・・・かなりいらっしゃいます。
池田大作氏は助けません。

毎年、数千億円の強制的寄付が創価に集まります。非課税なので、もう好き勝手に使えます。全ては池田氏が自由に使うのでしょうが、苦労して寄付したお金の用途は一切明かしません。

大変な思いで寄付した、そのお金の使い道は一切明らかにしない。
これほど、人を愚弄した行為はないと思います。

<==============

kanさんご自身が、財務の為に大きな借金を背負われたことがあるそうだ。kanさんのコメントは噂話ではない。実体験に基づいている。
クロさんも、財務の辛い体験をブログに綴っておられるし、ネットにはこうした体験が山の様に綴られている。

創価の彼は、「学会はお金がかからない」と自慢げに言う。本当か嘘かは知らないが、財務を強要された事はなく、寄付もしていないらしい。

なので、kanさんの様な創価学会がごまんと抱える財務の問題を話して聞かせても、まず信じないし、たとえ学会内で起こっている事だとしても「学会にもいろんな人がおる」と言い、自分には無関係な事として片付け、忘れようとする。

彼の所属する男子部本部長Aさんにしても、同様だ。
結局、見たくないものに蓋をして目を逸らし、自分と自分の周りさえ幸せであればそれで良いのだ。
彼らの描くユートピアの幻想から脱落した者は、そこから切り捨てられるだけなのだ。

多くの学会員は、「苦しくても、苦しい時だからこそ財務をする。」「自分が望んでそうしている。」と言うかもしれない。

けれど、借金をしてまで、家庭を犠牲にしてまでする財務が、創価の教えではないはずだ。
では何が彼らにそうさせるのか?
組織そのものが、誤った選択を扇動している実情があるのだ。

「誤った財務をする人を諌め、それを見過ごす学会員・煽り立てる幹部に対し、臆することなく正論を貫くことができる人間」と、「自発的な行為だからと、黙って仲間の過ちを見過ごす人間」の、どちらに正義があると言えるだろうか。

学会員の方々、大きな組織の流れに身を委ねることで自分を変えることなど出来はしない。本気でそう望むなら、毅然とした態度で正義を主張する、あなた方ひとりひとりがそうあるべきだと、私は思う。また、そういう組織でなければ、社会との溝はますます深まるばかりだ。

「自分には関係ない」と目を背けた時点で、あなたは最早、宗教人ではない。
ただの偽善者に過ぎない。


人気ブログランキングへ
↑ 創価学会問題を多くの国民に知らせるためにクリックお願いします
posted by ミル1000 at 20:25| Comment(13) | TrackBack(0) | 日記

閉ざされた世界で生きる人々

これまでにご紹介した書籍の中に、島田裕巳氏の著書『民俗化する創価学会』がある。ブログの記事にも何度か引用させて頂いている。

書店でこの本を手にした学会員の方がこんな事を言われた。

『文中に「創価学会は“創価民族”として確立した」というものがありました。
心外にも、言いえて妙だなと変に納得してしまいました。

学会の内輪での結束と、外からの学会の不可解さこの如何ともし難い、越えがたい壁は、民族の違いにも近いほどなのかも知れないなと。 』


多くの学会員は、自分達が一般社会には受け入れられ難い事を自覚していると思う。
しかしそれでいいのだろうか。
社会から孤立して生きることを、彼らは本心から望んでいるのだろうか。

この島田氏の著書から、一部引用してご紹介する。

====================================================
創価学会に限らず、新宗教には、それなりの理屈があり、自分たちは正しいという思いがある。けれども、それを押し通すことが、新たな不幸を生んでいるという事態については、問題を感じることなく、批判が生まれても、それをつっぱねてしまう。
創価学会が宗教教団として成熟し、新宗教という枠から本当に脱するだめには、この点を無視してはならないのではないだろうか。

創価学会では、「仏法は勝負」であり、勝ち続けていることが求められる。それゆえ、逆説的ではあるが、経済的な苦境に陥ると、つまり負けてしまうと、周囲の学会員からは、「信心が足りない」と批判され、立場が悪くなってしまうのである。
宗教的ユートピアは、幸福な人間には居心地が良くても、不幸を抱えた人間には居心地が悪い。幸福でない人間は排除されることが宿命なのである。
宗教的ユートピアには不幸が生まれるはずはないのだが、現実には生まれる。そのとき、もっとも手っ取り早い解決方法は、不幸な者を外側に追いやることである。それによって、誰もが幸福な世界が維持されることになる。
====================================================

非常に的を得た指摘だと思う。

以前、「ポン太」という名の学会員の中傷コメント(どれだけの学会員が中傷と感じるのかは分からないが・・・)を、某地区男子部本部長のAさんに見てもらい、何かしら「ポン太」を諌めるコメントを入れてくれる様にお願いした。

Aさんの答えはこうだった。
『ポン太さん的な人は学会員であろうがなかろうが、困りますね。
相手にするほど疲れますね。
正々堂々会って話す腹があればええんですけどね。疲れますね。』


私は、即座に抗議した。
『ポン太の様な人格は、創価学会に大いに責任があります。
正真正銘、学会員なんですから、仲間に忠告するのは当然じゃないですか?
「相手にするほど疲れる」といって、邪魔な人間を切り捨てるところが創価の悪いところです。
選挙より大切なこと、あります。一応、宗教団体なんだから。』

ポン太さん、あなたの様な人物もまた、ユートピアから脱落し、切捨てられてしまうのです。
そうなってから気付くのでは遅いのです。
ご自分の人生です。何が正しい行いなのか、考え直してみませんか?

島田氏は、創価学会を「閉ざされた世界で生きる人々」と表現している。
創価の家庭に生まれてくる子供達にとって、それは幸せなことなのだろうか。
社会の中で果たすべき社会人としての責任、親としての責任、そして宗教人としての責任を、学会員の親達、そしてこれから親になる人達も、今一度自分自身に問い直してみてほしい。

未来は、自分達の為だけにあるのではない。
未来は、これから生まれてくる新しい命の為により良いものでなくてはならない。
その為に、私は創価学会の全ての人に、自分達の立ち位置を、今この時期に見つめ直してほしいと思っている。


人気ブログランキングへ
↑ 創価学会問題を多くの国民に知らせるためにクリックお願いします
posted by ミル1000 at 01:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月07日

続)お釈迦様の真意はどこに

以前の記事にも書いたが、学会員さんからこんな事を聞いた。

「日本は、他のどの国、地域よりも救いがたい人々の国だ(趣意)と日蓮が断じてます。」

ブログ「想学サロン2.0 」を読んでいて知ったのだが、どうやら御書の中にその様な趣旨の言葉が出てくる様だ。

上記ブログに、
『今日本国・上一人より下万民大悪心の衆生充満せり』云々、この他数々の同様の文が有ります。」
というコメントがあった。

学会員にしても非学会員にしても、恐らく、こうした一文だけを抜き出して日蓮の趣意とすることは軽率だろうと思う。
また、それをそのまま現代の日本人に当てはめてしまうことも、あまりに短絡的ではないだろうか。

日蓮がそうした発言に及んだ理由、背景、時代を鑑み、様々な要素からその言葉の真意を読み解く事の方が、日蓮宗を志す人にとって大切なのではないかと思う。

釈迦の教えに対しても同じことが言える。

以前、学会員さんのコメントに「釈尊は法華経を説いた時点でそれまでの教えは捨てるように言っています」というものがあった。(5/15「八百万の神様」参照)

妙さんに助けを求めたところ、次の様なお返事があった。

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
法華経の方便品第二に次のくだりがあります。
「今我喜無畏 於諸菩薩中 正直捨方便 但説無上道」
(訓読)今我喜んで畏なし 諸の菩薩の中に於て 正直に方便を捨てて 但無上道を説く

この方便品では、釈尊がどういう経緯でこの真理の法(妙法蓮華経)を説くに至ったかを描写している場面が登場します。
その一つに「正直に方便を捨てて 但無上道を説く」と語られ、「これまでこの教えに導く為に説いてきた方便の教えを誠の心で捨てさり、無上道(この上ない仏の道)を説こう」と説法を希う舎利弗や集った諸菩薩たちに語られたのです。

つまり表現としては、ルッキーさんの主張する「捨てる」主体がそれを信仰する者たちへの強要では無いことは明らかですね。
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

更に、妙さんはこう綴っておられる。

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
釈迦の説法は固定された一つの教理を常に説法したというスタイルではない為に、聞く人間によってたくさんの経典が生まれた・・・というのが真相ではないかとも思います。

仏説のとらえ方は、直説かどうかではなく、釈迦の真意はどこにあったのか?ということがインド仏教徒にとって最大の関心事であり、長い歴史の中でそれが付加され6千以上もの経典が生まれたのではないでしょうか。

日本に渡ってきたその一切経(大蔵経)を、日蓮聖人は生涯で3回読んだと言われておりますから、並々ならぬ精神力を持たれた方なのですね。
大事な事は日蓮聖人がその莫大な経典の中から何故法華経を選ばれたのか・・・という事です。
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

時代が変われば価値観も変わる。
釈迦の教えを伝える人間もまた、その時代背景に影響を受けた思想を持つ。
けれど、どんなに時間が流れようと変わらない真理・法則がある。
お釈迦様の真意と言えるものは、その普遍の中にある様な気がする。

人気ブログランキングへ
↑ 創価学会問題を多くの国民に知らせるためにクリックお願いします
posted by ミル1000 at 14:35| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月06日

お釈迦の真意はどこに

先日、とあるサイトで、創価大学の学生さんに「法華経『分別功徳品』の思想」と「創価学会の財務」の整合性について意見を求めた。

法華経「分別功徳品」については、6月7日の記事「釈迦を越えた池田大作」にあるLibraさんのコメントを参照頂きたい。

Libraさんは、「法華経の信仰者は物質的な供養を必要としない」という創価大学の菅野博史教授の見解を紹介して下さっている。(Libraさんのサイトに詳細説明あり)

創価大学の学生さん相手であれば、あわよくば菅野教授ご自身の解釈が聞けるかも・・・と期待したのだが、「創価大学のコミュニティで特定団体についての質問は不適当」とのクレームがあり、結局、大学院生さんお一人の回答しか得られなかった。

大学院生さんの回答は以下の通り。
=====>
(いわゆる根本仏教と)『法華経』を日蓮以上に重視する立正佼成会についてならまだしも、『法華経』からひとっとびに創価学会の宗教理論に話を移すのには無理があるかと思いますが、菅野先生の解釈によれば、当然「広布基金」の宗教的妥当性とは齟齬(そご)がある文言でしょう。
<=====

「創価学会の財務が『法華経』の思想に反している」ことは、指摘するまでもない様だ。
では何故、創価学会では財務が「これに勝る供養もなければ、大善もない」と言われているのだろうか?
学会員は、なぜ財務(金銭)を幸福に結びつけるようになってしまったのだろうか?

学会員の皆さんには、財務の前に、是非この点について考え、答えを見つけて頂きたいと思う。


もう一点、学会員の皆さんに考えて頂きたい事がある。

大学院生さんの文章の中で、私は、法華経の思想と創価学会の教義がかけ離れたものであるかの様な表現に引っかかりを覚えた。
この疑問点について質問すると、大学院生さん曰く
=====>
日蓮が鎌倉時代という文化的脈絡の中で『法華経』を最高の経典であると見なしたことは事実ですが、彼の『法華経』解釈そのものが独特なので、その思想を受容することと、(日蓮とは異なった文化的脈絡の中で創作された)『法華経』において説かれるなり象徴されるなりする思想を受容することとは必ずしも一致しません。
<=====

残念ながら、「法華経に象徴される思想」と「日蓮の独特な法華経解釈」の間にある具体的な相違点にまで質問が及ばなかったのだが、大学院生さんの文章を読む限り、「法華経(=釈迦の教え)」と「日蓮の教え」は切り離されて考えられている様だ。

以前、法華宗の僧侶である妙さん(当ブログの読者様)が、次の様に指摘しておられた。

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
学会では、表現のすり替えが頻繁に行われています。例えば、「釈尊の法華経」とか「釈迦の仏法」という表現をよくしております。
これは、まるで釈尊が説く以外の法華経や仏法があるかのような表現で、信者を誘導する時に使う常套手段であると思います。
結果それが「創価の日蓮仏法」という、まるで新たに説かれた真実の仏法が別にあるという終着点に信者を落とし入れる為の仕掛けとなるのです。
日蓮聖人の御書は法華経を正しく読み解くためのご指南書として位置づけられております。つまり経典とは違うわけです。
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

妙さんのご指摘の通り、創価学会の教義は、事実「御書根本」とされている。これは何かおかしくないだろうか?

仏教は、釈迦が生み出したものだ。日蓮が説いたのは法華経にある釈迦の教え・思想であって、日蓮教ではない。
釈迦なくして法華経はあり得ないし、法華経なくして日蓮の教えもない。

創価学会の「御書根本」という考え方は、土台のないところに家を建てるようなもの。成り立つはずがないのだ。

「続)お釈迦の真意はどこに」へつづく)


人気ブログランキングへ
↑ 創価学会問題を多くの国民に知らせるためにクリックお願いします
posted by ミル1000 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月04日

学会を守る「全会一致」

衆議院解散前の事になるが、以下の様なニュースが小さく報道された。

公明党:鳩山氏の参考人招致は「全会一致で」…北側幹事長
公明党の北側一雄幹事長は8日の記者会見で、献金虚偽記載問題による鳩山由紀夫民主党代表の国会への参考人招致について「全会一致がこれまでの慣行であり、原則は守るべきだ」と述べ、自民党で浮上している多数決による招致決定に否定的な考えを示した。
(2009/7/8 毎日新聞)

鳩山氏招致見送りへ 個人献金問題で公明難色
自民党は、衆院政治倫理・公選法改正特別委員会で10日に鳩山氏の参考人招致を議決する方針だった。しかし、公明党は国会の慣例でもある全会一致による議決を求めていた。
10日の同委員会には、民主党をはじめ野党各党が欠席、全会一致で議決する状況にはならなかった。公明党幹部は同日、自民党幹部に「全会一致でなければダメだ」とあらためて要請。自民党は公明党の理解が得られないまま鳩山氏招致の議決を強行することは困難と判断した。

(2009/7/11 東京新聞)

総選挙に向け、現在、創価学会(公明党)が展開している民主党への激しい攻撃を見ると、唐突に「全会一致」を持ち出して鳩山氏に逃げ道を与えた公明党の態度は、どうにも腑に落ちない。

しかし、『黒い手帖』の一説を思い出し読み返してみると、謎はあっさりと解けた。

以下、長くなるが『黒い手帖』からの引用を掲載する。
======================================================

今となってはあまり指摘する人もいないが、私が公明党の書記長・委員長だった時代、国会に証人や参考人を招致する場合、全会一致が慣例となっていた。
この慣例ができたのも1970年の言論出版妨害事件が景気だった。
当時、私は少数派を保護するためにも、喚問は全会一致が原則だと主張した。以来、これがルールとなっていた。

事実、全会一致の慣例があったから、私たちの時代は、池田氏証人喚問は絶対にあり得なかったし、「是々非々」とはいえ、反対する政策に関しては後顧の憂いなく、公明党は野党らしく自民党と対決できた。ありていにいえば、池田氏証人喚問という与党の脅しが効かないからだ。そういう意味で、全会一致のルールは、われわれが残した創価学会への政治遺産でもあった。

ところが、私の政界引退後、公明党自らがこの遺産を潰してしまう。
1994年、当時、野党に転落していた自民党は巻き返しの好機と見て、衆議院予算委員会での細川氏の証人喚問を要求した。さらに公明党・創価学会の政教一致問題を究明するためとして、池田氏の喚問要求も出された。
細川喚問に応じれば、池田喚問への道を開くことになりかねず、公明党は、細川喚問に対しても反対の立場を取った。全会一致の原則を守るためには、公明党議員が採決を欠席するという方法もあったが、連立与党のなかで公明党だけが欠席するわけにもいかないという判断もあって、採決に加わり反対票を投じた。

当時は少数与党という特殊な政治状況下なので、やむを得ない事情もあったのだろう。しかし、議場で反対したために、公明党は自らが全会一致の原則を放棄したと見られても仕方がない。賛成、反対に票決が分かれ、事実上、多数決になってしまった。

私は、なんと愚かなことをするのか、と嘆いたことを覚えている。私たちが残した学会を守る政治遺産を自ら放棄したことに言葉を失った。
実際、1995年の宗教法人法改正論議のなかで、池田氏の証人喚問招致が再び俎上にのせられると、それを避けるさめに秋谷創価学会会長(当時)の参議院での参考人招致に応じざるを得なくなった。
以来、公明党は池田氏喚問阻止のために、常に政権与党、多数派に身を寄せなければならなくなった。いつ多数決によって喚問が決定されてしまうか、わからないからだ。

もちろん、政権与党に入ること自体を否定はできない。政策を実現するためには、与党の一角にいることは重要だ。しかし、そうした純粋な政党の政治目的とは別に、政治活動に支障をきたしかねない宿命を負ってしまったのである。

このときから政権与党であることが公明党の絶対的な命題となるーこれが公明党の大きなターニングポイントとなった。
======================================================


公明党は、今まさに下野の危機に直面している。
今回の降って湧いた様な「全会一致」の主張は、野党という立場で如何に創価学会=池田大作を守るか、それを見越しての事だったのではないだろうか。
あるいは、民主党と背後で何らかの合意がなされていた可能性も否定できない。
学会員は「民主党と手を組むことはあり得ない」と言うが、実にお目出度い思考だと思う。
民主政権となれば、公明党は必ず民主に擦り寄り、「外国人の地方参政権」を始めとする悪法の数々を成立させようと図るだろう。

「庶民の政党」という言葉を隠れ蓑に、公明党は結党以来、粛々とその使命を果たしてきたのだ。

『創価学会=池田大作を守る』為の政党など、日本に必要ない。

読者の皆さま、このブログから創価学会(公明党)の危険性を少しでも感じ取って頂けたなら、家族や知人に、たとえ一人でも二人でも、その実情・実態を周知して下さることを心からお願いしたい。


人気ブログランキングへ
↑ 創価学会問題を多くの国民に知らせるためにクリックお願いします
posted by ミル1000 at 23:40| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記