2009年09月04日

偉人の七光 【トインビー編1】

A・トインビー、松下幸之助、キング牧師、ガンジー。。。

偉人の七光ぴかぴか(新しい)を強引に利用するのが好きな池田センセイであるが、どこぞの有名人が池田ダイサクを自分のステイタスの証明にしているという話は、ついぞ聞いたことがない。


先日、『自由の砦』に紹介されている、A・トインビー博士の孫娘ポーリー女史の手記「The Value of a Grandfather Figure」(1984/5/19 英紙『ガーディアン』掲載)を読んでみた。

「自由の砦」に和訳文があるのだが、たまたまこの和訳に噛み付くサイト「トインビー対談に対する誹謗の実態」(ふうふうさんのウェブナビ)を見つけたので、「原文」「砦の和訳」「ふうふうさんの解釈」を見比べ、私なりに検証したものを以下に紹介させて頂く。


最初に明確にしておくが、手記を読む限り、ポーリー女史が池田大作を好意的に見た箇所はどこにもない。
同女史の池田氏に対する評価は下記にはっきりと表れている。鋭く的を得た指摘だろうと思う。

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Asked to hazard a guess at his occupation, few would have selected him as a religious figure.
(池田氏の職業を当ててみろと言われて、宗教者を選ぶひとはまずいないだろう。)
I have met many powerful men -- prime ministers, leaders of all kinds -- but I have never in my life met anyone who exuded such an aura of absolute power as Mr Ikeda.
(私はこれまでに多くの権威ある人々--首相や、様々なリーダー--に会ってきたが、池田氏ほど絶対的権力のオーラを滲み出させた人物には、未だかつて出会ったことがない。)
He seems like a man who for many years has had his every whim gratified, his every order obeyed, a man protected from contradiction or conflict.
(池田氏は、恐らく何年もの間、自分の気まぐれを全て満たし、常に命令に従わせ、そして彼に対する反発・反論から守られてきた人物なのだろう。)
I am not easily frightened, but something in him struck a chill down the spine.
(私はめったに恐怖心を持つことがないのだが、彼には背筋が寒くなるものを感じた。)
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池田氏は、初対面のポーリー女史に対し、図らずもこれほどの「不快感」を与えたのだ。25年前、同女史が池田氏から受けた印象は、現在様々なところで証言されている池田氏の人物像そのものと言える。


さて、ふうふうさんは<1.ポリー氏の『対談』観>で、「ポーリー女史は来日する飛行機の中で、時間つぶしの為に、初めて『21世紀への対談』を読んだ」と指摘している。

なぜ出版後8年もの間、ポーリー女史が同書を読む機会に恵まれなかったのか、その理由を見落としてはならない。

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It is probably the book among his works most kindly left forgotten
(祖父の著作の中で最も忘れ去られた様な本)
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女史が「for the first time(初めて)」と書いた意図がここにあることは、ある程度の読解力があれば読み取れるはずだ。

要するに、『21世紀の対話』は、ポーリー女史の目にも留まらない程度の本だったのだ。だから池田氏の招待を受けて「初めて」手にすることになった。

また、ふうふうさんは「時間つぶしを目的として読んだポーリー女史の同書に対する評価は正当なものではない」とも指摘しているが、「時間つぶし」とはどこにも書いていない。これは推測が行き過ぎている。

『21世紀の対話』が「汚染や戦争等の諸問題を真剣に語った本」として評価を得ていたのなら、ポーリー女史は8年も待たずして同書を読んでいただろう、と考える方が、はるかに妥当な解釈と言える。

(偉人の七光 【トインビー編2】へつづく)
posted by ミル1000 at 00:03| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
ねまです。
今日の記事、ほぼ同意です。
自分でも翻訳してみたけど、内容的にそのとおりでした。
個人的には以下のくだりにも注目してみたり。

創価学会は価値創造協会を意味しており、13世紀の修道僧、日蓮上人(現世の利益を彼の信奉者に約束した、好戦的な国家主義者)の教えに基づきます。

Soka Gakkai means Value-Creating Society, and is based on the teachings of a thirteenth century monk, Nichiren Shonin, a militant nationalist who promised worldly
rewards to his followers.

ただ、創価学会は国家主義ではないですね。
急進的な国家主義と社会主義を折衷させた、国家社会主義的な存在だと考えます。
Posted by ねま at 2009年09月05日 09:13
著名人との対話、何冊も持ってます。
幾つか過去に読みましたが、いい内容でした。
私の見識レベルが低いのかもしれませんが、感心した部分も多いし
少なくとも非難されるような内容ではないと思います。

その内容と、同日中継の池田氏の人格のかけらも無い異様な雰囲気や
風貌・そして原稿なしで語る言葉の程度の低さとが全く合わない。。。
ホントにこの人があんな対話をしたのか?
そのギャップを感じてました。

元本部職員の告発本によると、著名人との会話は茶飲み話程度・無難な世間話程度で、創価のインテリグループが内容を全て編集・改竄し対話集として出版したそうです。

それで納得しました。

組織で殆どノルマのようになってる書籍購入、その本はそうして出来上がり・会員さん達は「さすが先生は素晴らしい!^^」
と嬉しそうに周囲に語るのです。

何とも、哀れです。。。。

SGI平和宣言や桂冠詩人の言葉など、世間に出した言葉は全て・それぞれ専門のインテリグループが書いたものだと暴露してましたね。
もう周知の事実だと思いますが・・・。

でも最近は、そういう優秀なインテリグループも少なくなったように感じます。
機関紙に昔のような知的さを感じません。
「師弟」云々の内容ばかりで、我々を池田氏の下の弟子という位置づけと、押し付けばかりが目立ちます。

わずかでも人の心を持った人なら・少しでも純粋な心を持った人なら
あまりに異常な創価組織の中では、辛すぎて働けないと思います。

創価にいればとてもいい報酬があると思いますが、このご時世では助かるのでしょうが、人間の心が拒絶反応を起こすでしょうし、優秀な人も離れる人は徐々に増えてると思います。
Posted by kan at 2009年09月05日 23:35
ミルさんこんにちは。
今日もカルト撲滅運動ありがとうございます。

日本人は素直な民族なので、「池田大商人」のビジネスモデルになんの疑問も持たないのでしょうね。
大商人のお金の使い方はなかなか派手ですよ。気に入られるといいことがあります。でも、恩恵にあずかれないからって、学会員はねたんだりしません。ねたみは仏法に反しますからね。
だから大商人に気に入られるため、ご期待にお応えするのです。会館建設もお金が動くので重要です。地方幹部のマネーロンダリングといったところでしょう。会員から預かった財務が彼らに還元されていそうです。
Posted by きつね at 2009年09月06日 16:38
ねまさん、

日蓮がいかなる人物であったのか、私は未だに明確な見解を持てていないのですが---、創価学会は、確かに「国家社会主義」と言えますね。いわゆるナチズムに共通する「創価民族主義」とでも言いましょうかね。でも、「○○主義」などというご大層な思想が末端会員に浸透しているかと言えば否。彼らはただの駒ですからね・・・。


kanさん、

実は私は「21世紀への対話」も「Choose Life」も、どちらも手にしたことすらないんですが(笑)、どちらの書物も、kanさんの見識レベルが低いのではなく、「いい内容」なのかもしれません。
ただ、ポーリー女史には「とりとめのないお喋り」としか評価されなかった。それだけ、当たり障りのない、もっと言えばありきたりの内容だと言えるのかもしれませんね。
現在でもそうですが、創価学会の美辞麗句は、誰でも口にする至極当然なことばかりですもんね〜。

今後、組織を見限って離れていく人は急増するのではないかと思っています。
来年の参議院選で敗北すれば、さらに拍車がかかるでしょうね。
期待を持って見守りたいと思います!


きつねさん、

確かに、「素直さ・実直さ」は日本人の長所であり、弱点でもありますね。
しかしまぁ、会員はどんどん減る⇒会館をポコポコ建てる⇒会館運営に末端会員が奔走する⇒疲労困憊⇒自滅

こんな状況が全国各地で発生しそうですね。会員が減るほどに、犠牲者ひとりひとりへの負担が大きくなる。ボロボロになる前に早く目を覚ましてほしいです。
Posted by ミル at 2009年09月06日 17:23
>日蓮がいかなる人物であったのか、
>私は未だに明確な見解を持てていないのですが---、

日蓮さんについては、結論を出す必要もないでしょう。
といっても段々様々な評価が出てしまいますが。

以下は日蓮さんの御書の一部ですが…

「病の起こる因縁を明かすに六あり。
一には四大順ならざる故に病む、
二には飲食節せざる故に病む、
三には座禅調わざる故に病む、
四には鬼便りを得る、
五には魔の所為、
六には業の起こるが故に病む」

ここは、摩訶止観の引用です。
病気の原因は六個あるよという話です。

時代が下って創価学会ではもっと細分化、
という風にはなりませんでした。

むしろ理由をひとつにしてしまう人が横行します。
いくつかの原因がある、という解釈は、
学会員の体質に合わないためです。

>いわゆるナチズムに共通する「創価民族主義」とでも言いましょうかね。

お察しのとおり、この場合国家とは創価学会を意味します。

>「○○主義」などというご大層な思想が
>末端会員に浸透しているかと言えば否

そうですね。
そこは曖昧なイメージだけでないと困るのでしょう。
うっとり夢をみていてもらわないと。

学会員たるもの、言葉を軽視する人間でいないと
創価学会から離れてしまいます。
Posted by ねま at 2009年09月06日 20:26
Sinです。
日蓮大聖人様は末法(釈尊入滅後2000年以降)という、まさに今のような人々の心が濁り汚れてしまう時代の一切衆生、一草一岩にいたるまでを成仏せしめんと末法という時を狙って、お生まれになったのです。
釈尊の教えは白法といって正法1000年、像法1000年に渡る2000年で隠没します。日蓮大聖人様の教えはどんな心の濁りや汚れも滅し、白くするので大白法というのです。
本当に学べば学ぶほど素晴らしくスゴすぎる教えなのです。僕ももっと学を研磨したいと思ってます。
御書より、
行学の二道を励み候べし行学絶へなば仏法はあるべからず我もいたし人をも教化候へ行学は信心よりおこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせたまうべし(諸法実相抄)

ミルさんも日蓮大聖人様の教えを学んでみてはどうでしょうか?(^o^)

Posted by Sin at 2009年09月07日 05:02
ねまさん、Sinさん、こんにちは。

私にとって日蓮という人は、今後「仏教を知る入り口のひとつ」になるだろうと思います。
私の性格からして、ひとつの思想に傾倒することはないでしょうし、神様に手を合わせるということも私の中では自然な事ですから。

お正月には近所の神社に初詣に行って、お彼岸やお盆には、菩提寺にお参りにいく。
もし仮に旦那さんがクリスチャンだったら、一緒に教会に行って祈ることもOK。
キリスト教を信仰していなくても、大切な人と心を合わせて、自分も手を合わせる。
互いにそうありたいと思いますね。

信仰心って心を豊かにするものでもあると思うので、祈る気持ちそのものを大切にしたいと思っています。
Posted by ミル at 2009年09月07日 12:13
冠婚葬祭で、昔ながらの慣習とけじめの儀式として宗教が形だけ顔を出すのが一般的です。
それはそれで、特に問題もないしいいと思います。

クリスマスになればキリストや神様に祈ったり、数日後の元旦になれば初詣で神社にお参りに行く。

日本人はなんて宗教に節操がないんだ!と言う方もいらっしゃるかもしれません。
私も昔は、そう言って折伏してました^^;。

「真の宗教はもっと生活に根ざし、脈動し・潤いを生むものだ!君の人生がもっと向上し・もっと潤うんだ!それでこそ生きた宗教だと思わないかい?」

そう言ってました。
殆どほ人が賛同し、折伏が進んだこともあります。
幹部にも、「kan君・凄いじゃないか!」などとおだてられ
「エヘヘヘ♪、池田先生にお応えしたいですぅ〜〜♪♪」と喜んでた幼い情熱と性欲だけが体中を駆け巡ってた若き日々です^^;。

日本人は宗教に節操がないんじゃなく、心の中に「神聖」を宿してる国民なのだと思います。
なので、「祈る」という行為が暦や人生の節目で自然に慣習として今もある・そう思います。

「真理」・・「神」・・「仏」・・「宇宙」・・
呼び方は人それぞれですが、やはり「法則」は「一つ」だと思います。
私は「神様」という言葉が個人的には好きですが。

その「真理」を説く人が、ある時代のある場所では、釈迦であり・キリストであり・その弟子達が当初は口頭で教えを継承し、やがて文字化され、宗教として別れ・もの凄い数になって現代に至った。

10年20年継承するだけでも、どこかで情報は主観が入り歪む部分がありますが、数百年以上口頭と弟子達の文字で継承された渦中では、様々な主観や感情が入り歪んだ部分があるのは否めないと思います。

日蓮はその途中の、一宗派です。
もちろん長年触れてきたし・それも素晴らしい教義だとは思いますが
途中の一宗派なのです。

「真理」は釈迦やキリストが指差した先。
その一点だと思うんです。

そこは宗派など存在しません。
あるがままに受け入れる。
そして「祈り」
それも「感謝の祈り」

全てを、今風に言えば「大いなる神様のギフト」として受け入れる。
そこから心身共に、新たな誕生となる。
それは当然、実生活に学びを与え・更なる向上となる!

それが「信仰心」であり、「真理」であり、「神様」の意図・宇宙の意図のように思います。
全ての生き物・存在全ては、宇宙・神様の一部であり、その元にみんな繋がってる気がします。

宗派なんて、ある意味どうでもいいんです。
そういう大いなる視点で見た時、創価・池田氏・公明党・・・・
言葉は悪いのですが、人類の害虫としか思えません。

全て私の私見です。
でも、私はこういう気持ちで「神様への感謝」という気持ちで、これからは生きていこうと思っています。
Posted by kan at 2009年09月11日 00:28
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