2009年08月09日

閉ざされた世界で生きる人々

これまでにご紹介した書籍の中に、島田裕巳氏の著書『民俗化する創価学会』がある。ブログの記事にも何度か引用させて頂いている。

書店でこの本を手にした学会員の方がこんな事を言われた。

『文中に「創価学会は“創価民族”として確立した」というものがありました。
心外にも、言いえて妙だなと変に納得してしまいました。

学会の内輪での結束と、外からの学会の不可解さこの如何ともし難い、越えがたい壁は、民族の違いにも近いほどなのかも知れないなと。 』


多くの学会員は、自分達が一般社会には受け入れられ難い事を自覚していると思う。
しかしそれでいいのだろうか。
社会から孤立して生きることを、彼らは本心から望んでいるのだろうか。

この島田氏の著書から、一部引用してご紹介する。

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創価学会に限らず、新宗教には、それなりの理屈があり、自分たちは正しいという思いがある。けれども、それを押し通すことが、新たな不幸を生んでいるという事態については、問題を感じることなく、批判が生まれても、それをつっぱねてしまう。
創価学会が宗教教団として成熟し、新宗教という枠から本当に脱するだめには、この点を無視してはならないのではないだろうか。

創価学会では、「仏法は勝負」であり、勝ち続けていることが求められる。それゆえ、逆説的ではあるが、経済的な苦境に陥ると、つまり負けてしまうと、周囲の学会員からは、「信心が足りない」と批判され、立場が悪くなってしまうのである。
宗教的ユートピアは、幸福な人間には居心地が良くても、不幸を抱えた人間には居心地が悪い。幸福でない人間は排除されることが宿命なのである。
宗教的ユートピアには不幸が生まれるはずはないのだが、現実には生まれる。そのとき、もっとも手っ取り早い解決方法は、不幸な者を外側に追いやることである。それによって、誰もが幸福な世界が維持されることになる。
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非常に的を得た指摘だと思う。

以前、「ポン太」という名の学会員の中傷コメント(どれだけの学会員が中傷と感じるのかは分からないが・・・)を、某地区男子部本部長のAさんに見てもらい、何かしら「ポン太」を諌めるコメントを入れてくれる様にお願いした。

Aさんの答えはこうだった。
『ポン太さん的な人は学会員であろうがなかろうが、困りますね。
相手にするほど疲れますね。
正々堂々会って話す腹があればええんですけどね。疲れますね。』


私は、即座に抗議した。
『ポン太の様な人格は、創価学会に大いに責任があります。
正真正銘、学会員なんですから、仲間に忠告するのは当然じゃないですか?
「相手にするほど疲れる」といって、邪魔な人間を切り捨てるところが創価の悪いところです。
選挙より大切なこと、あります。一応、宗教団体なんだから。』

ポン太さん、あなたの様な人物もまた、ユートピアから脱落し、切捨てられてしまうのです。
そうなってから気付くのでは遅いのです。
ご自分の人生です。何が正しい行いなのか、考え直してみませんか?

島田氏は、創価学会を「閉ざされた世界で生きる人々」と表現している。
創価の家庭に生まれてくる子供達にとって、それは幸せなことなのだろうか。
社会の中で果たすべき社会人としての責任、親としての責任、そして宗教人としての責任を、学会員の親達、そしてこれから親になる人達も、今一度自分自身に問い直してみてほしい。

未来は、自分達の為だけにあるのではない。
未来は、これから生まれてくる新しい命の為により良いものでなくてはならない。
その為に、私は創価学会の全ての人に、自分達の立ち位置を、今この時期に見つめ直してほしいと思っている。


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posted by ミル1000 at 01:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
民俗化・・・たしかにそう呼ばれるほどの会員数です。
何か人を惹きつける魅力がないと、ここまで会員は増えないでしょう。

それは何か?
「絶対に願いは叶う!」という紹介者の言葉です。
「幸せになりたい!」と切望する、問題や悩みを抱えた人達の心です。
人間誰しも、幸せを望むし・悩みも抱えて生きてます。
それらが希望どうりになる・・・それはとても魅力的な世界です。

でも、それは他の宗教団体も同じようなことを語ってると思います。
にもかかわらず、何故創価だけが巨大化したのか?
折伏と呼んでますが、組織化した地域ごとに布教活動を目標を掲げて
それは強烈に推し進めました。
その勢いで増えたのです。

仕事の都合をつけ、時には休暇まで取り活動したのです。
「折伏には大きな功徳がある!」
「宿命転換は折伏しかない!」
「未来は福運で輝く!」
そういう徹底した指導で、折伏すると自分に大きな功徳があると信じ、
嬉々として会員さんたちは勧誘活動に精を出したのです。

福運・功徳・・・物体のようにモノの形が明確じゃないだけに、余計に人はそういう言葉に魅かれます。

選挙運動もそうです。
「法戦」と呼び、さも仏法の正しい戦いのような・正しい活動のようなニュアンスをしっかりと植えつけます。
「選挙の戦いには凄い功徳があります!」
そう言って、会員さんたちを煽ります。
会員さんたちは嬉々として、また自分の福運がつくと信じ、自腹で選挙運動をするのです。

普通の会合も、やはり功徳がある・福運がつくと指導しますから、「行けば福運がつくし、友人や他の非活動の会員さんを誘えばさらに福運がつく!♪」
そう思い、タダのタクシーのようにセッセと動くのです。

功徳などの体験も披露します。
会合で、こういう活動頑張ったからこんな功徳を頂きましたぁ〜〜♪という体験発表はよく行われます。
それも全ての方じゃなく、ごく一部の方なのですが、士気を鼓舞するには
充分効果があるのです。

客観的に見ますと、とても哀れにも見えますが、所詮はルーツは会員さん自身の「欲」から出てる気持ちであり・行動なのです。


で、結果どうだったか?
願いが叶った人も多くいます。
叶わなかった人も多くいます。

叶った人も数ある願いの全てが100%叶ったわけではありません。
叶わなかった人も数ある願いの全てが叶わなかったわけではありません。

どっちもどっちなのです。
それが偽らざる現実の姿です。
なら、自分の大切な人生の時間とお金を費やすほうが愚かではないでしょうか?

でも、叶った事もあるし・それは嬉しい!
そう思い、また創価組織の言うままに活動を続ける方も多いです。
叶わなかったけど少しはよくなった!そう思い、活動続けてる方もいます。

自分が信じたモノや存在は、やはり信じていたい!
そういう心理だと思います。

ましてや幸せを夢見るのが人の心情です。
その言葉を囁かれると、人は自腹で動き・言われるままになるのです。

ただ、日蓮の教えや法が間違ってるとも思えません。
数十年間日蓮仏法を信じ、祈ってきましたが、それなりのパワーはあるように感じます。
ただ、昔創価が叫んでたように、それが全てで他は邪教だ!
とも確信を持って言えません。

釈迦もキリストも、同じ「真理」を指差してたような気もしています。
信仰と宗教とは違います。
人は困った時には、何かにすがりたいものです。
その気持ちを利用する部分が、宗教団体には少なからずあるように思います。
Posted by kan at 2009年08月09日 23:08
kanさん、こんにちは。

>願いが叶った人も多くいます。叶わなかった人も多くいます。
>叶った人も数ある願いの全てが100%叶ったわけではありません。
>叶わなかった人も数ある願いの全てが叶わなかったわけではありません。
>どっちもどっちなのです。

本当に、そう思います。
人生って、そんなものです。幸と不幸、喜びと哀しみが織り交ざったものです。だからこそ素晴らしいと思うし、感謝の気持ちも生まれるのでしょうね。
Posted by ミル at 2009年08月11日 15:59
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