2009年08月03日

愛が魔に変わるとき

学会員のAさん(某地区男子部本部長)にこんな質問をしてみた。

Q:創価を批判する私は、仏敵であり魔であるのでしょうか?私に幸せはあり得ない?私にはいずれ仏罰があり、地獄に堕ちるのでしょうか?

A:批判はかえってエネルギーになります。正直本当に怖いのは、ミルさんが偽装入会して役職を上げ、ここぞという時に組織破壊(大量の脱会者を出す)することです。そのレベルでようやく仏敵でしょう。
○○さん(←創価の彼)が退会に至れば魔になるでしょう。
なので、今現在であれば、逆に自ミルさん自身に功徳の出ることをされているのかもと思います。



私は何事も面と向かって正攻法で行くタイプなので、偽装入会など性に合わない。可笑しなことを想像されたものだ。
それから功徳はご勘弁願いたい。自分の行為に功徳を求めるなどという愚かしい考えは私にはない。

しかし、批判者に対して仏罰だの堕地獄だのという言葉はよく見聞きするが、「批判=功徳」という考え方は正直面白いと思った。
考えてみれば、ひとりの小さな批判であっても、それが数多く集まれば組織に大きな影響を与える可能性がある。
それが創価の衰退、もしくは更正につながる事になれば、批判の全てが創価学会に功徳を施したと言えるだろう。

さて、前置きはここまで。
今日書きたいテーマは「魔」について。

○○さん(←創価の彼)が退会に至れば魔になるでしょう。

この一文を見て、心の中にヒヤッと冷たい風が吹いた。

宗教の自由を尊重するなら(この点については次回の記事で詳しく触れる)、もちろん脱会も自由なはず。そう言いつつ、脱会を促した人間を「魔」と見なすのはおかしくないか?

Sokanet 新会員のために 〜障魔に打ち勝つ信心〜 の中にこうある。

煩悩や、夫や妻、子、父母、あるいは病気や死といっても、それら自体が初めから障魔であるというのではなく、これらに引きずられる修行者の弱い生命にとって「三障四魔」としてあらわれる、ということです。
信心を妨げようとする障りや魔を打ち破るものは、どこまでも、何事にも揺り動かされない強い信心そのものなのです。

(以上、引用)

家族や恋人を「障り、魔」などと言うこと自体、人の道に外れている。

マインドコントロールされた一人の人間を脱会に導く為に、どれだけの忍耐と、先の見えない時間、挫折に耐える精神的強さ、自分を支える知識、そして深い愛情が必要か、考えたことがあるだろうか。

自己満足の為に出来る事ではない。その行為に見出すべきものは、見返りを求めない、ただ一途な想い、愛情の深さではないのか。

もし、今、親や子、友人、恋人に脱会を促され迷っている方がいたら、どうか愛する人、愛される人の純粋な心を「魔」に摩り替えてしまう様な事だけはしないでほしい。
「結局、自分のことしか見えていなかった」と後悔する日がくる。

どんなに価値観や思想が違っても、人には超えてはいけない(超えられない)一線があると思う。
その聖域すら土足で踏み荒らす様な創価学会のやり方に、私は嫌悪感と怒りを抱かずにはいられない。

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posted by ミル1000 at 00:43| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
>批判はかえってエネルギーになります。

この言葉はある意味正解です。
創価は昔から批判や攻撃は受けてましたが、その度に強固に団結する形態がありました。
でも、それは創価に限らずそうなのです。
批判や攻撃は、その相手にエネルギーを与えるのと同じことになります。
それだけ意識して心から見つめてることは、その分相手はそのエネルーを得るのです。
「見つめたモノが大きくなる」
これは事実です。

なので批判や攻撃の意識じゃなく、事実を客観的視点で赤裸々に明らかに掲示する。
時折はそこに自らの感想を添える。
このスタンスを貫けば賢明だと思います。

感情的な批判や攻撃は、相手を感情的にさせてパワーを与えるだけです。
それに、そういう攻撃や批判だけでは創価の狂ったレベルと近く
他者の賛同や共感を得るのは難しいです。
あくまで、客観的な視点で事実を述べて感想を言えば、それが適切だと思います。

でも、ミルさんが今・創価の功徳が出ることをしてるとは思えません^^;。
何故、その方がそう仰ったのか?
私はわかりませんけど、今の創価に功徳はないと思います。
そのことは、数え切れない会員さんたちの人生が証明してると思います。

創価から離れたら「魔」の存在になる?
入ったら最後、もう抜けられない?
抜ければ「魔」になってしまうのでしょうか?

昔はそうは言わなかった。
入るのも辞めるのも、もちろん自由です。
拘束なんて出来ませんよ。
辞めたら、その人を攻めるような言葉なんか言ってたら、それこそカルトみたいじゃないですか^^。(笑)

そう言って、入会に誘い・試しに勤行したり一緒に活動したりしてました。
もちろん、やっぱり辞めます。と言って辞めた方も多くいますよ。
一応説得しますが、それ以上は言えないでしょう。
そういう活動でした。

別の場所では、人はみな仏が胸中にあると言ってます。
一定の集団に入らないと「魔」になるとは説かれていませんし
一定の集団から抜ければ仏が消えて「魔」になるとも説かれていません。

組織や構造じゃなく、本来信仰は人そのものに焦点を当てて見るものです。
その人の意思を尊重すべきでしょう。
ミルさんも他の方々も確信してらっしゃると思いますが、創価は今や仏教団体ではなく・独自の池田教になっています。
人の意見や気持ちを切り捨てて、従うことを強要し、異を唱えれば「魔」と呼ぶなど仏教でもなければ宗教と呼べる存在ではありません。

昔はまともだったが、今は違う。
狂ってる!
そういう声を昔から活動してる方がよく言ってますが、
もう完全に狂団になってる気がします。
危ないと思います。

もっと・もっと世間は引きます。
ほおっておいても、世間は引きます。
すでに、そこまで来てるように感じます。

ミルさん、言わせておけばいいと思いますよ^^;。
ホントに世間は相手にしなくなりますから。(笑)
Posted by kan at 2009年08月03日 01:40
kanさん、こんにちは。

私のブログを、創価が「魔」だと恐れるくらいの存在になってくれたら、すごく嬉しいんですけどね〜(笑)
Aさんにはいつも質問攻めで、回答保留のものもありますけど、嫌がらずに答えてくださることには感謝しています。
カレは黙り込むばかりで話にならないし、私の話を聞くだけで疲労困憊してしまうんですもん。
これからも、せいぜい自分の魔力に磨きをかけていきます☆
Posted by ミル at 2009年08月03日 14:58
>偽装入会して役職を上げ、ここぞという時に組織破壊(大量の脱会者を出す)することです。そのレベルでようやく仏敵でしょう。

その通りです。
『敵は内部だよ』
----戸田氏
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http://blogs.yahoo.co.jp/seigi55shonan/12327743.html
師子身中の虫の自ら師子を食うが如し、外道には非ず多く我が仏法を壊りて大罪過を得ん
(二乗作仏事、594p) 

〈通解〉
(仁王経には)師子身中の虫が自ら師子を食うようなものである。
外道ではなく、多くの仏弟子が仏法を破壊する大罪を犯すであろう(と説かれている)。 
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Posted by 隠す at 2009年08月03日 16:30
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