2009年07月30日

他人の不幸は蜜の味

表題、あまりいい言葉ではないのだが、こんな記事があった。

他人の不幸 科学的にも蜜の味だった
他人の成功や長所を妬んだり、他人の不幸を喜んだりする感情にかかわる脳内のメカニズムが、放射線医学総合研究所や東京医科歯科大、日本医科大、慶応大の共同研究でわかった。妬ましい人物に不幸が訪れると、報酬を受けたときの心地よさにかかわる脳の部位が働くという。13日付の米科学誌「サイエンス」に発表した。
(2009/2/13 産経新聞)

人間誰しも、多少の自覚はあると思う。もちろん、私も。
けれど、大抵の人間は、その蜜をそっと飲み込んで胸の中にしまう。
どんなに妬ましい人の不幸でも、それを喜ぶことには「罪悪感」が伴う。
普通の人ならば。

創価学会員が、脱会者や批判者の不幸を「仏罰」だと喜ぶのも、人間の本能だと言えなくもない。
問題なのは、それを大っぴらに喜び、声高に吹聴し、人の傷を更に踏みにじる様な言動が目立つことだ。

創価のやり方に対抗する様に、アンチ側にも、創価学会員の不幸を仏罰だとやり返す発言はよく見られる。
気持ちは本当によく分かる。そうだそうだ、と賛同したくなる。

だが、人の運命とは、他人には測り知れないものだと思う。

頭の冷静な部分で、学会員が騒ぎたてる仏罰がチャンチャラおかしいと思っているのと同じ様に、創価学会員の人生がどうあろうと、それもまた仏罰とは関係のないものだと分かっている。

若くして亡くなったのなら、それはその人の運命。病気になる事も、借金を抱えることも、夢破れることも、その真意は「神のみぞ知る」ところだろう。
蜜の味に酔って「不幸」と決め付けたがるのは、やはり愚行だと思う。

幸か不幸かは、いつの日か自分自身の中で答えが出るはずだ。

「バチ」というものは、他人に投げ付ける言葉ではなく、人が己の言動を戒める為に考え出したものなのではないだろうか。

−食べ物を粗末にするとバチがあたるよ−

例えばこんな言葉も、人間が世の摂理、あるいは宇宙の法則から見出した、自分自身への戒だったのではないかと思う。

【関連記事】
「現世利益」と「法罰論」

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posted by ミル1000 at 01:10| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
人の不幸を嬉しいとは思いませんし、少しでも自分に何か出来る事は?・・・そう考えますが、でも同時に自分はこうならなくてよかった。。。
という安堵感は私自身正直言ってあると思いますね^^;。

バチが当たったんだ!
ほら、現象が出た!

活動家の方々はそう仰る方が多いです。
昔、営業の仕事で忙しくて会合に出れない時が多かった時、
年上の壮年部や婦人部の幹部から批判されたことがあります。

私は現実が大切だし・創価学会なのはみんな知ってるし・創価を理解してもらうためにも手を抜けないと思い、必死で頑張ってたのですが
「アレは使い物にならない!何故、幹部にしたのか!?」とわざわざ会館の事務局まで訴えた先輩幹部もいました。

機関紙には「友への激励!」とかきれいな事を書いてますが、励まされたことも・理解されたこともありませんでした。
その後、職場で軽い怪我をした時、わざわざ家まで来て「ほら、現象が出た!いずれ出ると思ってたんだ!」と言いに来た先輩もいました。


この信心を続けるとこんな非常識な人間が出来上がるのか!と呆れました。
でも、当時はまだ若かったので、短気をおこさずそのまま頑張ろうと思い
信心を続けてました。
でも、先輩達がどう成長されていかれるのか・人間性と生活環境面と両方をその後、10年・15年・20年・25年、じーと見てまいりました。

向上した方は1人もいませんでした。
でも、「いったいどうされたんですか?」と尋ねたくなるほど落ちた方は
悲しいことに何人もいらっしゃいます。
その率直な気持ちを尋ねようとしても、当時の先輩は何故か若くして亡くなってる方が多く、気さくに尋ねれる方が殆どいらっしゃらないのが現状です。

一生懸命に長年にわたって、大切な自分の人生の時間と自分のお金で活動を続け、創価のモノを買い、工面をしてまで高額の寄付を続けた活動家の方々のほうがバチが当たってるんじゃないか!?

一体、どうなってるんだ?
池田氏が言った将来は悠々たる境涯とか福運とか・・・皆無じゃないか!
そう思わざるを得ませんでした。

もちろん、私のような体験をされた方ばかりじゃなく、立派な先輩と共に成長しながら人生を謳歌してらっしゃる方もいると思いますよ^^。


ただ、私のような体験をされた方も全国に数え切れないほどいらっしゃると思います。
創価の活動熱心な方でも、無宗教の方でも、他宗教の方でも
人生はみんな悲喜こもごもです。
みんな同じだと思います。

人が不幸と呼ぶような状況の時や大変な時、それを「バチが当たった!」
などと言うような、そんな心根の腐った人間ではいたくありません。
子供もそういう人間になってほしくありません。

何か自分に出来ることはないだろうか?
何か・たとえ些細なことでも応援出来ることはないだろうか?
そう思う普通の心情のある人間でいたいと思っています。
Posted by kan at 2009年07月30日 22:40
kanさん、こんにちは

>職場で軽い怪我をした時、わざわざ家まで来て「ほら、現象が出た!いずれ出ると思ってたんだ!」と言いに来た先輩もいました。

非学会員に嫌悪感を抱かせる大きな理由のひとつだと思います。
ネットでこうした体験談をいくつも読みましたが、その度に全身が言い様のない拒絶感で満たされます。

価値観や思想は人それぞれ違えど、人として踏み込んではいけない一線があります。
そんな感覚すら失わせてしまう組織を、私は絶対に許せません。
Posted by ミル at 2009年07月31日 14:53
学会の活動家はホントにオカルトが大好きです
Posted by 十六夜 at 2009年08月15日 21:15
十六夜さん、

折伏教典(P326より)
『真の宗教とは、いつ、どこで、だれが実践しようとも百発百中、その法則どおりの生活現象が現れるのである。正しい宗教は生活全般にわたって一分の例外もなく必然的となる超科学である。』

⇒創価は超科学!?⇒やっぱオカルト!!

(P328より)
『真の宗教は、流布徹底すればするほど、人類は幸福になる。どうしてこのようになるか。そこには、はっきりとした科学的論拠がある。』

⇒創価は科学的!?創価の幸福の科学的方程式は??
【財務+学会票=総体革命】 コレ成り立つ!?
Posted by ミル at 2009年08月16日 19:12
たまたま、このブログを発見して読ませて頂きました。共感できるところが多いです。この信仰は正しいと思いやって来ましたが、KANさんが書かれているように、組織にあまりに変な人が多い。人として??みたいな人が多く、10代20代の女子部の頃に婦人部のおばさまに意地悪に近いようなことをされ続けて、いつも泣いいて、それでも自身の信仰と周りの人間は別物と思い、頑張って来ましたが、やっぱりどうにも納得行かない部分が多くて、頑張って信仰してあんなおばさま達になるの!?みたいなお手本が多く、今は未活動、自分の人生見つめ直しています。
Posted by 遥 at 2010年04月28日 19:25
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