2009年07月16日

松下幸之助の「学ぶ心」

学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師である。
語らぬ石、流れる雲、つまりはこの広い宇宙、
この人間の長い歴史、
どんなに小さいことにでも、
どんなに古いことにでも、
宇宙の摂理、自然の理法が密かに脈づいているのである。
そしてまた、人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである。
これらのすべてに学びたい。

松下 幸之助

先日、とある学会員に「敵基地攻撃と船舶検査新法を体を張って止める」発言の見解を求めた。
2日間の沈黙の後、船舶検査法が国会に提出された日、以下の様なメールが届いた。

『実際には公明党は産経の書いてた記事の全く反対の政策をとっているらしいよ。昨日のニュースでも報道されてたって。マスコミが適当な記事を書いたみたいやで。』

私がイライラッむかっ(怒り)とするのがお分かりになるだろうか?
人から聞いた事をまる写しにして書いてきているだけで、何一つ自分の考えがない。

この学会員には、次の様な返事を送った。
『人の話を鵜呑みにして私に伝えないで。自分の目で確認して、自分の頭で考える癖を付けてください。
(公明党についてのくだりは中略)
何を信じるかはあなたの自由だけど、信じるものの根拠を、人の話だけに頼るのは止めた方がいい。あなたのメールの書き方も、他人に責任転嫁していて全く説得力がない。自分自身の発言として、その根拠を自分の知識と信念に置くように心がけて。』

この学会員、私が付き合っていた彼である。

創価学会の功績は、思考停止の人間を大量に作り出した事だと、よく批判される。
彼は、その典型と言えるだろう。(まぁ、もともとの頭の悪さもあるけど。)
彼にとって、池田大作の発言はもとより、男子部本部長、部長、創価友達、創価に属する全ての人の発言が無条件で真実となる。
そんな姿が、時に、とても憐れに思える。

さて、彼に入れ知恵をしたのが誰かは分からないが、この入れ知恵主は無責任な情報で彼を丸め込んで満足してるのだろうか。
私なら、彼に自分の頭で考える機会を与えようと思うし、そうしたはずだ。

創価の掲げる「教育」という理念が本物なら、彼は10年以上の創価との関わりあいの中で、もう少しアイデンティティのある人間になれたと思う。
「信者=一票」であるが故に、余計な思考力は邪魔とばかりに、自分の頭で考える機会も時間も与えず、不都合な情報を隠蔽し、耳に心地良い美辞麗句を並べ立てるのが、創価学会のやり方だ。

今一度、創価の敬愛する松下幸之助の言葉に目を通して考えてほしい。
多くのソースから知識を得ること、
その中から何を拾い上げるのかを自分の頭で考えること、
相対する考えをよく租借すること。
こうした事は、多くの創価学会員に欠落しているものだ。

そして、特に指導する立場にある方々には、自分の行動をよく省みてほしい。
仲間を愛する気持ちがあるなら、誰に対しても、その人にプラスになる方法で接するのが、本当の意味での「指導」ではないだろうか。
無責任な助力は、けっしてその人の「学び」にはならない。

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posted by ミル1000 at 14:06| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
松下幸之助氏の言葉を実感するには、些細な事に感動する自らの心根が必要だと思います。
道端の石に摂理を見て・頬を撫でる風に宇宙を感じて
生かされてることに対して天に感謝の気持ちが必要だと思います。

学びの心は、あらゆるモノへの感謝の気持ちがなければ本当の学びにならない気がします。

創価の活動家は自分にいい事があると・それは自分が活動した福運だ功徳だ!と語ります。
家族にいい事があっても、やはりそういう事を語ります。
全ての会員さんがそういうわけじゃありませんが、そういう発想の方がとても多いです。

自分にいい事があれば、そうなるように応援してくれた方やそういう因やご縁のあった方への感謝の気持ちが一番大切ではないでしょうか?

家族にいい事があれば、その方に対する感謝と賞賛の気持ちが一番大切ではないでしょうか?
自分のことは置いておき、些細な事柄に対しても「有り難いことだ」と心からの感謝の気持ちで接していく、それが本来の信仰者だと思います。

あらゆる事柄に謙虚な気持ちで感謝し、その方に・その存在に
その出来事に接していく。
その中に「学び」があるし、学べる自分もいる・・・そんな気がします。

それには「自分」の気持ちや考えを大切にして、周囲の言葉に傾かず
自分の気持ちに対してピュアな感覚でいることだと思います。
周囲や他の人がどう言おうと、自分が素直に感じ思ったこと
それがその人にとっての「真実」のように思います。

創価の活動家は自分の心じゃなく、言われた言葉で生きています。
言われた言葉のままに行動します。
そこには世界でたった一人の自分らしい人生は開かない気がします。

実際、活動家の人達で人生が向上してる人は
長い目で見ると殆どいません。
自分らしい人生を閉ざされてしまっています。
それでは「幸せ」はほど遠いと思います。
Posted by kan at 2009年07月16日 20:11
kanさんのコメント、とても共感できます。
私の周りの方たちから受けるイメージでは、都合のいいことは頷いてよく聞き、何十年も覚えているけれど、都合の悪いことは右から左へ受け流す〜♪という感じがします。
本当は都合の悪いことこそ、「なぜそうなのか?」と疑問に思い考えなくてはならないのに、スルーする。まるで本当に聞こえていないかのように。
こういう体質が「思考停止」と言われる所以でしょう。

学ぶということは、たとえ正解であっても人から教えられたものと、自分で考えて導き出したものでは、理解力も重さも違います。
これは学校の勉強を普通にしてきた人間なら、誰もが実感していることと思います。
創価学会では学会から与えられる情報こそが真実であり尊いもののようにしている。これでは誰も本当の意味で「学ぶ」ことはないんでしょうね。
Posted by クロ at 2009年07月16日 23:25
kanさん、クロさん、こんにちは。

私自身、こうして文章を書いていると、常に自分の無知と向き合う事になります。
創価に直面するまで、本当にちゃらんぽらんなOLで、恥ずかしいくらい何も知りませんでした。
先日も、mixiで「広布基金」を「公布」とか「交付」とか書いて注意されたんですけどね ^_^;)

創価の彼に出会わなければ、私はずっと無知なまま生きていたと思います。今でも、自分の知らない事があまりに多い・・・身をもってそう実感しています。

「学ぶ力」とは、避けて通りたい場所に敢えて赴き、見たくないものを直視して、聞きたくないことに耳を傾けることのできる力なのかもしれませんね。
Posted by ミル at 2009年07月17日 18:28
学会員系のブログから、松下幸之助と池田氏の付き合い:
http://kokoronootogasuki.blog.so-net.ne.jp/2009-02-05
========================
松下幸之助は、池田先生よりも、
20歳も、年上でしたが、
池田先生を、求めて、
創価学会本部や、聖教新聞社に、
おもむいたり、
また、ハワイで行われた、
創価学会インターナショナルの総会などにも、
老齢を押して、
池田先生を、求めるために、
参加している。
========================
怖いですね。
Posted by 隠す at 2009年08月03日 16:17
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