2009年07月10日

「言」と「動」の間にある溝 -2

創価学会員のAさんからメールを頂いたので、紹介させて頂く。

創価(池田大作)は時に耳障りの良い言葉を並べる。誰もが頷ける、納得できる言葉。それは、何も当別な言葉ではない。
私の父母、祖父母も、同じ様に当たり前の道徳を私に教え、私を育ててくれた。
Aさんの言う「あたり前なのに学会員にはできていない事」。それは、社会の常識であり、道徳と言われるものだ。

「言葉」と「行動」の間(はざま)にある溝、それに気づかない学会員が多い。「理想」と「現実」の間にはギャップがある。そのギャップをいかにして埋めていくか、それも宗教の目指すものの一つだという事を学会員は忘れている。いや、学会員にとっては、「創価学会=絶対的正義」が現実であるから、埋め合わせるギャップなど存在しない。与えられた絶対的思想に逆らわず、理想を追い求めなくなった人は、認知的不協和の起こる本当の現実から目を逸らす事しかできなくなる。

<以下、Aさんのメールより(省略箇所あり)>

私が座右にしている指導集を以下に挙げます。

【1】「希望の明日へ −池田名誉会長スピーチ珠玉集−」
   (聖教新聞社、1995年)
【2】「輝きの人間世紀へ −御書とその心−」(聖教新聞社、2003年)

上記の本は、折々の指導を様々な角度で分けて編集してあり、検索しやすいものになっています。私の年代の特に学生部経験者は必携の本と思われます。

例えば、【1】のP421「生活」の章では、

「信仰したからといって、決して、何か特別な姿になるわけではない
まして奇異な行動などあってはならない
学会員はどこまでも社会人であり、一市民である。ゆえに自分自身の仕事と生活を大切にしていただきたい。
また家庭を大切に、そして隣人を大切にしていただきたい。良き市民とし、良き国民として、この現実の社会の中で、模範の人間道を歩み通してほしい。
“正しい信心”による“正しい生活”を――。平成1.5.23」

とあります。
ごく当たり前の内容であり、なかなかできてない内容でもあります。

【2】のP354「信心即生活」の章では、

「家庭でも、職場でも、地域でも、人々から信頼され、尊敬され、好かれ、人々のために必要であり、欠かせない人になっていくことが、正法の信仰の証であり、広宣流布の前進なのである。

日蓮大聖人は、四条金吾に対して、こう教えられている。
『四条金吾は、主君の御ためにも、世間に対する心がけも立派である、立派であると鎌倉の人々から言われるようになりなさい』と。

当時、四条金吾は、讒言されて主君からうとまれ、所領を取り上げられるなど、苦難の最中にあった。大聖人は、苦境にあっても嘆くことなく、自己を磨き、人間として成長することこそ、真実の人間の生き方であり、仏法者の道である、と教えられているのである。

世間から、いわれのない批判や圧迫がなされたとしても、紛動されることなく、人間としての正しい生き方を貫いていく。その人は、最後には、必ず人々の賞賛と尊敬を勝ち得ることができる。――1993.2.10」

とあります。

周りから信頼されてこその信仰者でなければならないんだと思われます。

(以上、Aさんのメールより)
posted by ミル1000 at 14:52| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
珠玉・・・・池田氏の言葉によく使われてる言葉です。

たいした話じゃなく、普通の道徳的な話ですが、賞賛されないと気に入らない・俺は特別なんだ!という卑しい根性が「珠玉」などという言葉を添えさせるのでしょうね。
物笑い的要素だと思います。

「信心即生活」???

創価カルトさん、何を言ってるのですか!
その生活が、池田教の宗教を利用した狂ったようなタカリのために、商売化した無理強い購入のためにどれだけ会員の生活費が奪われ、生活が壊されたことか!

ウチは池田教に狂った婦人部幹部の妻がサラ金に手を出し、子供の教育費が吹っ飛びましたよ!
全て私がカバーしましたが、しなければ家が吹っ飛んでた。。。
池田氏は・組織は助けてくれたりはしません。
相変わらずタカリだけです。
その現状を全て知ってて、さらに上の役職を平気で妻に任命する組織・・・
腐りきった外道集団!!

ウチのような実例は全国に数え切れないほどあります。
経済的に追い込まれていく。
それほど池田教はお金を毟り取るのです。

そんな世界のどこが「信心即生活」なのか?!!

無難な道徳的なことを書かせて、本にして会員に買わせるのですよ^^;。

以下は、会合での池田氏の言葉です。
 ↓

「あのー、まぁ日顕(※阿部日顕前日蓮正宗法主)なんか、その(※イヤな奴の)代表だっていうんだ。ほんな、針金でゆわえて、あの頭、トンカチでぶっ叩いてね」(平成4年12月13日・全国青年部幹部会)

これは同時中継で流れたんじゃないかな・・
彼の肉声の記憶があります。
コイツ・・・バカか・・そう思った記憶があります。


「師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち返す。切り返す。叫ばなければ負けである。戸田先生も、牧口先生の仇をとると立ち上がった。私も戸田先生の仇を取るために立った。私の仇を討つのは、創価同窓の諸君だ」(平成8年11月3日「創価同窓の集い」にて)

勝手に自分が師匠だ、お前らは弟子だ!と位置づけされても迷惑です。
池田氏は戸田氏のために立ち上がってなどいません。
彼を利用して、さも立派な弟子だったように創作してるだけです。
まさに、「死人に口なし」です。


「怒りの炎を燃やして『戦闘』する!『叱咤』する!『攻撃』する!『追撃』する!これこそが仏法であり、正しき人間の道である」(平成11年10月11日付「聖教新聞」)

戦闘など・・・攻撃など・・・
信仰者のとるべき発言でもないし、まして行動でもありませんよ。

戦闘・攻撃的人達をも、大きな心で包み込む・・・みんな心の奥に潜んでる愛や慈しむ心を認め・称えてあげる。
それが信仰者というものです。

それを追撃だの攻撃だのと、内外に配られる機関紙に載せて、煽り立てるなど、気が狂ってるとしか言えない!
信仰者どころか、人間としてまともじゃないです。

>これこそが仏法であり、正しき人間の道である

そう言ってますよね。
これ世界中のモノ笑いの種になります。
そして真面目に仏教を行ってる各寺院や僧侶に失礼というものです。

池田氏は原稿を読まないと、まともな話は出来ません。
なので映像が映るような大きな会合では、必ず用意された原稿を読んでます。

それがなければ、何を言うかわかったものじゃないのです。
以前に、下半身の卑猥な単語をマイクを通して言ったことがあります。
ユーチューブ動画にもあります。
私も、唖然としました。。。

可憐な乙女のブログにはふさわしくない言葉なので、具体的には書きませんが^^;。。

いくら無難なことを原稿で読んでも、そんな言葉を並べて本にして無理やり会員に買わせても、時折見せる本音の顔・・・腐った根性と言葉。
それらで池田氏の本性は多くの方々が気づき始めてると実感しています。
Posted by kan at 2009年07月11日 00:20
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