2009年06月26日

自分の意思で選んだもの

人間は、意識的にも、無意識にも、毎日の生活の中で、必ず何かを選択して生きている。
それは、自分の人生を左右するほどの重要な選択(例えば進学、就職、結婚の様な)だったり、逆に「ラーメンにしようか、ペペロンチーノにしようか」みたいな、日常の些細な事だったり。
でも、人は、毎日必ず何かを選んで、何かを切り捨てて(諦めて)、一生のうちで数え切れないくらいの選択をしながら生きているものだと思う。

私は、人には、自分の選択をしっかりと意識して、明確しなければいけない時があると思う。
自分が何を選んだのか、何故それを選んだのか、自分の中できちんと認識していないと、自分の選んだ道に無責任になってしまう。

以前、彼は、「どちらも(私も創価も)大切だから、選ぶ事なんて出来ない」と言ったが、「選べない」と言って目の前の決断から逃げたり、後になって、「そんなつもりはなかった」とか「切り捨てたわけじゃない」と言い訳の道を残したりする事は、無責任な行為だと思う。

そんな風に自分の決断と向き合えない人は、その後の人生も、惰性で流されて生きていってしまう危険性がある。
迷ったり、悩んだりした時こそ、苦悩の中から見出した自分の結論をしっかり認識して、自分の選択に責任を持つ生き方をしなければ。

彼の選んだ道は、「恋人の理解を得る為に何かをする」事より、「今の生活(信仰)に波風を立てないようにする」事だった。違うだろうか?

彼が、自分から進んで何かをした事(私を説得する為に)は一度もなかった。
「理解してもらえないなら、諦めるしかない」
最後までこのスタンスは変わらなかった。
「どちらも大切」なんじゃない。大切な方は、始めから決まっていた。
ただ、未だにそれを口にできないだけだ。

「説得できない恋人を、諦めて手放した」
そして、
「たとえ恋人を失っても、創価学会に留まることを望んだ」
これが、彼の結論だ。

逃げてると思われたくないなら、誰に対しても(学会員にも、友達にも)、もちろん私に対しても、堂々とそう言うべきなのだ。

私達がうまくいかなかった原因は、創価学会という宗教団体の存在である事は間違いない。そこから目を逸らしていては、何も変わらない。
今の様な、無知な自分に甘えた生き方をしたいなら、それでいい。
創価を共有できるお相手を見付けて、居心地のいいその世界で、よく分からない大儀の為に、一生闘っていればいい。

ただ、いつ如何なる時も、自分の人生の責任は自分にあるということは、忘れないでもらいたい。
  
posted by ミル1000 at 16:51| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
人生は選択の連続です。
常に何かを選択しつつ生きてます。
AとB、どちらかの選択で後でしまった!と後悔する時がありますが
大きな流れで見ればどちらでも正解のような気がします。

その時の自分のレベル・ステージで選んだこと
それはやはり「正解」と呼べる選択のように思います。

彼は貴女の理解を得るために、努力すべきだったと個人的には思いますが、それも人ぞれぞれで性格によっても対応も異なるのでしょうね。

でも、彼の説得に応じて仮に創価の世界に身をおいたとしても
トラブルはあると思います。
だって、あまりに異常ですもん^^;。

その誰でもわかるような客観視が出来なくなる・・・・
宗教はそんな怖さがあります。
知らず知らずのうちに、マインドコントロールされてる。
知らず知らずのうちに、依存していて自分の生活中心じゃなく全てが創価の活動中心になっていく。

本来は個々人の生活や人生をより意義あるものにするために
より向上させるために信仰はあるものです。
それが宗教団体に隷属する生き方は、全く逆でその人らしい人生が歩めなくなります。

尤も、創価は宗教団体じゃない・狂った経済カルトだと思います。
いや、そうなってしまったと言ったほうがいいかもしれません。
もちろん、信仰などと呼べるものではありませんね^^;。
Posted by kan at 2009年06月27日 19:00
kanさん、
昨日、彼の引っ越しの手伝いをしてきました。
これからどうやって自分の生活を建て直していくのか、まだまだ心配事は尽きませんが・・・。
↑の記事は、彼に手紙で渡そうと思っていたんですが、数日考えてやめました。
彼はこのブログの存在を知っています。本気で私を知り、私の想いに触れようとするなら、自分でここを訪れ読む事ができますから。
私が彼の説得に応じて創価に身を置くなんて事は、天地がひっくり返ってもないです!ただ、彼には私を説得する為に自分で考え、知り、話す事を努力してほしかったです。
Posted by ミル at 2009年06月28日 12:19
ミルさん>

>彼はこのブログの存在を知っています。本気で私を知り、私の想いに触れようとするなら、自分でここを訪れ読む事ができますから。

まったくこの通りです。
でもたぶん彼氏はブログ記事の通りに「彼が、自分から進んで何かをした事(私を説得する為に)は一度もなかった」。だから読んでいないと思います。
読んだら自分が反対されることがわかる、そして自ら反対される苦痛から回避する本能がありますね。しかたないです。
Posted by 隠す at 2009年08月03日 11:58
ミルさん>

追伸します。
ちなみに、選択行為もMCの理論と関係あると思います。
MCの重要な一つポイントは、選択しを限らせる。
つまり本来はA/B/C/....Zの複数選択肢ありますが、学会はMCのためわざと二つ選択肢に限った。
たとえば、善⇔悪、正義⇔邪悪、絶対の幸福⇔相対の幸福など。
これで、学会員の選択はますます学会に操縦されると思います。

長文で失礼しました〜〜
Posted by 隠す at 2009年08月03日 12:10
隠すさん、
さすがの洞察力。彼はへたれなので、このブログを読む事から逃げてます。仰る通りの「反対される苦痛から回避する本能」ですね。
彼が何故創価の信仰に拘るのか、私なりに様々なことを考えています。彼の目の前で創価の不正を暴くだけでは、彼をMCから救い出すことは不可能だろうと思います。
ただ、彼の心にもっと近付くためにどうしたらいいのか、まだ分かりません。
彼には「創価学会員と付き合うつもりはない」ときっぱり突き放していますが、創価の会合等々で交流はあります。
中途半端な接し方で、彼を傷つけるだけで終わりたくないのですが、私の時間と状況が許す限り、彼の為にできることを考え続けようとは思っています。
Posted by ミル at 2009年08月03日 15:17
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