2009年06月15日

日中国交正常化の立役者

1987年9月、池田大作は日中国交正常化についての提言をした。

「今日こそ日本は、この世界的な視野に立って、アジアのの繁栄と世界の平和のため、その最も重要な要として、中国との国交正常化、中国の国連参加、貿易促進に全力を傾注していくべきであることを重ねて訴えるものであります」

創価学会では、この池田提言によって日中国交正常化が実現されたと主張し、そう学会員に教え込む。
池田大作自身が、「日中国交正常化の立役者は自分である」と自己アピールしているからだ。

だが、島田氏は著書の中でこう指摘している。

(以下引用)----->
日中国交正常化までの過程を記した本を読んでみると、創価学会や公明党関係のものを除けば、池田の提言が重要な役割を果たしたという指摘は全くなされていない。そもそも、池田の提言自体言及されていないのが一般的である。
(中略)
現在の創価学会、公明党は、この池田提言を、当時の中国が高く評価したかのように主張している。しかし、1974年5月に、池田が初めて中国を訪問したとき、池田は毛沢東主席にも周首相にも会うことができなかった。もし中国が、池田提言を本当に評価していたとするなら、少なくとも周首相は池田を歓迎したはずだ。

<-----

出版物を見ても、池田提言を評価している(提言に触れている)文章は全て、学会系出版社から出されている。
日中国交正常化においては、池田大作より、公明党元委員長 竹入義勝の果たした役割の方が明確であり、その功績は大きい。
しかし、国交正常化の功労者として竹入が評価される一方で、池田提言が思った程に評価されない事が火種となって、竹入は創価学会によって激しく糾弾されるようになった。

創価学会の目的は、学会系メディアを使って池田提言への評価を意図的に作り上げ、竹入元委員長を貶めることで、その功績を奪い、池田の功績にし立て上げる事なのだ。

しかし、池田提言が日中国交正常化に大きな影響力を持たなかった事実は、その経緯を記した書籍(もちろん学会系出版以外の)を読み、中国側の対応を見れば、容易に知れる事である。

先の引用にもある様に、池田氏は国交正常化(1972年)後の訪中時(1974年)に要人との面会が叶わなかった。
更に、1998年に来日した江沢民主席は、池田氏との面会に先立って、竹入元公明党委員長と懇談している。江主席は、日中国交正常化に寄与した人物として竹入氏を迎賓館に招き、「周恩来首相は生前、水を飲む時に井戸を掘った人を忘れてはいけない、と言った」と発言し、日中国交正常化や日中平和条約の締結に寄与した竹入氏らの業績に感謝の意を表している。


創価学会員が信じている日中間の歴史は、創価学会が自分達に都合のいい様に創り上げた捏造に過ぎない。
知識の収集を、聖教新聞の記事や会合の演説、内部の出版物に限定してしまうから、自分の歴史認識が誤っている事に気付かないのだ。
偏った知識には、何の説得力もない。誰を納得させる事も出来ない。
必要なのは、多くの情報に触れ、そこから真実を拾い上げる判断力を身に付ける事ではないのだろうか。

学会外に溢れる情報は、仏敵でもなければ、魔でもない。
それは、人を正しく導く為の道標なのだと思う。


<参考>
■民俗化する創価学会(島田裕巳著)
日中国交正常化(Wikipedia)

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posted by ミル1000 at 14:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
竹入さんが日中国交正常化は自分も貢献したと発言したことが
池田氏の怒りに触れ、非難中傷が始まったのです。

池田氏が参加してる会合で、40分にわたって「おのれ竹入め!」と怒り
怒鳴り続けたそうです。
そのことを同席してた幹部が友人の会員に話しました。
その友人の会員と私はメル友なので、そのことを知りました。

あとは聖教新聞で非難中傷の嵐です。
私も読みましたが、内外の様々な人達が見る機関紙に
よくこれだけ汚い言葉で非難中傷が出来るものだと呆れました。

ちょっと、吐き気すらしました。
そう思うのは私だけじゃなく、普通の見識を持った方なら誰でもそう感じると思います。
聖教新聞を配達してる壮年部の方が、とても恥かしくて配達出来ない・・・と悩んでいました。

個に対して、膨大な財力と国家権力を持った組織が集団で攻撃する。
まさにカルトの特徴だと思います。
ましてや、竹入さんは矢野さん同様に身を削って創価・公明のために必死で働いてきた方です。

そんな貢献者を、気に入らないからと組織で攻め立てる。
裁判まで起こす・・・裁判で勝てば大々的に聖教に載せて
負ければ一切情報は載せない。

およそ宗教者のすることではありません。
要は池田氏の狂ったヤキモチなのです。

現実には社会的には、竹入さんの貢献は充分に理解され
わかってるわけです。
仮に、竹入さんがとても大袈裟に自分の功績をPRしたとしましょう。

それでも、「そうだね。よくやって立派ですね^^」
そう称えてあげるのが宗教者というものだと思います。
それを集団で攻め立て、功績を称えないばかりか、否が応でも無理やり
自分の功績にしたい!という腐った根性・・・世間は笑ってると思います。

「勲一等旭日大綬章」を貰ったのも、池田氏は気に入らないのです。
池田氏は自分がトップで、自分が尊敬され認められ
賞賛されないと気に入らないのです。
別の議員が「賞」が貰えるようになり池田氏に報告すると、「生意気だ!」と怒ったそうです。
元本部職員が書いた本に載っていました。

公明党をよく池田氏は、コンペイトウと呼んでました。
同時中継で私も見ました。
それを周囲は、愛想笑いで合わせるのです。
池田氏にとって公明党は、野望の為の犬であり道具なのだと思います。

なので、自分よりも功績があることは嫌でたまらない。
腹が立ってしょうがないのです。
自分が国王なのです。
功績は全て自分じゃないといけないのです。
だから、創価学会はこのままではいけない!そう思い、進言した幹部は
排除され追放されました。

秋谷さんも仕事が出来て人望がありましたが
それが池田氏は気に入らない・・・
なので何かの度に攻め立てられるのです。

人は攻め合うものじゃなく、称えあうべき存在です。
感謝しあうべき存在です。
それが本来の人の生き方だと思います。

ましてや、信仰者なら宗教者なら些細な事でも感謝し合い、称えあう。
普通なら起きて当然のような諍いも
大きな心根と視野で包み込んであげる。
それが宗教者の振舞いだと、私は思います。
Posted by kan at 2009年06月18日 19:11
kanさん、こんにちは。

創価学会を「宗教団体」とは言えないですね。
ソフトに言えば「池田大作ファンクラブ」、言い換えれば「擬似北朝鮮集団」かな。

以前、男子部の部長サンにお会いした時に、「あの松下幸之助も、池田センセイを高く評価していました。あの松下さんですよ!」と力説された事があります。

そうそう、あの『経営の神様』とも言われた旧松下電器の創設者ですよね。
ビジネス抜きの関係だったんでしょうかね。
しかし、何かと言うと「他人の権威」にすがろうとする姿勢は、改めた方がいいですよね。 何の説得力もないし。

池田サンは、この松下幸之助の実力と資産に対しても、相当な嫉妬心があったと、どこかのサイトで読みました。
kanさんのコメントで、あり得ない話ではないなぁ、と改めて思いました。

富や権力は人を狂わす。
池田氏も、間違いなく、その魔力に負けたひとりですね。
今となっては、年老いるごとに、欲求という本能に支配されていくだけの人じゃないのかな。
Posted by ミル at 2009年06月19日 13:25
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