2009年05月24日

Jupiter

平原綾香の「Jupiter」は、大好きな曲のひとつ。

初めて聴いた時から、この言葉がずっと心に残っている。

 愛を学ぶ為に孤独があるなら
  意味のないことなど起こりはしない



るんるん<YuTube>で聴く

 Music by G.Holst
 Lyrics by 吉元由美

 Every day I listen to my heart
 ひとりじゃない
 深い胸の奥で つながってる

  果てしない時を越えて輝く星が
  出会えた奇跡 教えてくれる

        私のこの両手で何ができるの?
        痛みに触れさせて そっと目を閉じて

    夢を失うよりも悲しいことは
    自分を信じてあげられないこと

  私を呼んだならどこへでも行くわ
  あなたのその涙私のものに

         私たちは誰もひとりじゃない
         ありのままでずっと愛されてる

    望むように生きて輝く未来を
    いつまでも歌うわ あなたのために・・・

  
posted by ミル1000 at 14:51| Comment(5) | TrackBack(0) | Songs in my Heart
この記事へのコメント
この世界観、宇宙観、恋愛観はあらゆる境界を越えて心に響きますね。

瑣末なことにはとらわれず、でもなおかつ自分らしくありたいものです。
Posted by よっこん at 2009年06月17日 04:44
よっこんさんも、この曲好きですか?

私は、「この身に起こる幸不幸に無意味な事なんてない」んだと、この曲を知ってから、いつもそう思ってきました。

人生の中で、思いがけず不幸な出来事に出くわしてしまう事は、一度や二度ではないですよね。大切なのは、そこから何を学ぶかだと思うんです。

何かを見出す事が出来たら、それはもうただの不幸な出来事ではなくて、意味のある出来事となり、自分の財産となる。

つまり、人の幸不幸を決めるのは、他の誰でもなく、自分自身なんだと言う事です。 師でもなければ、宗教でもない。

人の苦難を指して、「罰」だの「地獄」だの「魔」だの言う人達に、その心と世界の狭さ、愚かさを感じる事はありませんか?
Posted by ミル at 2009年06月18日 18:51
「心の師とはなるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文ぞかし」(曾谷入道殿御返事 御書P1025)という言葉がよく引用されることがあります。

信仰、家族、友人、書籍、音楽、映画、絵画、それらを貫く人間の本質に触れて幸不幸を感じるのだと思います。

心の師となるのは自分です。

その自分は取り巻く存在の中で作られ自覚されます。

幸不幸の責任を環境に移したときが、心を師としてしまったときでしょう。

幸不幸の責任を自分と自覚したときが、心の師となったときと思われます。

人の苦難を謗る心そのものが魔であり、悪であり、地獄・餓鬼・畜生・修羅の姿です。

それこそ法を下げる行為です。

断じて許しては成りません。

恐らくその先の「仏法上の」という捉え方で、大きく相違が出てくると思われます。そこはまた改めて。
Posted by よっこん at 2009年06月19日 00:38
よっこんさんの捉え方が、仏法の思想そのものだと思いますけど。
云わんとされる事は理解できます。なるほど、と素直に納得もできます。

>その先の「仏法上の」という捉え方で、
のくだりがよく分からない。

故人を罵ったり、敵対者を中傷したり、脱退者に地獄に堕ちると言ったり、創価以外に幸福になる方法はないと吹聴する事が、「創価仏法上」では、「魔」ではなく、一転「正義」に変身すると??
Posted by ミル at 2009年06月19日 12:48
続けてよろしくお願いいたします。

以前、お話したときにも引き合いに出したかも知れませんが、

釈尊当時の提婆達多や、

日蓮当時の五老僧と、

仏法をひろめる際には、教団の“内側”から教団を破壊しようとする人物が出ています。

「悪鬼入其身(あっきにゅうごしん)」といって、悪鬼がその人物に入り行動を起こすという原理です。

悪鬼は欲であったり、嫉妬であったり、よく池田大作の中に充満していると言われているところのものです。

ただ、今までの学会批判の輩への攻撃を見ていると、直接の説得から始めて、事ここに至れりとなった段階で猛烈に攻撃を始めています。

知り合いの父親が矢野絢也と党関係で繋がりがあり、やはりそういう方は、個人的な恩も実際あって心労はあるようだと知り合いが言ってました。

人物云々よりも、そのような存在は仏法上、徹底的にしばかなあかんということです。

そこが世間には異常であり、理解不能であり、小さな子を持つ学会員でもちょっとなーとなるわけです。

絶対悪であり、ある意味必要悪でもあるわけで、個人的には、ご老体同士お互い大人しく余生を過ごしてもらいたいところですが、決着(=亡くなるということが、さらにおどろおどろしさを増してますが)着くまでは終わらないです。

では。
Posted by よっこん at 2009年06月24日 03:00
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