2009年05月17日

別れ

彼に、もう会うつもりがない事を伝えた。

三度の「ポイ捨て」が堪えた。
やはり、宗教人として、いやそれ以前に社会人として当然持つべきモラルが備わっていないのは、彼自身の責任だと思った。
本来、宗教活動を通してこうした意識改善も為されるべきなのだろうが、あの攻撃的な会合で環境意識が養われるとは思えない。しかし、彼のモラルの欠如の原因を、創価の教義に帰するにも無理がある。
彼自身の人間性の問題だろう。

彼が、この愚行の為に私に見限られる事になっても、創価に捨てられる事はないだろうから、ある意味安心はしている。
彼が、今回の事をどこまで内部に告白するのかは知らないが、妥当な落ち着き方はこんなものだろう。

「確かに彼女の言う事は正論ですね。今後気をつけていきましょう。
彼女が創価学会を批判するのは、私たちの事をまだ十分に知らないからでしょう。
けれど、君が彼女を同中や座談会に連れて来た事は、とても意味のある事ですよ。君の行いは『下種』となっていつか花開くはずです。
数ヶ月間、彼女の批判に耐えて、よく頑張って対話しましたね。
彼女もいつかきっと、創価学会の正しさを理解してくれるでしょう。」

想像(創造)し過ぎだろうか?当たらずとも遠からず、といったところか。
何にせよ、彼は創価と共に、「彼が」幸せだと思う道を進んでいくのだろう。

私の思いが通じなかった事は、悔しいし残念でならない。
昔付き合った人とも、しょっちゅう思考が噛み合わず、何度も何度も歯痒い思いをした。
でも、どんなに涙ながらに訴えても、通じない思いはある。
他人に思いを伝える事が不可能だと言っているのではない。
どんな情熱や愛情を持ってしても、それだけではダメなのだ。
同じだけの忍耐と根気と思いやりと、そして想像以上の時間が必要なのだと思う。

今私が直面している問題は、宗教的思想の違いに加えて、人間の品格を問う価値観の違い、それは「ポイ捨て」だけではなく、金銭の問題にも及んでいる。
私には、これ以上、彼を支え、先の見えない時間を彼と共に過ごす「意味」を見出すことができない。
  
posted by ミル1000 at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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