2009年04月07日

「善」の哲学

ブログをお読み頂いている学会員の方から、「『善』とは何か?」
という質問が届いた。
コメント欄で回答するには、長文になり過ぎるし、折角なのでここに記載しようと思う。
私と学会員さんのこれまでのやり取りは、4月以降のコメントをご覧頂きたい。
今日の記事は、4/6のコメント「さくら by 学会員 (04/06)」への回答になる。
タイトルを「哲学」としたが、そんなご大層なものではない。

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ご自分の固定観念に当てはめて考えるタイプなんですね。
「哲学」だったり「思想」だったり「宗教」だったり。
ご専門は理系ですか?
でも、学会員の方は「哲学」という言葉がお好きですね。
彼も使っていました。
まぁ、彼の場合、あなたの様に確固たる考えを述べる事はできないんですけどね。
私が言うのもナンですけど、彼は考察が浅いから。。。

私の専門は英語なんですけど、若い頃に海外をフラフラしていたせいで、考え方が一所に定着しなのかな。
自分と全く違うものを咀嚼する力は、私の長所だと思うんですけど。

インドの混沌の中に「生と死」の共存を感じて、
タイの山奥の小さな村で生きる人々の世界の大きさを考えて、
イタリアの美術館で、宗教画の荘厳に触れて、
オセアニアの大自然に心癒されて、
ニューオーリンズでは、その文化を肌で感じてゾクゾクしてました。

私の考えは、「哲学」みたいな確立されたものではないです。
言葉を当てはめれば「価値観」なんですけど、私の価値観は、色んな出会いを通じて、影響を受けて変化しているので、何かの枠に当てはめる事はできないんじゃないかな。
私は、変わっていく事を重要だと思うけど、「価値観」の核の部分は、基本的には変わらない。
それは、その核が私の「善」に基づくものだから、なんです。

では、「善」とは何か。
おっしゃる通り、とても難しい質問です。
心で判断する要素も大きいから、なかなか文章にはしづらいですが、
例えば・・・、

嘘をつかない、人を裏切らない、騙さない、過ちから目を逸らさない、
驕らない、生命を尊ぶ、平和を尊ぶ、そして、「無償の愛」を忘れない


数え上げればキリがないですね。
全て『心の真理』に背かない行動をすることです。
当たり前のことだけど、未熟さ故に忘れてしまいがちなこと。
人として大切なものなのに、一度見失うと、なかなか探し出せない。
手放した事に気付かないから、もう一度手にする事が難しい。


こんな答えでいいでしょうか。
以前のコメントに「宗教的思想、哲学の観点からの善悪・幸不幸の判断は、第3者に及ぶものではない」と書きましたが、今回も同様です。

難しいテーマですが、考察を深める良い機会になりました。感謝です。
彼にも、伝えようと思います。
posted by ミル1000 at 13:56| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
ミルさん
ご返答、ありがとうございます!!
しかし、ミルさんの「善」はタイヘンですね(^^)
スッゴクいっぱいあって、「哲学」というには、あまりにもアヤフヤです
哲学者トルストイは
「他人にドウドウとメイカイに語れない哲学は哲学ではない」
といいました
ミルさんの哲学は「幸せ」も「善」も「ドウドウと」「メイカイに」とは、あなた自身も言っているとうり、ほど遠い
あなた自身「自分自身もまわりのみんなも全員、幸せになるために努力する」と、言っているのですが
「じゃあ具体的にどうするの??」と聞くて
「そんな方法はない」と答える
しつこいようですが、またまた質問させてください
ミルさんの「人が幸せになる具体的な方法なんかない」という哲学は、「善」か「悪」か、どっちですか?
Posted by 学会員 at 2009年04月08日 00:13
こんにちは

「さくら」の記事にコメントされているコオロギ丸さんが指摘しているとおりです。
この「学会員」は論理性などなく、しつこく同じことを繰返すだけですので、ある時点で見切ってしまうのがいいですよ。

試しに、このブログでの「学会員」の無法ぶりと幼稚さを確認してください。
http://blog.livedoor.jp/canary_wind/

「学会員」の言う善悪ってのは非常に単純馬鹿で「学会=正義」「学会批判者=悪」にすぎません。

賢明な管理人さんは、すぐにわかると思いますが、どうか振り回されませんように!
Posted by 藁人形 at 2009年04月08日 09:45
だから・・・
「哲学」なんてご大層なもんじゃないんですってば。
学会員さんは、あまり文章をジックリ読まないタイプですねぇ。
私の価値観は「不変」にあらず、「普遍」かつ「不偏」である。
自ら、そうある事を心がけているんです。
(余談:全部「ふへん」と読むのに、意味が全く違うのが面白いですね。文章を書いていると勉強になります。)
凝り固まった考えを持ちたくないだけで、あやふやな訳じゃないんですよ。
善悪を判断する明確な「真理」は持っていますからね。
人の人生は千差万別です。そこに共通する幸せの方法が、唯一、
創価学会の教義であり題目である、とは私には言い切れない。
少なくとも、私には当てはまらないし、私は、幸せを捜し求めながら
生きていく人生が好きなんです。
四苦八苦しながら、試行錯誤しながら、遠回りしながら、それでも
幸せな自分の人生は、何物にも代えがたい。
これで3度目になりますが、
『人の幸不幸や、宗教的思想・哲学に基づく善悪の判断は、
第3者に及ぶものではない。』
これが、今回の私の回答です。
創価学会の方が、法華経を幸せの根底とする事に正誤、善悪を求める必要はない。
他者の思想についても然り、です。

何度かやり取りさせて頂いて、ひとつ思う事があるのですが、学会員さんは、私の文章をご自分の視点だけで解釈される傾向が強いと思います。
「人の意を汲む」ことも大切だと思いますよ。
Posted by ミル at 2009年04月08日 10:17
藁人形さん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
学会員さんとのやり取りは、確かに「噛み合わない」部分が多いのですが、最近は時間もあるので、今のところ負担にはなっていないです。ご心配ありがとうございます。
「学会員の彼」を抱えている私としては、噛み合わない人とどうやって意思疎通するか、という事は、当面のテーマでもあるので・・・(^_^;
Posted by ミル at 2009年04月08日 11:19
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