2009年03月30日

学会役員サンに会う

以前、男子部の役員さんにお会いした事がある。
「創価学会」の目的や活動やらを説明して欲しいという私の要望に応えて頂いた。

役員さんの話は、とてもマニュアル的だった。
学会員と話をすると「噛み合わない」と感じる。正にそれだった。

で、次は別の役員さんに会わせてほしいと彼に頼んだ。
ご本人(Aさん)に快諾頂き、先日、お会いした。

学会3世、創価大出身の人だと聞いていた。

私は、彼も同席するこの場で、学会の嘘と矛盾、誤りをトコトン追及しようと思っていた。
事実のみを話し、彼に「事実」が「中傷」でない事を分からせたかった。

裁判敗訴、マインドコントロール、聖教新聞や同時中継の罵詈雑言、強引な折伏や新聞啓蒙、一般人との隔たり。


Aさんは、彼の隣で、私の批判の全てをあっさりと認めた。

打算ではなく、正直な考えを話してくれたと思う。
少なくとも私はそう感じた。
人間的に、何か魅力のある人だと思った。
何事においても極端になりがちな学会員の中にあって、冷静な(本人曰く「冷めた」)思考を持っていた。

帰宅後、ひとりになった時、自分の「人間の小ささ」を感じた。
そして、Aさんのある種の魅力は、創価学会と共に生きてきた数々の経験の中から、身に付けられたものなのだろう、と、ふとそんな事を思った。

Aさんが、学会の問題を認識していながら、何故その組織の為に働くのか?
学会活動から得る充実感が大きいらしいのだが、学会自体を認めない私にその充実感も活動の意義も、理解し得るものではない。

信仰心についても、「題目を唱えて宇宙を感じる」という様な感覚は、さっぱり分からない。

私の中で、「創価学会」=「悪」は成り立つ。
学会によって公言される嘘、犯罪、学会員による重大事件の数々。
日本の司法やメディアがこれらを避けて通る今日、グレーのまま葬り去られる問題が余りに多い。

問題を認識できているなら、内部から声を上げるべきではないのか。

歯がゆい思いで胸がいっぱいになる。
posted by ミル1000 at 16:43| Comment(3) | TrackBack(0) | 学会訪問記録
この記事へのコメント
はじめまして。
私も2年前から身近な方に学会の方がいらっしゃいまして、同じような悩みをかかえています。

最初は、心の拠り所になるのなら、別に良いだろうと存在は否定していなかったのですが、1年前に折伏のための集会に半ば何も知らずに参加して、嫌な思いをしてから、もう駄目です。。。

身近な人は良い人だけど、組織としての学会は、良いとは思えないから、辛いです。座談会も出席しましたが、何も楽しくありません。
また、ちょこちょこ覗きます。ミルさんも急がずに一歩一歩良い方向に向けられるように、頑張って下さい。

この世の中、絶対はありません。
Posted by passo at 2009年04月03日 19:54
passoさん、
コメントを寄せてくださってありがとうございます。
私も、会合、座談会、地域幹部との話し合いなどをしてきましたが、幸いにも強引な折伏など、嫌な経験をまだ一度もしていないんです。
恐らく、地域によって学会の内情はかなりの違いがあるのではないか、と思っています。
ただ、話が「噛み合わない」思いはしています。
ご近所の方であれば、今後もお付き合いをしていく事になると思いますが、ご自分の意思だけはハッキリと伝える様にしてくださいね。
私も微力ながら頑張っていきます。
また、コメントお待ちしています。
Posted by ミル at 2009年04月03日 20:15
私のことも少し書かないといけませんね。
2年前に、社長さんと私しかいない会社に転職しました。社長さん夫婦が学会員です。社長の奥さんの方が熱心な学会員&元々私の知り合いで、公明党云々言われていたので、学会員であることは知ってました。

私自身、キリスト教系の新興宗教に6歳から20歳くらいまで通っていたこともあって、学会も否定はしてませんでした。

1年前、奥さんに○○という有名人の良いお話が聞けるから一緒に来て、と言われて行ったのが、例の折伏のための会合でした。

会合が終わってから、1〜2時間くらい、3人がかりで説得タイム。社長さんの奥さんは、そんなに理詰めで言わない人だったので、私は何とも思っていないのですが、そのときいた初対面の人に、「この信心が理解できないなんて可哀想」と言われたのが、今も心の傷です。まぁ気にしてませんけど。

これでストレスが溜まって、社長の方に不満を全部ぶつけたら、今度は社長夫婦が離婚しかける始末にまで発展してしまい、私も反省して、学会とつかずはなれずで接しています。

つきあいで聖教新聞とってますが、読んでて不快なことばかりです。これが池田先生の手紙なら、どれだけ池田先生は、心の荒んでいる人だろうと思います。

前に通っていた、キリスト教系の新興宗教も、この宗教を信じてたら私たちは救われる、復活できる、と何度も聞かされました。でも、死後の世界で楽しく生きるために、これだけ教会に時間を割いて、辛い思いをしないといけないのか。普通に教会に行かず普通に真面目に生きてる人が地獄に落ちるのか?と考えると馬鹿らしくなりました。それでも、心の拠り所を失うことも正直辛かったんですけどね。

学会も、あの宗教にそっくりです。そして、身近な人は、そこにどっぷり浸かっています。それもこれも、現実として受け止めています。
自分で無理矢理何か変えようとすると、大きな亀裂が入るので、時を待っているような感じです。

長いコメント失礼します。
Posted by passo at 2009年04月04日 19:02
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