2009年03月20日

創価学会は成長し続けるのか

彼が以前私に言った。
「正しくない団体なら、ここまで大きくなってないと思う。」

創価学会は、何故、日本最大の宗教団体にまで成長したのだろうか。
学会の成長を振り返ってみた。

創価学会は、教育者で地理学者であった牧口常三郎によって1930年に創立された「創価教育学会」が前身となる。
発足当初、創価教育学会は、教育改革を目指す団体であったが、牧口は、「所詮、宗教改革によって心の根底から建て直さねば、一切人事の混乱は永久に治すべからず」
と述べ、宗教団体としての活動に力を入れていくようになる。
やがて、2次大戦下での宗教政策に反対した牧口は、戸田城聖とともに神社不敬罪などで逮捕され、1944年獄死する。

そして、終戦後の1946年3月、戸田城聖によって、創価教育学会は
「創価学会」と改称され、この後、学会は飛躍的な発展を遂げることに
なる。

戸田城聖は、本尊を「幸福製造機」と呼び、日蓮正宗の信仰を持てば
必ず幸せになれる、と「現世利益」を強く説いた。
戸田の下、創価学会は「折伏大行進」のスローガンを掲げて、猛烈な
折伏運動を展開し、爆発的に会員数を増やすこととなる。

学会の巨大化は、昭和20年代後半(1950年)から昭和40年代初め(1970年)にかけての高度経済成長期と重なっている。
戸田の説いた「現世利益」は、高度経済成長の波に乗って大都市に
出てきたばかりの人々の求めるところと合致し、中下流階級の受け皿と
なって、多くの会員を獲得することに成功した。
その一方で、強引な折伏が社会問題となり、大きな批判を招く事になる。

1952年、創価学会は宗教法人の認可を受け、1958年、戸田が他界した時には、学会の規模は100万世帯にまで達していた。
そして1960年、現名誉会長の池田大作が第3代会長に就任する。
若干32歳の若さであった。
創価学会は、池田の下、二世・三世・四世、そして海外へと組織を拡大し、現在の公称827万世帯という巨大教団に成長したのである。



創価学会の発展に貢献した学会員一世は、同時に日本の経済成長に
貢献した世代でもある。
必死に働き、家族を養い、自らの手で豊かさを掴んだ世代、現代と比べると、「豊かさ」に対して遥かに貪欲であったと思う。
彼らは、猛烈な折伏を受けて入信し、自らもまた同じ様に人を折伏し、
豊かで幸せな生活を手に入れようと邁進(まいしん)した。

現在の創価学会は、その6割以上を二世・三世が占める様になった。
自らの意思で学会に入信した一世とは、時代背景も大きく変化している。
1991年に日蓮正宗を離れて以来、信仰の希薄化も進んでいる様だ。
公称827万世帯とされるが、活動している会員数は250万人程度と考えられている。

学会の性質は、明らかに変化してきていると思う。
学会の中で今やアイドル的存在となっている池田から、ポスト池田の
時代へと変わる時も、そう遠くない。
その時、池田に代わって、新たに会員を惹き付け、結束させるものが
今の学会にあるのだろうか。

一見、強固な結束力を見せる学会にも、閉塞感が見え隠れする。

「奢れる者久しからず」
アンチの本音としては、このまま衰退していってくれると非常に嬉しい。
posted by ミル1000 at 16:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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