2009年02月12日

「富士桜自然墓地公園」に関する問題

1980年秋に完成した「富士桜自然墓地公園」に関する問題。

当時、創価学会の墓苑建設に、地元住民の間で反対運動が起きていた。
創価学会元顧問弁護士の山崎正友氏(08年12月死去)らは、反対運動の中で墓苑建設を強引に推し進めた。

創価学会は、墓苑造成の反対勢力の鎮圧を山口組系暴力団後藤組に依頼。

1977年、後藤組は、組と墓苑建設推進派の公明党市議会議員との関係
を指摘した市民(反対派リーダー)の自宅にブルドーザーで突撃し、
日本刀で片腕を切り落とすという事件を起こし、反対運動を潰している。
(被害者は後に死亡)

1978年、墓苑造成工事が着工され、1980年に完成。

1981年、墓苑造成業者の日原造園の脱税摘発に端を発し、墓苑を舞台
にした土地転がし、農地法違反、学会と市行政との癒着などが表面化。
問題解明の為の百条委員会が設置される。

地元住民からは、創価学会の退去を求める街頭デモまで起きている。

しかし、自民党市議の積極的な反対と、後藤組の協力により、委員会は
廃止。

1983年、後藤組と学会の間の報酬トラブルから、組長が池田氏、公明党の竹入委員長宛に内容証明を送り付け、墓苑問題に纏わる創価学会と後藤組の癒着を暴露。

1985年、創価学会本部文化会館に拳銃2発が打ち込まれ、後藤組組員が逮捕されるという事件が起きている。


Wikipedia: 富士桜自然墓地公園

後藤組組長の内容証明付き郵便

『昭和55年12月、富士宮市議会における百条問題は学会にとって大変な出来事でした。
斉藤滋与史氏(静岡県選出の自民党代議士)にしろ、杉山憲夫氏(自民党静岡県議)にしろ、百条問題調査打ち切りに関しては多少なりの力添えはあったにしろ、現実はそのような甘いものではなかった。
四方八方に手を尽くしてもどうにもならなかった学会側は、以前の富 士桜墓地霊園(公園)造成の時と同じ様に、今度は百条委員会調査打切り、池田大作先生の名誉市民剥奪を叫ぶ市民会議解散、山崎正友元弁護士の証人喚問阻止を、土橋(昌訓)公明党富士宮支部長、公明党元代議士・高橋繁、公明党稲田(圭佑)市議の三氏が、学会側の代理人として私の元に依頼してきたのです。
私はこの問題解決のため全力を尽くし解決いたしました。

百条委員会に関しては中心人物、河原崎(澄雄)市議を自宅に呼び、説得に説得を重ねました。
私は常に物事に対処する時は、自分の生命を賭け、明日を考えずにその一事、一事、に全力をぶつけて力一杯生きています。
ですからこの件にしても、若しこれが刑法223条に於ける処の強要罪になったとしても、信念を持ち行動して来ました。
また、市民会議の代表者である川村、黒田の両氏を喫茶店『ミミ』に呼び、市民会議を解散するよう得々と説得いたしましたし、山崎弁護士に対しては、私自身かなり強い態度で接して私の真意を伝えました。
この件に関して私と学会は一心同体のはずです。
先にも書いた様に、富士桜自然墓地霊園造成問題に関係して、私の若い者が学会のために6年もの刑を受け今だに受刑中です。
それを知り、あえて私に百条委調査打切り、市民会議解散、山崎正友の証人喚問阻止を依頼して来た事実は拭う事の出来ない事実であり、私の信念五分、学会側の依頼五分を言うのも判って頂けると思います』

『しかるに学会側は、そんな私の心を踏みにじる問題を投げつけてきたのです。私は地位も名誉もないが仁義は守り、その上での意地があります。』

『学会の指導者はおのれだけの権力志向を欲望に生き、口先きだけの勤行を唱えているにすぎない。私は池田大作氏の真の声が聞きたい』
posted by ミル1000 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 学会に関る事件・疑惑
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