2009年09月16日

思い出話

最近、ひとりカラオケカラオケ を覚えた。。。

ひとりで好きなだけ歌いまくるのは、結構快適 わーい(嬉しい顔)グッド(上向き矢印)
でも・・・。 一人暮らし、一人買い物、一人ごはん、一人カラオケ。。。

こんなんで、いいのかしらね???


今日は、少し思い出話を書きます。

衝撃的な内容かもしれないので、ショックを受けやすい方は、この先は読まないでくださいね。

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数年前、流産でお腹の中の子を亡くした時のこと。

あの夜は、本当に怖かった。
体の奥から、ドクドクと血が溢れ出してくるのを感じながら、寒い部屋で、布団の中で、たったひとりで、どうする事もできずに、ひたすら泣いていたもうやだ〜(悲しい顔)

それまでも、ずっと孤独と隣り合わせの生活だったけど、この時感じたのは、守ってくれるはずの人から見捨てられた、絶望的な孤独だった。

私は、「その人」のことを、信じたいから、ただ無条件に信じようとしていた。
今思えば、カルト宗教に嵌っていた様なものだ。がく〜(落胆した顔)

ただ、信じているつもりでも、心はいつも崖っぷちにいた。
その事に随分前から気付いていたはずだった。
でも向き合えなかった。---というより、現実に向き合いたくなかった。

絶望って、恐ろしい。
何度も「死んでもいい」と思った。
「赤ちゃんのところへ行きたい」と、いつも思っていた。

でも、ある日もっと恐ろしい事が起こった。

通勤ラッシュのピークが過ぎた朝のホームに立っていた、あの日。
突然、目の前の線路に、若い女性が飛び降りた。
赤いズポンを履いていた。それが一瞬目に焼きついた。
女性は、背後に迫った電車を背にして、線路に蹲った。
誰にも止められなかった。
女性は、電車に轢かれて亡くなった。

この日を境に、私は訳のわからない恐怖心に襲われるようになった。
あんなに「死にたい」と思っていたのに、死を目の当たりにして、私の心は恐怖しか感じなくなった。
とにかく、怖かった。
自分が「死」にとても近い様な、自分ももうすぐ死ぬ様な、毎日そんな感覚に襲われていた。
仕事帰りの通い慣れた道を歩いている時でも、風で木の葉が揺れる音に思わず飛び上がってしまうくらい、いつもビクビクしていて、怖くてダッシュダッシュ(走り出すさま)でウチに帰ったことも、一度や二度ではなかった。

=どんなに辛くても、私は死ねない。だから、立ち直るしかない。=

この時そう思えたことが、私の強さだったのかもしれない。


「選びたいもの」「選ぶべきもの」が違うことは、往々にしてある。

流産するまでの数年間、私自身が望んで選択した道は、決して正しい道だったとは思わない。
でも、今、後悔もしていない。

結果はどうあれ、子供を産みたいと思ったことだって後悔していない。
わが子が、その小さな命をかけて私に遺してくれたものに、今は心から感謝するだけ。

あの頃、まだ肌寒い春先の昼下がり、陽の差し込む窓辺でうたた寝しながら、自分の中に新しい命が芽生えた喜びと幸せが、じんわりと胸に広がってきたことを、今でも鮮明に覚えている。


もうひとつ、今になってしみじみと思うことは、私が愚かな道を歩んでいた数年間、友人と呼べる人たちが私を見捨てなかった、その事への感謝の気持ちだ。

私は、恋人の為ならこの友人たちを失っても仕方ないとすら思っていたのに・・・。

その時の私には、友人を諦めることはできても、恋人を諦めることなどできなかった。
私にとって、一番大切にしたいものが「恋人」だったからだ。
弁解になるが、それだけ愛情を注いだ人であったことも事実だ。


人の選択は、心の鏡だと思う。
その人にとって、何よりも大切なもの---それが、自分自身なのか、家族なのか、恋人なのか、仕事なのか、それとも、宗教なのか。
人の選択は、その人の心を正直に映し出す。
だから、時にひどく残酷だったりする。


私が長い間信じていたものは、「幻想」に過ぎなかった。
夢から醒めてみれば、友人も、両親も兄も、祖母も、ワンコも、変わらないままそこにいてくれた。

彼らを失わずに済んだのは、奇跡ぴかぴか(新しい) ・・・ではなく、彼らの無償の愛情のおかげだと思っている。
私は、一番大切なものを失って初めて、自分にとって本当に意味のある人の存在を知った。

恋人といる時はあんなに孤独だったのに、恋人を手放すのと同時に、私をがんじがらめに縛り付けていた"くびき"から解放された。


それでも、私は、かつて過った道を選択していた自分の人生を、後悔したりはしていない。
何故かというと、後悔しないくらい全力投球野球 していたから。
中途半端な、曖昧な感情が通用する状況ではなかったし、人生を賭けていたと言ってもいいくらい、本気で一生懸命だった。

だからこそ、今、その数年間を見つめることができる。
誰のせいでもなく、もちろん恋人のせいでもなく、その数年間の自分自身の選択に向き合うことができるのだと思う。


信じるものを信じきることは、悪いことじゃない。
ただ、信じることにも、それ相応の覚悟がいることを忘れてはならない。

人生の大切な時間を"信じるもの"に賭ける覚悟と、それによって何か(人かモノかお金か信用か、何かは分からないけど)を失う覚悟。

失ったものを、もう一度手にすることは難しい。
時間を取り戻すことができない様に、二度と取り戻せないものもある。

だからこそ、「選ぶべきもの」を間違えなくて済む様に、「大切なもの」を失わなくて済む様に、時に自分を冷静に省みて、耳の痛い忠告や周囲のことばに耳を傾ける勇気が必要なのだと思う。


今あなたが望むその道は、あなたの「心の逃げ道」になってはいませんか?

逆境の中でもめげずに信じきることが勇気なのではない。
信じるものに正しく向き合おうとする心が、本当の勇気なのだ。


私は、現実に向き合い、それを受け入れるまでに長い時間がかかった。

だから、私の想いがこのブログを読む人に通じるまで、長い時間をかけて自分の気持ちを綴っていきたいと思っている。


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しばらく更新お休みします。10月には再開できると思います。

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posted by ミル1000 at 22:10| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2009年09月15日

生涯の思い出の人

昨日(14日)、麻生総理が鳩山氏との会談で、
「国際金融への対応や安全保障のあり方について、
日本の針路を間違えないでもらいたい。」

と要請したそうだ。

麻生総理によって一定の評価を得て来た日本の外交だが、明日から始まる鳩山友愛外交は、「アジア」ではなく「世界」にどう評価されるのだろうか。

国際社会における日本の存在感を失うことになれば、国民の望む「より良い暮らし」など望むべくもない。

とある掲示板に紹介されていたサイトに、素晴らしい分析があった。

今回の衆院選の選挙分析 〜マスコミとネットは影響したか〜

記事の末尾にこうある。
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国民が民主の欺瞞を目の当たりにしたとき、

「政局より政策」と言っていたのは誰だったか
「実行力・責任力」と言っていたのは誰だったか
「日本を守る」と言っていたのは誰だったか

これらが初めて、威力を発揮し始めるでしょう。

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麻生総理がその人柄で人気を集めているのに対し、鳩山氏は「政権交代」という流行に押されているだけの様に感じる。
ネットに限らず、鳩山政権への国民の期待度は決して高くはない。

「鳩山政権」意外な結果 ネット世論調査
夕刊フジは10日、「ニコニコ動画」の協力を得てネット世論調査を行った。それによれば、16日に誕生する民主党政権に「期待している」のは約29%で、「期待していない」の約55%を大きく下回った。ネットでの支持率が高かった麻生太郎首相とは、対照的な滑り出しとなりそうだ。
(09/09/11 産経新聞)

これは、ニコニコでの鳩山氏のあの発言を思えば、当然の調査結果だろうと思う。

▼「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」 (YuTube版はこちら



麻生太郎という一人の総理をきっかけに、政治に興味を持った人が少なくない、---本当にそう思う。
少なくとも、私にとっては「生涯の思い出の人黒ハートとなった。
麻生太郎という一人の総理が、日本という祖国について真剣に考える機会(チャンス)を与えてくれた。その事に、心から感謝したい。

わずか1年の間に麻生総理が国民に残したものは、とてつもなく大きいものの様に思えてならない。
posted by ミル1000 at 17:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年09月10日

反創価活動 新たなステージへ

先日、せと弘幸Blog『日本よ何処へ』のエントリー「創価学会退会の決意」を読んで少なからず驚いた。

今回の衆院選で、東京12区におけるチラシ配布活動の中心となった方々は、その殆どが創価学会の退会者だったというのだ。

実際、アンチ創価ブログ主催者の中にも創価学会退会者は多いし、退会者や未活動家の方々が、幹部から末端会員まで、様々な方法で創価の実態を暴露してくれている。

こうした個人レベルの活動に加え、創価学会糾弾の組織的活動は、退会者の支援を得て新たなステージへ進んでいる様だ。

せと氏はこう綴っておられる。
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創価・公明党の力を削いでいくには、信者の創価学会離れが一番重要です。
そして、大切なことは実はこのような退会した人が、今度は我々の運動に対する支援者となって活動して頂けることになります。

これからも、この戦いは続きますが、今後はより退会者との関係を蜜にしたいと考えています。

今回、退会者との話で多くの信者が創価学会に寄付したカネを取り戻したいと考えていることも知りました。
多くの退会者が集まれば、勇気をもって戦いに立ち上がることが出来ると思います。利害関係人であれば宗教法人の経理上の書類を閲覧する権利があります。
この利害関係人には退会者も当然入ります。創価学会が本来の宗教上以外の目的の為に信者の浄財を使っていた場合、返還要求にも正当性は認められるかも知れません。

今後は単なる批判からより一歩進めた新たな創価学会追及にも力を入れたいと考えています。

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インターネットが世論を生み出す時代に突入した今、アンチ創価の思想は、今後ますます実社会へ流出していくことになるだろう。
数々のブログや、YuTube・ニコニコ動画などからのネット情報が、実社会へ確実に浸透していくのだ。
反創価活動は、もはや止まるところを知らない。

創価学会で活動を続ける方々には、こうした時代の流れを、もっと敏感に感じ取ってほしい。
衆院選の結果を目の当たりにして、創価の幻想に気付き始めた人、疑問を抱き始めた人がいるかもしれない。

追い風と言われた05年「郵政選挙」と、逆風と言われた09年「政権交代選挙」を比べてみて、気付くことがあるはずだ。

 09年 選挙区 782,984 (1.1%) / 比例区 8,054,007 (11.4%)
 05年 選挙区 981,105 (1.4%) / 比例区 8,987,602 (13.3%)


公明党の得票数と得票率だが、得票率を見る限り、激減したわけではない。
見方を変えれば、05年も09年も、公明党の支持層は変わらないと言える。
つまり、学会員がどれだけ必死に選挙運動しようが、それに左右される有権者はいないという事だ。
所詮、学会員は組織の駒となって空回りしているに過ぎない。

自公連立が解消され、今後、公明党は自力で選挙を戦わなければならない。
支持母体である創価学会の活動家は確実に減少しており、一方で、アンチ創価活動は着実に拡大している。
こうした状況下で、公明党の得票数が減少の一途を辿ることは目に見えている。


創価学会に疑問を感じている方々に、心の底から伝えたい。
今現実から目を逸らしてしまっては、それを悔いる日が必ず来ることになる。

誤解しないでほしいことは、創価学会という組織から離れることと、信仰を捨てるということは、決してイコールではないということ。
信仰は、心の中にあるもの。
自分という人間がある限り、信仰は心の中で生き続ける。

今大切なのは、組織に縛られない心で「仏の法」を見つめ直すことではないだろうか?
posted by ミル1000 at 22:36| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記

2009年09月09日

偉人の七光 【トインビー編おまけ】

池田大作の品格 PART2昼休み、本屋までぶらぶら散歩をしてきた。
『池田大作の品格 PartU』を見てみたくて。
「社会問題」のコーナーで『黒い手帖』の隣に発見。
少々立ち読みして(いずれ買うと思うが)、創価学会系出版のコーナーへも行ってみた。
折角なので『21世紀への対話』を見ておこうと思って・・・。
しかし、置いてない。 品切れかしらね〜。


Choose Life.jpgこちらは、I.B. Tauris & Co Ltd. というニューヨークの出版社から出ている『Choose Life』。
リンク先に、オックスフォード版も紹介されている。
思い立って、Oxford University Pressで『Choose Life』を検索してみたが、検索結果ゼロ
OUPでは廃版になったのかしらね〜。


ふうふうさんが<5.『対談』出版の経緯>で書いている様に、『Choose Life』がオックスフォード出版局から何度か「reissue:装丁を変えて出版」されたことは間違いないと思う。
しかし、内容に新たな要素が加わったわけではない。
創価学会の力を以ってしても、『21世紀への対話・続編』を世に出すことは叶わなかった様だ。

今後も、『21世紀への対話/Choose Life』は、池田大作の偉大さを語る拠り所として、創価学会という閉ざされた世界でのみ、賞賛され続けるのだろう。


ところで、「韓国は“なぜ”反日か?」というサイト、ご覧になったことがある方も多いと思うが、大東亜戦争に関して、歴史学者アーノルド・J・トインビー氏の発言が紹介されている。

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1941年、日本は全ての非西洋国民に対し、西洋は無敵ではないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。
(昭和43年3月22日「毎日新聞」)
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第2次大戦において日本人は日本の為というよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々の為に偉大なる歴史を残したといわねばならない。
その国々とは日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が過去200年の間に考えられていたような不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。

(1956年10月28日/英紙「オブザーバー」)
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創価学会が、敬愛するトインビー氏のこうした「素晴らしい歴史認識」を、CM等々で広めてくれると非常に嬉しいのだが・・・。

同時に、学会員が、トインビー氏から学び取った正しい歴史認識に基づいて、「創価学会・公明党の中国、韓国への対応や政策」についてチョット考えてみてもらえると、更に喜ばしいわーい(嬉しい顔)
posted by ミル1000 at 16:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年09月06日

偉人の七光 【トインビー編2】

講談社G2
講談社から「ノンフィクション新機軸メディア『G2』」という雑誌が創刊された。
創刊号に矢野絢也氏が「池田大作創価学会名誉会長と私」という手記を寄せている。(←ネット上で閲読可決定 是非ご一読あれ。


さて、前回に引き続き、A・トインビー博士の孫娘ポーリー女史の手記「The Value of a Grandfather Figure」(1984/5/19 英紙『ガーディアン』掲載)を読み進めてみよう。

ふうふうさんの<2.ポリー氏のヒロシマ観>には、「ポリー氏にとって、ヒロシマの記念公園は、実に『鼻持ちならない』場所」だと書かれている。

ポーリー女史自身が、"Hiroshima is an uncomfortable place."(居心地の悪い場所)と書いている様に、彼女が「広島」を単なる「平和の象徴」と受け止めなかったのは確かだ。
ふうふうさんは、このことを同女史の「反平和的思想」に強引に結びつけているが、最も重要な部分をすっ飛ばしている。(恐らくは意図的に。)

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always peace. It is one of the Soka Gakkai's themes, peace in men's hearts, peace across the nations, the brotherhood of mankind and so on.
(どこに行っても「平和」だ。人々の心の中に平和を、世界の国々へ平和を、人間同士に友情を等々、「平和」は創価学会の常套句のひとつなのだ。)

The Soka Gakkai takes its peace mission round the world, often accompanied by an exhibition of horrific photographs from Hiroshima, which is used as a powerful recruiting aid.
(創価学会は、頻繁に広島の悲惨さを訴える展示会を開きながら、世界中を廻って平和を説いているが、これは新会員を集める手段として、大いに利用されている。
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つまり、ポーリー女史は、創価学会の平和利用を鋭敏に見抜き、学会のやり方に嫌気がさしていたのだ。

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It was then, at yet another banquet in Hiroshima that we lost our temper.
(広島でのある会食で、私達はついに堪忍袋の尾が切れた。)
We told them what we felt about the Soka Gakkai and Mr Ikeda's style of leadership.
(私達は、創価学会と池田氏の指導の在り方について、私達の考えを告げた。)
Our hosts were horrified and tried to smooth it all over and pretend the words had never been uttered.
(すると、会食の主催者達は恐れおののき、その場をなんとか取り繕い、私達の言葉を最初から聞かなかったかのように振る舞った。)
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くだらない会食にばかり付き合わされ、まともに対話もできない相手に、ポーリー女史がどれだけストレスを溜めていたかは、想像に難くない。
その怒りを爆発させた場所が「広島」だったわけだ。


ポーリー女史の歴史観については、"the marauding forces to Burma, Singapore, China, Korea" (ミャンマー、シンガポール、中国、韓国への侵略)というフレーズを見ても分かる様に、寧ろ、創価学会・公明党や日教組・民主党が大歓迎する思想だと言える。
しかし、1984年当時は、大東亜戦争に関して、まだ十分な情報公開がなされていない。
アメリカやイギリス、ロシアといった国々からこれらの情報が公開され始めたのは1990年代に入ってからである。
1995年、アメリカで公開された「ヴェノナ文書」や、ブレア政権以後のイギリスが公開し始めた情報史料は、日本がいかにして「彼の戦争に引き込まれたか」を証明する重要な情報として注目されている。


ちなみに、"horrific"の和訳は、前後の文脈からしても「悲惨」と訳して特に問題ない。「恐ろしい・凄惨」などでもいいと思うが、ふうふうさんの「おぞましい」は主観的意訳であり、「薄気味悪い悪趣味」までいくと、これはもう妄想が行き過ぎていてお話にならない。

(偉人の七光 【トインビー編おまけ】へつづく)
posted by ミル1000 at 16:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年09月04日

偉人の七光 【トインビー編1】

A・トインビー、松下幸之助、キング牧師、ガンジー。。。

偉人の七光ぴかぴか(新しい)を強引に利用するのが好きな池田センセイであるが、どこぞの有名人が池田ダイサクを自分のステイタスの証明にしているという話は、ついぞ聞いたことがない。


先日、『自由の砦』に紹介されている、A・トインビー博士の孫娘ポーリー女史の手記「The Value of a Grandfather Figure」(1984/5/19 英紙『ガーディアン』掲載)を読んでみた。

「自由の砦」に和訳文があるのだが、たまたまこの和訳に噛み付くサイト「トインビー対談に対する誹謗の実態」(ふうふうさんのウェブナビ)を見つけたので、「原文」「砦の和訳」「ふうふうさんの解釈」を見比べ、私なりに検証したものを以下に紹介させて頂く。


最初に明確にしておくが、手記を読む限り、ポーリー女史が池田大作を好意的に見た箇所はどこにもない。
同女史の池田氏に対する評価は下記にはっきりと表れている。鋭く的を得た指摘だろうと思う。

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Asked to hazard a guess at his occupation, few would have selected him as a religious figure.
(池田氏の職業を当ててみろと言われて、宗教者を選ぶひとはまずいないだろう。)
I have met many powerful men -- prime ministers, leaders of all kinds -- but I have never in my life met anyone who exuded such an aura of absolute power as Mr Ikeda.
(私はこれまでに多くの権威ある人々--首相や、様々なリーダー--に会ってきたが、池田氏ほど絶対的権力のオーラを滲み出させた人物には、未だかつて出会ったことがない。)
He seems like a man who for many years has had his every whim gratified, his every order obeyed, a man protected from contradiction or conflict.
(池田氏は、恐らく何年もの間、自分の気まぐれを全て満たし、常に命令に従わせ、そして彼に対する反発・反論から守られてきた人物なのだろう。)
I am not easily frightened, but something in him struck a chill down the spine.
(私はめったに恐怖心を持つことがないのだが、彼には背筋が寒くなるものを感じた。)
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池田氏は、初対面のポーリー女史に対し、図らずもこれほどの「不快感」を与えたのだ。25年前、同女史が池田氏から受けた印象は、現在様々なところで証言されている池田氏の人物像そのものと言える。


さて、ふうふうさんは<1.ポリー氏の『対談』観>で、「ポーリー女史は来日する飛行機の中で、時間つぶしの為に、初めて『21世紀への対談』を読んだ」と指摘している。

なぜ出版後8年もの間、ポーリー女史が同書を読む機会に恵まれなかったのか、その理由を見落としてはならない。

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It is probably the book among his works most kindly left forgotten
(祖父の著作の中で最も忘れ去られた様な本)
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女史が「for the first time(初めて)」と書いた意図がここにあることは、ある程度の読解力があれば読み取れるはずだ。

要するに、『21世紀の対話』は、ポーリー女史の目にも留まらない程度の本だったのだ。だから池田氏の招待を受けて「初めて」手にすることになった。

また、ふうふうさんは「時間つぶしを目的として読んだポーリー女史の同書に対する評価は正当なものではない」とも指摘しているが、「時間つぶし」とはどこにも書いていない。これは推測が行き過ぎている。

『21世紀の対話』が「汚染や戦争等の諸問題を真剣に語った本」として評価を得ていたのなら、ポーリー女史は8年も待たずして同書を読んでいただろう、と考える方が、はるかに妥当な解釈と言える。

(偉人の七光 【トインビー編2】へつづく)
posted by ミル1000 at 00:03| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記

2009年09月02日

矢野絢也氏 最高裁勝訴確定

『黒い手帖』の裁判が結審した。上告棄却による矢野氏の勝訴が確定。
衆院選大敗直後の、何とも絶妙なタイミングるんるん
下野した創価学会・公明党にとって、組織の存続を揺るがしかねない大きな意味を持った敗訴となることを期待したい。

「仏法は勝負だ。正義は勝ってこそ証明される。」
(8/29 聖教新聞社説)

いやいや、本当に、いい言葉だバー


次項有矢野元公明党委員長手帳持ち去り訴訟 最高裁、上告棄却
矢野絢也元公明党委員長が、公明党の元国会議員3人に無理やり手帳を奪われたとして損害賠償を求めていた裁判で、最高裁判所は、元国会議員の上告を棄却し、手帳の返還と矢野氏への賠償を命じた2審判決が確定した。
(09/09/02 フジテレビ)

次項有<手帳持ち去り報道>矢野絢也氏の逆転勝訴が確定
最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は1日、元議員側の上告を退ける決定を出した。元議員側の請求を棄却し、「脅迫された矢野氏がやむなく要求に応じて手帳を引き渡した」と認定。矢野氏のプライバシーを侵害したとして、元議員側に慰謝料支払いと手帳の返還を命じた2審・東京高裁の逆転判決(3月)が確定した。
(09/09/01 毎日新聞)

次項有元公明議員3氏の敗訴確定=「手帳持ち去り」訴訟−最高裁
3人は元参院議員の黒柳明、大川清幸両氏と元衆院議員の伏木和雄氏。
一審東京地裁は2007年12月、3人の手帳強奪を認めずに講談社などに賠償を命じたが、二審東京高裁は今年3月、「家捜しをして無理やり持ち去った」と認定し、一審判決を取り消して請求を棄却。その上で、3人に手帳の返却と賠償を求めた矢野元委員長の訴えを認めた。
(09/09/01 時事通信)


手帳の返還に関して、矢野氏が、『矢野絢也氏から話を聞く会』で語ったところによると、
「高裁で返せという命令が出、仮に執行することができると、このように主文で書かれている。だから強制執行もできると。
礼儀上、今弁護士の間で任意にお返しをいただきたいと、書簡をもって二度三度とやりとりをしておって、つい先週だか、先方の代理人の弁護士から、こちらからの返還してほしいという要求に『応ずる意思はありません』という内容証明による回答がきて、判決に反してでも返さん、と。

返すなという命令がどこかから出ているのか、どっかへ持っていってしまっているのか、それは僕らには分からないことだが、まあ、いずれにしても法的な手続きでこれは返してもらうつもりだ。」


賠償金の300万円は、二審判決後に支払われているというのに、手帳だけは何があっても返したくないらしい。
はて?その理由や如何に?

個人的には、手帳はとっくに処分されているのではないかと思う。
創価学会にとって危険極まりない代物を、後生大事に持っているはずもなかろう。

しかし幸いなことに、矢野氏はご高齢ながらもご健勝であり、裁判で闘えるだけの気概をお持ちだ。

「陰でずっと小さくなって1人で殺されるよりは、これだけおおっぴらにやって殺された方が、これは死にかいもあるというもんだと思うし、今さらもう惜しいというわけでもない」

ここまでの決意がおありなら、裁判に勝訴した今、たとえ手帳が返還されなくとも、語るべき『事実』を語ってほしい。
矢野氏を応援する国民の期待を裏切らないでほしい、と切に願う。


ところで、聖教新聞は二審の判決を「不当判決」として、とっても小さく掲載したのだが、今回の最高裁敗訴確定は報じてくれたのだろうかexclamation&question


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2009年09月01日

当選は信心の証

愛読しているブログに、面白い動画が紹介されていた。
日頃、あまりテレビTVを見ないので、私の中では「ざこば」もくっだらない芸人と一緒くただったのだが・・・。
今日よりは、ざこば大師匠グッド(上向き矢印)。私って単純決定

▼シンジンが足りなかったのです!センセイごめんなさい(><)


ちなみに、ざこば師匠は正しいことを言っている。

聖教新聞『わが友に贈る』より
・8/23 勇敢なる信心で歴史を勝ち開け!
・8/24 信心強く烈風を跳ね返せ!攻撃精神で勝て!
・8/26 強盛な祈りが不可能を打ち破る!大信力で競り勝て!

聖教新聞『今週のことば』より
・8/24 祈りに祈って団結で快勝せよ!

聖教新聞 社説(8/29)も、今となっては、自ら墓穴を掘ったようなもの。
「仏法は勝負だ。正義は勝ってこそ証明される。」

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