2009年08月13日

公明党市議に聞いたこと vol.2

続いて、「十界論」について。

Kさんからも説明があったが、より正確に、手元にある「折伏教典」(昭和39年版 P40〜42)から抜粋しておく。

1)地獄:子供に死なれる、借金に悩む等の煩悶、懊悩(おうのう)するその苦しみを心に感じ、肉体および生活に現ずること
2)餓鬼:欲に支配された貪りの状態、満足を知らない生命
3)畜生:強い者を恐れ、弱いものをあなどる、イヌ・ネコ同様の生命に支配されること
4)修羅:心が曲がっているため、すぐにカッとなり、腹立ちの状態にみちているとき

以上が四悪道といって、これに支配されている生活には、絶対に幸せはない。

5)人界:平らかな生命の状態
6)天界:願いが叶ったときに有頂天に喜ぶ状態
7)声聞:ある理論をつかみ、理解がでてくる時に喜びを感じ、その思想をもって人生観とする状態。インテリ階級。
8)縁覚:名人じょうずの心境等。一分の理を縁によって悟った者。
9)菩薩:自分の徳性を発揮して、社会のために尽くす働きを、心や肉体に表したとき。
10)われわれが信心し、折伏をするのは、永遠の生命観を証得し、ゆるがぬ幸福生活を実現することが目的であり、この状態を仏という。

よく問題視される十界論は、初刊の折伏教典(昭和26年発刊 P42〜44)のもので、以下の通り。

1)地獄不具者、病者、狂人、ルンペン、邪宗教の坊主及び信者
2)餓鬼下級労働者、衣類住居まではとても手が届かず、毎日毎日の生活が食を得る為に働いているような人々。アルコール患者。拝金主義者。性格異常者。
3)畜生:パンパン、不良、泥棒、スリ、その他犯罪者。
4)修羅:兵隊、警官、拳闘家、将棋、碁を職業とするような、人と争う人間。
5)人界:普通平凡に生活している市井人。
6)天界:大金持、元の皇族、貴族、一国を動かしている大政治家、経済家、偉大な軍人等々。
7)声聞:学者、研究家、学生等。
8)縁覚:大作曲家、音楽家、芸能上で一芸の奥義に達した者、何かの研究を完成した学者等。
9)菩薩:二宮尊徳の如く広く社会を利益した者。偉大な発明発見 により広く社会を利益した者。仏法を広め、衆生に救を与えた人々。
10)日蓮大聖人(御本仏)、釈迦(迹仏すなわち影の仏)、天台(迹仏)、伝教大師(迹仏)等


Kさんには、ネットサイトにある後者の説明をお見せしたところ、
「私の説明と殆ど一緒ね。」と、PC画面を見て頷いておられた。

私は、動物が大好きなので、動物を軽視した「畜生」の説明には、かなりムカッときていたのだが、
「犬猫の動物は、人間以下ということですか?」と尋ねると、
「もちろんですよ。だから、犬も猫も人間に従うでしょう?」と返ってきた。
Kさんは、動物を愛したことがないのかもしれない。
思い遣りの心も、人間にしかないのだと言う。
創価学会にいると、こんな悲しい人格になってしまうのか。

私は、人間など足元にも及ばない、動物達の生命の清らかさを知っている。
共に暮らした犬の、私達家族に対する思い遣り、愛情を知っている。
17年間私達に寄り添ってくれた愛犬は、最期に、家族の帰りを待っていたかの様に皆の気配を感じると、それから安堵の深い息をつき、静かに永眠した。
Kさんの様な人には、縁のない話だろう。

(参考)Wikipedia 十界

(vol.3へ続く)


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posted by ミル1000 at 22:29| Comment(5) | TrackBack(0) | 学会訪問記録

公明党市議に聞いたこと

昨日、某市の公明党市議会議員Kさんにお会いした。

Kさんの発言をノートに書き留めて帰ってきたので、いくつか紹介させて頂く。私は記憶力は人並みにある方だし、昨日の事でもあるので、ほぼ正確にお伝えできると思う。

まずは、「内道⇔外道」について。
Kさん曰く、「仏教以外の宗教は全て『外道』であり、仏教以下である。」
Kさんが辞書を引いて調べてくださったところによると、「外道」とは「仏教以外の思想・宗教。或いは、異端宗、誤った教え、邪道」の意味。
Kさんはこれを声に出して読み上げ納得しておられたが、要するに、「仏教以外の宗教は全て外道(=誤った教え)であり、仏教以下である」となる。

では、なぜ仏教以外の宗教が「外道(=誤った教え)」なのかと言うと、それは「生命の尊厳」を説いていないから。
ここで言う「生命の尊厳」とは「輪廻」のこと。
つまり「輪廻を説いていない宗教は、生命の尊厳に触れておらず、よって外道(=誤った教え)」となる。
えらく一方的な解釈だが、これは創価学会独自の考え方ではなく、仏教思想なのだと、Kさんは言う。

しかし、Wikipediaを見ると、こうある。
「元来外道とは、仏教以外の教え、または自由思想家たちや異教の思想一般を指して言った。転じて、異論邪説を唱える人たちを貶めていうようになった。」
これを読む限り、Kさんの解説を信じて「仏教以外は外道(=誤った教え)」を仏教思想と捉えて良いのかどうか、疑問が生じる。が、正直よく分からない。
なので、後日、お坊さんに尋ねてみることにする。

さて、今私は「お坊さん」と書いたが、創価学会では僧侶の事を、憎憎しげに「坊主」と蔑んだ呼び方をする。
これは、私も会合で何度となく耳にしているが、Kさんに「なぜ普通に僧侶と呼べないのか?」と尋ねた。
私は、言葉遣いに関しては殊更厳しく育てられたので、「坊主」に限らず、会合や聖教新聞上での悪口雑言は酷く耳障りで、聞くに堪えない、と申し上げた。

Kさんは、さすがに「坊主」とは言えず、「坊さん」と言っておられたが、創価学会が僧侶を攻撃するのは、僧侶が宗教を金儲けの道具にしているからだ、と言う。
そのいい例が「戒名」で、葬儀をあげて戒名を頂くには多額のお金を払わねばならない。また、それ以外にも、僧侶は檀家からお布施を巻き上げ金儲けしている。
これが、創価学会が僧侶(ほぼ大石寺の僧侶ではあるが)を攻撃する理由なのだと言う。

しかし、戒名を含めた葬儀代や菩提寺へのお供養は、何も強要されているものではない。
家族や先祖の霊を偲び、日々お勤めしてくださる僧侶・菩提寺への感謝の気持ち(慣習になっている部分もないとは言わないが)と捉えて良いのではないだろうか。
創価学会の財務に、学会員は皆声を揃えて言うではないか。
「私たちは自発的に、望んでやっている。」と。

Kさんも認めておられたが、その自主的な財務のお蔭で、創価学会には莫大な財産がある。
日本にあるお寺の中で、創価学会ほど多額のお布施を集めているところは、まずないだろう。
それどころか、お寺の維持に四苦八苦しておられる方も、少なくないと思う。
自分たちの事を棚に上げて、よくもまぁ「坊主の金儲け」などという中傷が平気で言えるものだ。
私には理解し難い神経であり、思考回路である。

余談になるが、Kさん曰く、財務は全て創価学会の組織に入り、池田サンは財務からは一銭ももらう事なく、ごく「普通の家」で簡素に暮らしておられるそうだ。
私が、「池田サンの納税額をご存知ですか?」と尋ねると、
Kさん、「え!?そんな事知らないけど・・・。まぁまぁ、本も書いておられるからねぇ。」
私は重ねて、「池田サンの本を買うのは、学会員くらいですよね。」
Kさん、「まぁ、そうだろうけど。」
ちなみに、池田サンの納税額は、2004年度で1億2895万円。
これで「普通の暮らし」と言うのだから、聞いて呆れる。


僧侶に話を戻すが、Kさんが唐突に聞いてこられた。
「あなた、坊さんを自分と同じ人間だと思う!?」
私は思わず即答。「当たり前です!」
例えば、僧侶の方々は、仏門に秀でておられる。お医者様は医学に、弁護士さんは法学に、それぞれの分野で優れた方々を、ある意味尊敬し一目置くという感情をもって、それほど仰々しく騒ぎ立てる必要があるのか?
それよりも、人間に優劣をつけるその思想はどこから生まれてきたのか。見境なく僧侶を攻撃する前に、その事を問題視された方が良いのではないかと思う。

(vol.2へつづく)


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posted by ミル1000 at 17:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 学会訪問記録