2009年08月09日

真心の最低額

創価学会の広布基金(財務)については、以前も記事にした事がある。
(6月6日「広布基金(財務)を考える」参照)
今日の記事をお読み頂く前に一度目を通して頂ければと思う。
先日、8月6日の記事「お釈迦様の真意はどこに」でも、財務という名の物質的供養が法華経の思想に反していることに触れた。

今日は、再度「供養」のあり方について考えてみたい。学会員の方々にも、どうか一緒になって考えて頂きたいと思う。

まず、kanさんに頂いたコメントをご紹介する。
「学会を守る全会一致」のコメントより一部転載)

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内外共に悪名高い「財務」という名のタカリ。
毎年、夏くらいに申し込みを募集します。納金は冬です。振り込み票が来るのです。
希望者なんていうものじゃなく、幹部が積極的に推進するのです。
もちろん目標もあります。一般会員には波風が立つので言わず、幹部に言って強烈に寄付の推進です。

一口1万円です。
「気持ちのご供養なんです。」そう言いながら、100円ではダメ! 千円ではダメ!必ず一口1万円なのです。
何口も要求する話を幹部はします。
池田教となった創価は「幾らでもいいんです。真心でいいんです」という常識的な言葉はありません。あくまで一口1万円です。

それ、会則にはありません。会則にあるのはキレイ事だけです。
会則にない寄付を、金額を決めて要求し、その説明が一切ないのです!

記念の会合では「広布基金」という封筒を用意してて、会員さんはそれにお金を入れます。その金額も用途の説明も一切ありません。
以前に、会館の職員が遊びのお金欲しさに、そのお金を使い込んで県外に左遷された話を聞きました。もちろん会員さんたちには、そういう話は秘密にしています。

大変な世の中で、家族を養おうと大変なのですが、創価はそれはどうでもよくて、組織が望む成果を上げる人が立派なようです。
そういう成果をあげて、人生や生活環境が破壊した活動家、悲惨になった活動家・・・かなりいらっしゃいます。
池田大作氏は助けません。

毎年、数千億円の強制的寄付が創価に集まります。非課税なので、もう好き勝手に使えます。全ては池田氏が自由に使うのでしょうが、苦労して寄付したお金の用途は一切明かしません。

大変な思いで寄付した、そのお金の使い道は一切明らかにしない。
これほど、人を愚弄した行為はないと思います。

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kanさんご自身が、財務の為に大きな借金を背負われたことがあるそうだ。kanさんのコメントは噂話ではない。実体験に基づいている。
クロさんも、財務の辛い体験をブログに綴っておられるし、ネットにはこうした体験が山の様に綴られている。

創価の彼は、「学会はお金がかからない」と自慢げに言う。本当か嘘かは知らないが、財務を強要された事はなく、寄付もしていないらしい。

なので、kanさんの様な創価学会がごまんと抱える財務の問題を話して聞かせても、まず信じないし、たとえ学会内で起こっている事だとしても「学会にもいろんな人がおる」と言い、自分には無関係な事として片付け、忘れようとする。

彼の所属する男子部本部長Aさんにしても、同様だ。
結局、見たくないものに蓋をして目を逸らし、自分と自分の周りさえ幸せであればそれで良いのだ。
彼らの描くユートピアの幻想から脱落した者は、そこから切り捨てられるだけなのだ。

多くの学会員は、「苦しくても、苦しい時だからこそ財務をする。」「自分が望んでそうしている。」と言うかもしれない。

けれど、借金をしてまで、家庭を犠牲にしてまでする財務が、創価の教えではないはずだ。
では何が彼らにそうさせるのか?
組織そのものが、誤った選択を扇動している実情があるのだ。

「誤った財務をする人を諌め、それを見過ごす学会員・煽り立てる幹部に対し、臆することなく正論を貫くことができる人間」と、「自発的な行為だからと、黙って仲間の過ちを見過ごす人間」の、どちらに正義があると言えるだろうか。

学会員の方々、大きな組織の流れに身を委ねることで自分を変えることなど出来はしない。本気でそう望むなら、毅然とした態度で正義を主張する、あなた方ひとりひとりがそうあるべきだと、私は思う。また、そういう組織でなければ、社会との溝はますます深まるばかりだ。

「自分には関係ない」と目を背けた時点で、あなたは最早、宗教人ではない。
ただの偽善者に過ぎない。


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posted by ミル1000 at 20:25| Comment(13) | TrackBack(0) | 日記

閉ざされた世界で生きる人々

これまでにご紹介した書籍の中に、島田裕巳氏の著書『民俗化する創価学会』がある。ブログの記事にも何度か引用させて頂いている。

書店でこの本を手にした学会員の方がこんな事を言われた。

『文中に「創価学会は“創価民族”として確立した」というものがありました。
心外にも、言いえて妙だなと変に納得してしまいました。

学会の内輪での結束と、外からの学会の不可解さこの如何ともし難い、越えがたい壁は、民族の違いにも近いほどなのかも知れないなと。 』


多くの学会員は、自分達が一般社会には受け入れられ難い事を自覚していると思う。
しかしそれでいいのだろうか。
社会から孤立して生きることを、彼らは本心から望んでいるのだろうか。

この島田氏の著書から、一部引用してご紹介する。

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創価学会に限らず、新宗教には、それなりの理屈があり、自分たちは正しいという思いがある。けれども、それを押し通すことが、新たな不幸を生んでいるという事態については、問題を感じることなく、批判が生まれても、それをつっぱねてしまう。
創価学会が宗教教団として成熟し、新宗教という枠から本当に脱するだめには、この点を無視してはならないのではないだろうか。

創価学会では、「仏法は勝負」であり、勝ち続けていることが求められる。それゆえ、逆説的ではあるが、経済的な苦境に陥ると、つまり負けてしまうと、周囲の学会員からは、「信心が足りない」と批判され、立場が悪くなってしまうのである。
宗教的ユートピアは、幸福な人間には居心地が良くても、不幸を抱えた人間には居心地が悪い。幸福でない人間は排除されることが宿命なのである。
宗教的ユートピアには不幸が生まれるはずはないのだが、現実には生まれる。そのとき、もっとも手っ取り早い解決方法は、不幸な者を外側に追いやることである。それによって、誰もが幸福な世界が維持されることになる。
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非常に的を得た指摘だと思う。

以前、「ポン太」という名の学会員の中傷コメント(どれだけの学会員が中傷と感じるのかは分からないが・・・)を、某地区男子部本部長のAさんに見てもらい、何かしら「ポン太」を諌めるコメントを入れてくれる様にお願いした。

Aさんの答えはこうだった。
『ポン太さん的な人は学会員であろうがなかろうが、困りますね。
相手にするほど疲れますね。
正々堂々会って話す腹があればええんですけどね。疲れますね。』


私は、即座に抗議した。
『ポン太の様な人格は、創価学会に大いに責任があります。
正真正銘、学会員なんですから、仲間に忠告するのは当然じゃないですか?
「相手にするほど疲れる」といって、邪魔な人間を切り捨てるところが創価の悪いところです。
選挙より大切なこと、あります。一応、宗教団体なんだから。』

ポン太さん、あなたの様な人物もまた、ユートピアから脱落し、切捨てられてしまうのです。
そうなってから気付くのでは遅いのです。
ご自分の人生です。何が正しい行いなのか、考え直してみませんか?

島田氏は、創価学会を「閉ざされた世界で生きる人々」と表現している。
創価の家庭に生まれてくる子供達にとって、それは幸せなことなのだろうか。
社会の中で果たすべき社会人としての責任、親としての責任、そして宗教人としての責任を、学会員の親達、そしてこれから親になる人達も、今一度自分自身に問い直してみてほしい。

未来は、自分達の為だけにあるのではない。
未来は、これから生まれてくる新しい命の為により良いものでなくてはならない。
その為に、私は創価学会の全ての人に、自分達の立ち位置を、今この時期に見つめ直してほしいと思っている。


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posted by ミル1000 at 01:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記