2009年08月07日

続)お釈迦様の真意はどこに

以前の記事にも書いたが、学会員さんからこんな事を聞いた。

「日本は、他のどの国、地域よりも救いがたい人々の国だ(趣意)と日蓮が断じてます。」

ブログ「想学サロン2.0 」を読んでいて知ったのだが、どうやら御書の中にその様な趣旨の言葉が出てくる様だ。

上記ブログに、
『今日本国・上一人より下万民大悪心の衆生充満せり』云々、この他数々の同様の文が有ります。」
というコメントがあった。

学会員にしても非学会員にしても、恐らく、こうした一文だけを抜き出して日蓮の趣意とすることは軽率だろうと思う。
また、それをそのまま現代の日本人に当てはめてしまうことも、あまりに短絡的ではないだろうか。

日蓮がそうした発言に及んだ理由、背景、時代を鑑み、様々な要素からその言葉の真意を読み解く事の方が、日蓮宗を志す人にとって大切なのではないかと思う。

釈迦の教えに対しても同じことが言える。

以前、学会員さんのコメントに「釈尊は法華経を説いた時点でそれまでの教えは捨てるように言っています」というものがあった。(5/15「八百万の神様」参照)

妙さんに助けを求めたところ、次の様なお返事があった。

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法華経の方便品第二に次のくだりがあります。
「今我喜無畏 於諸菩薩中 正直捨方便 但説無上道」
(訓読)今我喜んで畏なし 諸の菩薩の中に於て 正直に方便を捨てて 但無上道を説く

この方便品では、釈尊がどういう経緯でこの真理の法(妙法蓮華経)を説くに至ったかを描写している場面が登場します。
その一つに「正直に方便を捨てて 但無上道を説く」と語られ、「これまでこの教えに導く為に説いてきた方便の教えを誠の心で捨てさり、無上道(この上ない仏の道)を説こう」と説法を希う舎利弗や集った諸菩薩たちに語られたのです。

つまり表現としては、ルッキーさんの主張する「捨てる」主体がそれを信仰する者たちへの強要では無いことは明らかですね。
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更に、妙さんはこう綴っておられる。

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釈迦の説法は固定された一つの教理を常に説法したというスタイルではない為に、聞く人間によってたくさんの経典が生まれた・・・というのが真相ではないかとも思います。

仏説のとらえ方は、直説かどうかではなく、釈迦の真意はどこにあったのか?ということがインド仏教徒にとって最大の関心事であり、長い歴史の中でそれが付加され6千以上もの経典が生まれたのではないでしょうか。

日本に渡ってきたその一切経(大蔵経)を、日蓮聖人は生涯で3回読んだと言われておりますから、並々ならぬ精神力を持たれた方なのですね。
大事な事は日蓮聖人がその莫大な経典の中から何故法華経を選ばれたのか・・・という事です。
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時代が変われば価値観も変わる。
釈迦の教えを伝える人間もまた、その時代背景に影響を受けた思想を持つ。
けれど、どんなに時間が流れようと変わらない真理・法則がある。
お釈迦様の真意と言えるものは、その普遍の中にある様な気がする。

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posted by ミル1000 at 14:35| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記