2009年08月03日

創価とSGIの不協和

私は、SGIに関する知識をあまり持っていない。
創価学会の会合や学会員の口から「世界192カ国に広がっている」というフレーズは何度か耳にした。
Sokanet SGIの概要 にも「世界192カ国・地域に1200万人以上のメンバーを擁する」と同様のことが書かれている。

しかし、SGIのオフィシャルサイトには、ざっと見たところ192カ国という記載は見当たらない。1200万人という数は明記されている。

そこでSGIに対して、「192カ国の国名や、それぞれの国の組織の規模などの基本情報を教えてほしい」とメールを送った。
同じ質問を学会員の方にも聞いているが、回答保留の状態である。
何らかの回答が得られたら、この場でお知らせしたい。

SGIは、SGI憲章というものを掲げている。
今回は、【目的と原則】から以下の2点を取り上げてみる。

・SGIは「信教の自由」を尊重し、これを守り抜く。
・SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく。


他宗教の尊重・協調が明言されている。

一方、Sokanet 新会員のために には、次の様な記載がある。

『相手が他宗教を信じ、間違った宗教観をもっているのであれば、真実の仏法の考え方を、道理を尽くして語り、正していくことが大切です。』

この「他宗教=間違った宗教」としている創価HPの記載は、SGIの方針と正反対のものとなっている。
なぜこのようなギャップが生じているのだろうか?

創価のAさんは、創価HPの記載も「信教の自由を前提としている」と言う。しかし、この文面から他宗教を肯定する意味合いは読み取れない。
それに、脱会者やその協力者を魔と見なすあたり(←詳しくは「愛が魔に変わるとき」を参照)、とても信教の自由を尊重しているとは言えない。

更に、創価とSGIのギャップの原因について、Aさんはこう述べておられる。

「日本を特別視していることに原因があるのだと思います。「他のどの国、地域よりも救いがたい人々の国だ(趣意)」と日蓮が断じてます。」

つまり、日本という国は世界の中でも救い難い人間の集まりだから、愚かな人間達が信じる日本の宗教は全て邪教だと、こういう事であろうか?

ブログ『妻はアンチ、夫はバリバリ』によると、聖教新聞において、日本は「精神後進国」などと書かれているらしい。
創価は祖国を否定する言動が多いが、創価学会員の方々、あなた方は一体どこの国の人間なのだろうか?
日本の素晴らしさが理解できないのなら、一度世界に出て、日本人、日本文化の賞賛を確かめてきてはいかがだろうか?

創価学会には、こうしたSGI方針との不一致に限らず、教義や思想の矛盾が多い。
その時々で都合の良いことばかり書いているから、矛盾が更なる矛盾を呼ぶ。それは、いずれ致命的なものとなって、創価学会自身に降りかかってくるのではないだろうか。


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posted by ミル1000 at 17:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

愛が魔に変わるとき

学会員のAさん(某地区男子部本部長)にこんな質問をしてみた。

Q:創価を批判する私は、仏敵であり魔であるのでしょうか?私に幸せはあり得ない?私にはいずれ仏罰があり、地獄に堕ちるのでしょうか?

A:批判はかえってエネルギーになります。正直本当に怖いのは、ミルさんが偽装入会して役職を上げ、ここぞという時に組織破壊(大量の脱会者を出す)することです。そのレベルでようやく仏敵でしょう。
○○さん(←創価の彼)が退会に至れば魔になるでしょう。
なので、今現在であれば、逆に自ミルさん自身に功徳の出ることをされているのかもと思います。



私は何事も面と向かって正攻法で行くタイプなので、偽装入会など性に合わない。可笑しなことを想像されたものだ。
それから功徳はご勘弁願いたい。自分の行為に功徳を求めるなどという愚かしい考えは私にはない。

しかし、批判者に対して仏罰だの堕地獄だのという言葉はよく見聞きするが、「批判=功徳」という考え方は正直面白いと思った。
考えてみれば、ひとりの小さな批判であっても、それが数多く集まれば組織に大きな影響を与える可能性がある。
それが創価の衰退、もしくは更正につながる事になれば、批判の全てが創価学会に功徳を施したと言えるだろう。

さて、前置きはここまで。
今日書きたいテーマは「魔」について。

○○さん(←創価の彼)が退会に至れば魔になるでしょう。

この一文を見て、心の中にヒヤッと冷たい風が吹いた。

宗教の自由を尊重するなら(この点については次回の記事で詳しく触れる)、もちろん脱会も自由なはず。そう言いつつ、脱会を促した人間を「魔」と見なすのはおかしくないか?

Sokanet 新会員のために 〜障魔に打ち勝つ信心〜 の中にこうある。

煩悩や、夫や妻、子、父母、あるいは病気や死といっても、それら自体が初めから障魔であるというのではなく、これらに引きずられる修行者の弱い生命にとって「三障四魔」としてあらわれる、ということです。
信心を妨げようとする障りや魔を打ち破るものは、どこまでも、何事にも揺り動かされない強い信心そのものなのです。

(以上、引用)

家族や恋人を「障り、魔」などと言うこと自体、人の道に外れている。

マインドコントロールされた一人の人間を脱会に導く為に、どれだけの忍耐と、先の見えない時間、挫折に耐える精神的強さ、自分を支える知識、そして深い愛情が必要か、考えたことがあるだろうか。

自己満足の為に出来る事ではない。その行為に見出すべきものは、見返りを求めない、ただ一途な想い、愛情の深さではないのか。

もし、今、親や子、友人、恋人に脱会を促され迷っている方がいたら、どうか愛する人、愛される人の純粋な心を「魔」に摩り替えてしまう様な事だけはしないでほしい。
「結局、自分のことしか見えていなかった」と後悔する日がくる。

どんなに価値観や思想が違っても、人には超えてはいけない(超えられない)一線があると思う。
その聖域すら土足で踏み荒らす様な創価学会のやり方に、私は嫌悪感と怒りを抱かずにはいられない。

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posted by ミル1000 at 00:43| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記