2009年08月31日

衆院選について思う

今回の衆議院選挙、公明党トップ3が見事に落選。公明党は結党以来、最低の議席数(1967年:25議席、2009年:21議席)となった。
そして、太田前代表の「野党連立はない」(09/08/26 asahi.com)という発言通り、10年の長きに亘る自公連立に目出度く終止符が打たれるわけだ。
喜ばしい限りではないか。

学会内では、常日頃、1957年に池田氏が公職選挙法違反で逮捕された事件に絡め、「常勝の関西」と叫ばれてきた。
今回、比例代表の近畿ブロックで獲得した5議席は、公明党の中では最多となる。
だが、聖域とも言える尼崎(兵庫8区)での冬柴氏の落選、堺市(大阪16区)で議席を守り続けてきた北側氏の落選は、公明党・創価本部だけではなく、何より、身を粉にして猛暑の中働いた末端会員にとって相当の痛手となったのではないだろうか。
茫然自失なのは、保守派支持層ではなく、選挙と信仰を結びつけ、そこに功徳を求めてきた学会員である様に思う。

学会本部は「自民党不支持の煽りを受けた」と言い訳してみたり、「逆風の中で近畿ブロック比例代表健闘!」などと苦しい勝利宣言を出すのかもしれないが、果たして、惨敗に直面した末端信者の士気低下を食い止められるだろうか?
未活動家を含め、学会員の組織離れを防ぐ為に、関西でのアンチ活動は、今まで以上に強引な妨害を受けることになるかもしれない。


ところで、久々にSEIKYOnetを見てみた。

8月31日の一面は・・・、
『創価の師弟の大城は盤石!!』 「学生第一」「世界市民」の学府
とあり、創価大学、アメリカ創価大学の新校舎設立の話。

『わが友に贈る』は、
「全国の広布の大英雄に心から感謝合掌!広げた仏縁は三世に不滅の宝だ!」

『今週のことば』は、
「悔いなく戦い切った偉大な同志、万歳!皆様の福運は永遠なり。さあ創立80周年へ威風も堂々と大前進だ!」

少なくとも、ネット上では「衆議院選挙の結果」は完全無視されている。
実際の紙面はどうなっているのだろう?
posted by ミル1000 at 12:22| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月27日

矢野絢也氏から話を聞く会

少し古いが、お気に入り登録していたiZaの記事よりご紹介。

■矢野氏から話を聞く会(1)
青年部のトップ5人からホントにつるし上げのように、極端な話『土下座せい』と(言われた)。
その明くる日、公明党のOBがきて、簡単にいうと脅し、すかし、おだて。で、挙句わたしの30年間、まあ40年間ですね。100冊の手帳をよこせと。
前後4回訪問があり、手帳や資料を家捜しして持っていった。
挙句、私が相当弱っただろうという状況で、『家を売って2億、3億の寄付をせよ』と。

■矢野氏から話を聞く会(2)
手帳を返してほしいというわけで、高裁では逆転判決、私の勝利、と。しかも、『学会が関与しておる』と。手帳強奪に。
東京高裁では明示的に、つまりあからさまに、あるいは暗示的に遠回しに学会の関与をちらつかせながら、私を威迫したと、そういう趣旨の判決文になっておりますので、学会もこの手帳強奪についてはしらん、ということは言えない。
私は、30年40年、学会とともにおり、言論妨害問題その他いろんなことを見てきたが、やはり今、創価学会・公明党はいい意味でも悪い意味でも曲がり角にきておると思っている。

■矢野氏から話を聞く会(3)
公明党の議員、池田先生が師匠であると、我々は弟子である、と。弟子は師匠のために命を投げ出してでも仕えなくてはならない。
原点の指導は、この師弟の道。これが、我々学会員の原点であり、公明党の原点ということになると思う。

宗教的価値観、あるいは宗教的排他意識、あるいはそれを憎悪心にまで転換して選挙で対立候補を貶めるということになる。
要するに宗教的価値観、つまり絶対的な価値観によって、本来相対的な価値観である政策、政治を支配していくと、それが一番恐ろしいことではないか。

陰でずっと小さくなって1人で殺されるよりは、これだけおおっぴらにやって殺された方が、これは死に甲斐もあるというもんだと思うし、今さらもう惜しいというわけでもない。

(2009/7/2 産経新聞より)
posted by ミル1000 at 20:45| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月21日

要は、気持ちの問題!?

創価について彼と話すとき、彼はとにかく黙る。ひたすら沈黙する。
そんな時、「オレは貝になりたい もうやだ〜(悲しい顔)と思っていたに違いない。
何も喋らないくせに、そのうち彼の方が疲労困憊してくる。そして私が話すのを諦める。
男子部の部長に「女性と話すにはエネルギーが必要だ」と言われたことがあるらしい。
「部長の言う通りやわ〜」と、いつもぐったりしていた。
そんな彼に、ある時こう言った。
「そんなん当たり前やん。男と女は究極の関係やねんから。命と命の繋がりやねんから。そりゃエネルギーも使うわ。」と。

感覚で喋ったので、自分でもイマイチよく分からないのだが・・・、
心が繋がるから肌のぬくもりを求め、身体を重ねることでまた心が結び付く。そんな命と命が触れ合う時間があることが、究極だなと感じた。

私の批判攻撃にぐったりと倒れ込む彼を見て、よくからかった。
の私にエネルギー吸い取られてるんやわ〜。」
この時だけは、彼はちゃんと断言する。
「ミルは魔なんかじゃない。そんなんオレが決める。」

要するに、その人自身の気持ちの問題なのだ。決めるのは宗教じゃない。

そう言えば、公明党市議Kさんも、以下の様な指摘で返答に困ると「気持ちの問題」に摩り替えようとしていた。

・彼が裁判の無敗を信じ込んでいたのは会合でのMCが原因だと指摘した時
⇒Kさん自身が、正本堂裁判全敗の事実を知らない。

・都議選の議席数、得票数の減少が、創価衰退の証拠だと指摘した時
⇒途中で話を遮られた。

・出所不明の日寛の本尊を改造コピーだと指摘した時
⇒祈る気持ちの方が大切らしい。ちなみにこのコピー本尊は3000円。ボロ儲け。

・創価で幸せになれなかった脱会者の多さを指摘した時
⇒幸せになっている人の方が多いと言うが、証拠はない。

・功徳を積んでいるはずの幹部が犯罪を犯す事実を指摘した時
⇒創価にも世の中と同じ割合で犯罪者がいるらしい。←創価にいる意味なし!

・池田さんの学術称号の多くが専門学校レベルのものだと指摘した時
⇒「山ほどの受賞=世界の評価」論を押し通す。

・財務によって破綻する学会員が少なくない現実を指摘した時
⇒「財務は自己責任」と問題意識がまるで無し。

・互いを矯正し合う相互扶助の関係がないことを指摘した時
⇒学会は個人の自由を尊重しているから、矯正し合うという考えはないと断言。

・地域によって幹部の指導にバラつきがあることを指摘した時
⇒他の地域の事は分からない。でも組織は完璧だと言い切る。←指導がバラバラでも完璧?意味わからん。


最終的に、Kさんは、私が愛用するミニPCを指して、要はご本尊様に一生懸命祈るその気持ちが大切。そんなパソコンで細かく細かく調べてるくらいなら一度ご本尊に祈ってみろ、と言うのだ。

学会員は何かと言うと「デマだ中傷だ」と言い張るから論拠を示して話をしてるのに、「気持ちの問題」に逃げるのはどうかと思う。
これが、認知的不協和を解消して自分を守ろうとする本能なのだろうか?


島田裕巳氏が著書の中でこう述べている。

『新・幸福論』(2004年 潮出版)で説かれている「楽観主義」というものは、心の持ち方を変えることで幸福を得ようというもので、これは日本の宗教全般に共通する基本的な考え方である。何ら特別なものでもなければ、新鮮で特異なものでもない。これでは、他の宗教と同じでしかない。
心の持ち方で問題が解決するなら、現実的な行動(勤行、折伏、選挙など)は必要なくなる。『新・幸福論』は教えを現代に即したものにしようと、心理学的な思考を取り入れているが、それは従来の創価学会の考え方とは、じつは正反対のものになってしまっている。
毎日お題目を唱えることで、幸福は実現できるのか?
創価学会の信仰のスタイルの「賞味期限」は、切れかかっているのかもしれない。
組織として頂点を迎えたあとには、往々にして衰退が待っている。今、創価学会はその境目にさしかかっている。

(『民俗化する創価学会』P113〜P120より)
posted by ミル1000 at 21:50| Comment(24) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月16日

激ヤセ進行中!

今朝、体重計に乗ってビックリ目
40kgの大台を割ってしまった・・・がく〜(落胆した顔) これは大変あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)
夏バテで食欲減退バッド(下向き矢印)と自分に言い聞かせてきたけど、やっぱり精神的な疲れが大きいみたいだ。

13日〜14日にかけてUPした記事「公明党市議に聞いたこと」が影響しているのか、アクセス数が急増右斜め上 ブログランキングも上昇右斜め上
8/16現在、OL部門で7位(133件中)、働くヒト部門で30位(1696件中)、日記部門で295位(8211件中)。(←記念に書き留めておきたくて!)

応援してくださる皆様、本当にありがとうございますぴかぴか(新しい)
そして、ご心配くださる皆様にも心から感謝しています。

思ってもみないことだったが、自分のブログが注目されることには、嬉しい気持ちと同時に相当の緊張感が生じる。

先日、マンションの部屋に篭って記事を書いていたちょうどその時、珍しくインターホンが鳴った。モニターで確認すると、知らない男。目つきが悪い。新聞勧誘だろうと思い完全無視。5分ほどして、またインターホンが。モニターには先ほどと同じ男。モニター越しに睨み付けられている様に感じた。なぜ2度も呼び出すのだろう?部屋にいる事が分かっているのだろうか?
そう言えば、数日前の22時前後に、オートロックをすり抜けて玄関のチャイムを鳴らした人がいた。初めてのことだった。玄関先に来られるとモニターでの確認ができない。
普段は然程気にしていない事でも、疑い出せば全てが疑わしく思えてくる。

私が創価学会に関る中で、当初から一番心配してきたのは、実家に迷惑をかけることにならないか、ということ。
けれど、心配すべきなのは実家だけではなかった。
先日、ブログでチラシ配布の呼びかけをしたところ(記事は削除済)、読者のお一人から軽率な行為だとお叱りを受けた。
周りが見えていないのは学会員だけではない。私も同じだと気付いた。

もし今、私のブログで被害を蒙る人がいるとしたら、創価の彼もそのうちの一人となる可能性がある。
一昨日、彼に私の懸念を伝えた。実際に起こっている学会員と批判者の間のトラブルを話し、彼自身にも注意を促した。
けれど、彼は「創価はオウムの様なカルト集団じゃない。」と、私の話を信じようとしなかった。
思えば、ずっとそうだった。
私が裁判敗訴の事実を伝えても信じず、本部長さんが彼の目の前で敗訴を認めると、一瞬でそれを信じた。
私が公明党に関する新聞報道を伝えても、部長さんが「その記事はデマだ」と言えば、その言葉を信じた。
公明党市議Kさんの話しも「ミルの解釈の仕方が違う」と言い、Kさんの言い訳を信じた。
挙句の果てに、「ミルがネットで連絡を取り合っている人たちには気をつけた方がいい。」と言い出した。
「誰のことを言っているの?」と聞くと、
「創価を批判している人と連絡取り合ってるんでしょ?」と。

以前、ブログに書き込まれた学会員の中傷的なコメントについて話し、
「会合でばったり会って私だとバレたら襲われそう」と言ったことがある。
その時の彼の反応は、ノーコメント・沈黙だった。
けれど、私の文章に賛同し、わざわざコメントやメールで情報提供してくれたり、身辺の心配をして下さる方々には『気をつけろ』と言うのだ。

彼には、感謝している。
私のアンチ活動を承知しながら、私を会合に連れて行き、また、信頼できる人を紹介してくれた。彼の協力がなければ、このブログもあり得なかった。

けれど、彼を利用するのはもうやめなければ。
彼に「今までありがとう」と伝え、連絡先を全て消去した。
そして、本部長さんに私の心配事を伝え、本部長さんのご判断で彼に注意を促してくださる様お願いした。
「彼の為に必要とあれば記事を取り下げる」という事も伝えている。

公明党市議のKさんは、私に繰り返し言った。
「創価の信仰でなければ最高の幸せはない」
「他の宗教では、創価で得る幸福には劣る」
と。

私は何度も確認した。
「他の宗教でも幸せな人はたくさんいますよね?」
「創価の中にも、不幸を感じて、疑問を感じて脱会する人はたくさんいますよね?」


ここまでは、Kさんも納得される。
けれど・・・
「創価でも、他の宗教でも、人は幸せになれる。それを認め合って共生していけばいいのではないですか?」
これには頷いてくれないのだ。

そして、話しは振り出しに戻る。
「創価の教えでなければ、最高の幸せを得ることはできない。」と。

創価学会の人がそう思われるなら、それもいい。
けれど、他人の幸せを、あなた方はどう判断するつもりなのか?
幸せの優劣を、何をもって判断できるというのだろうか?

生命の生涯は、幸と不幸・喜びと悲しみ・苦楽が織り重ねられたもの。
この世に生まれては消える星の数ほどの生命の生き様を、「創価」という小さな小さな枠にはめて、その幸福の度合いを測ろうとする。
その行為自体が、狭く閉ざされた世界の囚人になってしまった証なのだということに、どうか気付いてほしい。


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posted by ミル1000 at 10:13| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月14日

SGI 192ヶ国

8/3の記事「創価とSGIの不協和」にあるSGIへの問合せに関して、回答があったので報告します。

問合せ内容は、「SGI 192カ国の国名や、それぞれの国の組織の規模などの基本情報を教えてほしい」というもの。

回答は以下の通り。
====================================================
Thank you for your e-mail. You have reached the Soka Gakkai International Office of Public Information in Tokyo, Japan.

The number would be 192 countries. However, although we do have a public list of constituent organizations, we do not have an official list of the 192 countries, due to various reasons, including the political situation of some of the countries.

Thank you for your understanding.

Sincerely yours,
SGI Website Team

====================================================

「政治上の理由も含め、様々な理由から192ヶ国・地域についての公式なリストは公表できない」との事。
理由はどうあれ、公式に証明できないのであれば、当然のことながらその信憑性は低くなる。
今年2月の会合(同時中継)で、池田さんも言っていた。
『仏教の教えは、証拠主義、結果主義です!』

余談になるが、公明党市議のKさんは、
「SGIは290ヶ国に広がっているからね!」と力説しておられた。
192ヶ国ですよね?」と訂正すると、
「いいえ!SGIはどんどん増えてるのよ!」と言う。
「学会のHPで192ヶ国と書いてありますよ。」とお教えすると、
「あら、そうなの?よく調べてるのね。まぁいいけど・・・」
⇒学会員さんの言うことも、あてにならない。

Kさんに伺った、更に興味深い話を書いておこう。

実は、Kさんにも「192ヶ国・地域の具体名」を尋ねた。
Kさんは、「公表できない国もあると思う」と、SGIからの回答と同様の見解であったが、続けてかなり衝撃的なことを仰った。
「中国は、創価学会に入っていることがバレたら銃殺なのよ。」

初めは、かなり強く断言しておられたが、私が、
「公明党は、その中国共産党と友好関係にあるんですか?」
と突っ込むと、
「まぁ、ハッキリとは分からないけど。私も聞いた話だから。」


つい先日(8/10)、中国の方からこんな情報を頂いている。
==========>
一般の中国人、創価に関心を持っていない人に対して創価は平和の組織。Google中国語版で調べたけど、*6,620,000件*の検索結果
だいぶプラスの情報。マイナス情報はほぼない。
周りの日本にいる中国人友人にも聞いたけど、あまり創価のこと知らない。だから、普通の中国人から見る創価学会は平和の組織!!!
<==========

この情報提供者は、日本で仕事をしておられる中国人の方で、このブログを通じて知り合った。
差し支えなければ「銃殺説」の真偽についてのコメントを下さる様、お願いしてみようと思う。

⇒お返事を頂いたのでお知らせします。
『これは嘘。
まあ、やったことがあるを証明するのは簡単だけど、やったことがないのを証明するのは難しい。
僕は共産党の幹部として、この銃殺することが嘘と証明する。
ありえない話。』



8/15追記:
皆様、お気遣い・心配のメールをありがとうございます。
ブログランキングを見て、読者の方々の関心の高さを感じておりますが、8/13〜8/14の記事は、18日以降の選挙期間中は、一時非表示とさせて頂きます。

8/17追記:
皆様、応援ありがとうございます。
一部記事を非表示にする旨お伝えしていましたが、確認したところ、記事の内容が特定政党への批判や衆院選候補者に言及したものではなく、あくまで宗教思想の見解を述べているものですので、このまま掲載いたします。

ひとりでも多くの方が、創価学会と一般社会の間にある問題に気付き、互いに語り合い、そこに信頼関係が築かれ、理解が生まれ、何かが少しずつ変わっていってくれればと願っています。



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posted by ミル1000 at 21:35| Comment(14) | TrackBack(0) | 日記

公明党市議に聞いたこと vol.3

更に、Kさんからはこんな発言も飛び出した。
「人は初めから差別されて生まれてくるでしょう?」
「はぁ!?」(←私の反応)

この人の頭の中は一体どうなっているのだろうか??

どうやら、「人は違いをもって生まれてくる」と仰りたかった様なのだが、
「『差別』ですか?『違い』ですか?」と確認すると、
「どっちでもいいのよ。同じことだから。」と言う。
「『差別』と『違い』は同じなんですか!?」と尋ねると、
「いや、そりゃ一緒ではないよ。」と言う。

こんなやり取りで、市民相談を受けて大丈夫なのだろうか?
私が心配する事でもないが。

人が持って生まれるものは、全て違う。私は、それが人のアイデンティティ(個性)というものだろうと思う。
しかし、人が持って生まれた差別(Kさんによると、容姿や病気、身体的困難、経済状況等々)を、
「あなたは恵まれているから分からないのよ。」とKさんは言う。
確かに、私は恵まれていると思う。その事に感謝している。
だからと言って、人の困難を「理解できない」と決め付けるのは止めて頂きたい。

人間には、人の苦しみ・哀しみに同調し、それを理解する能力がある。
このブログの一番最初の記事に書いた事だが、「人の苦しみや悲しみがどんなものであるかを想像し、それに共感することで生まれるのが、思いやりの心」なのだ。

もちろん、私が完璧に人の苦しみや悲しみを理解できているとは言わない。むしろ、気付いていない事の方が多いと思っている。

私が、Kさんの言うことに悉く反対意見を述べるので、Kさんも快くは思っておられなかったはずだ。
学会員の方は、最終的に同じ事を言う。
「そうやってインターネットで細かく調べ上げて批判する前に、あなたも題目を唱えてみなさい。1ヶ月後には必ず幸せになってるから。」

全く同じセリフをお返ししたい。
「そうやって、日蓮大聖人の教えじゃないと絶対に幸せになれないと決め付ける前に、創価の活動やめて非学会員の声に耳を傾けてみなさい。1ヶ月後には、宿命転換できてるから。」

Kさんは、更にこう言われた。
「そうよ。あなたも結婚して、子供を育てて、家庭を持って生活すれば、(創価の)幸せの意味が分かる様になるわ。
今のあなたには、分からへんわ。絶対に!!!」

なるほど。創価の幸せとはそういうものなのか。
ならば、私にはまさしく、絶対に、その幸せは理解できない。
子供を産み育てることを望んだ時もあった。でも、願いはいつも叶うわけじゃない。望んでも、どうし様もない事もあるのだ。
心の傷に触れられた悔しさに、思わず、涙がこみ上げてきた。


わざわざ公明党市議に会いに行くからには、もっと公明党の政策、マニフェストについて伺いたかったのだが、国籍法、北朝鮮政策、その他マニフェストに記載されている問題視されるべき法案については、あまりご存知ではない様だった。
その辺りの事は、また次の機会に触れようと思う。


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2009年08月13日

公明党市議に聞いたこと vol.2

続いて、「十界論」について。

Kさんからも説明があったが、より正確に、手元にある「折伏教典」(昭和39年版 P40〜42)から抜粋しておく。

1)地獄:子供に死なれる、借金に悩む等の煩悶、懊悩(おうのう)するその苦しみを心に感じ、肉体および生活に現ずること
2)餓鬼:欲に支配された貪りの状態、満足を知らない生命
3)畜生:強い者を恐れ、弱いものをあなどる、イヌ・ネコ同様の生命に支配されること
4)修羅:心が曲がっているため、すぐにカッとなり、腹立ちの状態にみちているとき

以上が四悪道といって、これに支配されている生活には、絶対に幸せはない。

5)人界:平らかな生命の状態
6)天界:願いが叶ったときに有頂天に喜ぶ状態
7)声聞:ある理論をつかみ、理解がでてくる時に喜びを感じ、その思想をもって人生観とする状態。インテリ階級。
8)縁覚:名人じょうずの心境等。一分の理を縁によって悟った者。
9)菩薩:自分の徳性を発揮して、社会のために尽くす働きを、心や肉体に表したとき。
10)われわれが信心し、折伏をするのは、永遠の生命観を証得し、ゆるがぬ幸福生活を実現することが目的であり、この状態を仏という。

よく問題視される十界論は、初刊の折伏教典(昭和26年発刊 P42〜44)のもので、以下の通り。

1)地獄不具者、病者、狂人、ルンペン、邪宗教の坊主及び信者
2)餓鬼下級労働者、衣類住居まではとても手が届かず、毎日毎日の生活が食を得る為に働いているような人々。アルコール患者。拝金主義者。性格異常者。
3)畜生:パンパン、不良、泥棒、スリ、その他犯罪者。
4)修羅:兵隊、警官、拳闘家、将棋、碁を職業とするような、人と争う人間。
5)人界:普通平凡に生活している市井人。
6)天界:大金持、元の皇族、貴族、一国を動かしている大政治家、経済家、偉大な軍人等々。
7)声聞:学者、研究家、学生等。
8)縁覚:大作曲家、音楽家、芸能上で一芸の奥義に達した者、何かの研究を完成した学者等。
9)菩薩:二宮尊徳の如く広く社会を利益した者。偉大な発明発見 により広く社会を利益した者。仏法を広め、衆生に救を与えた人々。
10)日蓮大聖人(御本仏)、釈迦(迹仏すなわち影の仏)、天台(迹仏)、伝教大師(迹仏)等


Kさんには、ネットサイトにある後者の説明をお見せしたところ、
「私の説明と殆ど一緒ね。」と、PC画面を見て頷いておられた。

私は、動物が大好きなので、動物を軽視した「畜生」の説明には、かなりムカッときていたのだが、
「犬猫の動物は、人間以下ということですか?」と尋ねると、
「もちろんですよ。だから、犬も猫も人間に従うでしょう?」と返ってきた。
Kさんは、動物を愛したことがないのかもしれない。
思い遣りの心も、人間にしかないのだと言う。
創価学会にいると、こんな悲しい人格になってしまうのか。

私は、人間など足元にも及ばない、動物達の生命の清らかさを知っている。
共に暮らした犬の、私達家族に対する思い遣り、愛情を知っている。
17年間私達に寄り添ってくれた愛犬は、最期に、家族の帰りを待っていたかの様に皆の気配を感じると、それから安堵の深い息をつき、静かに永眠した。
Kさんの様な人には、縁のない話だろう。

(参考)Wikipedia 十界

(vol.3へ続く)


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posted by ミル1000 at 22:29| Comment(5) | TrackBack(0) | 学会訪問記録

公明党市議に聞いたこと

昨日、某市の公明党市議会議員Kさんにお会いした。

Kさんの発言をノートに書き留めて帰ってきたので、いくつか紹介させて頂く。私は記憶力は人並みにある方だし、昨日の事でもあるので、ほぼ正確にお伝えできると思う。

まずは、「内道⇔外道」について。
Kさん曰く、「仏教以外の宗教は全て『外道』であり、仏教以下である。」
Kさんが辞書を引いて調べてくださったところによると、「外道」とは「仏教以外の思想・宗教。或いは、異端宗、誤った教え、邪道」の意味。
Kさんはこれを声に出して読み上げ納得しておられたが、要するに、「仏教以外の宗教は全て外道(=誤った教え)であり、仏教以下である」となる。

では、なぜ仏教以外の宗教が「外道(=誤った教え)」なのかと言うと、それは「生命の尊厳」を説いていないから。
ここで言う「生命の尊厳」とは「輪廻」のこと。
つまり「輪廻を説いていない宗教は、生命の尊厳に触れておらず、よって外道(=誤った教え)」となる。
えらく一方的な解釈だが、これは創価学会独自の考え方ではなく、仏教思想なのだと、Kさんは言う。

しかし、Wikipediaを見ると、こうある。
「元来外道とは、仏教以外の教え、または自由思想家たちや異教の思想一般を指して言った。転じて、異論邪説を唱える人たちを貶めていうようになった。」
これを読む限り、Kさんの解説を信じて「仏教以外は外道(=誤った教え)」を仏教思想と捉えて良いのかどうか、疑問が生じる。が、正直よく分からない。
なので、後日、お坊さんに尋ねてみることにする。

さて、今私は「お坊さん」と書いたが、創価学会では僧侶の事を、憎憎しげに「坊主」と蔑んだ呼び方をする。
これは、私も会合で何度となく耳にしているが、Kさんに「なぜ普通に僧侶と呼べないのか?」と尋ねた。
私は、言葉遣いに関しては殊更厳しく育てられたので、「坊主」に限らず、会合や聖教新聞上での悪口雑言は酷く耳障りで、聞くに堪えない、と申し上げた。

Kさんは、さすがに「坊主」とは言えず、「坊さん」と言っておられたが、創価学会が僧侶を攻撃するのは、僧侶が宗教を金儲けの道具にしているからだ、と言う。
そのいい例が「戒名」で、葬儀をあげて戒名を頂くには多額のお金を払わねばならない。また、それ以外にも、僧侶は檀家からお布施を巻き上げ金儲けしている。
これが、創価学会が僧侶(ほぼ大石寺の僧侶ではあるが)を攻撃する理由なのだと言う。

しかし、戒名を含めた葬儀代や菩提寺へのお供養は、何も強要されているものではない。
家族や先祖の霊を偲び、日々お勤めしてくださる僧侶・菩提寺への感謝の気持ち(慣習になっている部分もないとは言わないが)と捉えて良いのではないだろうか。
創価学会の財務に、学会員は皆声を揃えて言うではないか。
「私たちは自発的に、望んでやっている。」と。

Kさんも認めておられたが、その自主的な財務のお蔭で、創価学会には莫大な財産がある。
日本にあるお寺の中で、創価学会ほど多額のお布施を集めているところは、まずないだろう。
それどころか、お寺の維持に四苦八苦しておられる方も、少なくないと思う。
自分たちの事を棚に上げて、よくもまぁ「坊主の金儲け」などという中傷が平気で言えるものだ。
私には理解し難い神経であり、思考回路である。

余談になるが、Kさん曰く、財務は全て創価学会の組織に入り、池田サンは財務からは一銭ももらう事なく、ごく「普通の家」で簡素に暮らしておられるそうだ。
私が、「池田サンの納税額をご存知ですか?」と尋ねると、
Kさん、「え!?そんな事知らないけど・・・。まぁまぁ、本も書いておられるからねぇ。」
私は重ねて、「池田サンの本を買うのは、学会員くらいですよね。」
Kさん、「まぁ、そうだろうけど。」
ちなみに、池田サンの納税額は、2004年度で1億2895万円。
これで「普通の暮らし」と言うのだから、聞いて呆れる。


僧侶に話を戻すが、Kさんが唐突に聞いてこられた。
「あなた、坊さんを自分と同じ人間だと思う!?」
私は思わず即答。「当たり前です!」
例えば、僧侶の方々は、仏門に秀でておられる。お医者様は医学に、弁護士さんは法学に、それぞれの分野で優れた方々を、ある意味尊敬し一目置くという感情をもって、それほど仰々しく騒ぎ立てる必要があるのか?
それよりも、人間に優劣をつけるその思想はどこから生まれてきたのか。見境なく僧侶を攻撃する前に、その事を問題視された方が良いのではないかと思う。

(vol.2へつづく)


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2009年08月11日

池田語録は好き?嫌い?




先日聞いた「第31回本部幹部会」での池田氏のスピーチを紹介する。
投票箱を設置してみたので、ご協力ください。

以下、池田氏スピーチより(青字は私の感想)
------------------------------------------------------------------------------------
ブラジルの大文豪アマード先生〈ジョルジエ・アマード)は、こう叫んだ。
「この世において永遠なるもの、それは一体何か。民衆である」
という有名な確信を述べられた。
この一言は、私の青春時代に読んで、心の奥底に深く入りました。
どんな権力者も、どんな大富豪も、どんな有名人も、時の流れとともに、みんな消え去ってしまうもの。(←ちゃんと分かってるのね。) これがあるのです。宇宙の・・・。

永遠に勝ち栄えゆく生命の王者、一体それは誰か?
それは、正義の信念のために戦う民衆だけであります。まさしく、我々、諸君。これが、本当の正義の勝利者であります。(←あくまで「自称」ですよ。)<拍手喝采>
(中略)
ここにおられる、アマラウ総長閣下(←閣下!?まぁ、今回称号をもらったホンドニア連邦大学の総長ですもんね。)は、地球の宝アマゾンを守る大地理学者です。
牧口先生も大地理学者であり、日本では有名(←そうなの?)でありました。
先ほど、(---聞き取れない---)、あぁ牧口先生がおられれば、どんなに喜んだか。こう、私は胸が熱くなりました。
アマゾンの守り人こそ、全地球の守り人なり。私達は、最大に感謝申し上げたいのであります。<拍手喝采>

総長と同じく地理学者であった先師・牧口先生は、既に100年前、人類と地球環境の共生を提唱し、アマゾンの重要性を深く鋭く見つめておられました。
今年は、この牧口先生の平和と正義の殉教から65年。
軍部の権力に殺されました。(←獄死だったから?)

私が、本日このように貴大学から栄誉を拝受したことを、牧口先生も、どれほどに喜んでおられるか。
これこそ弟子として最高の誉れであります。総長閣下、本日は、まことにまことに、ありがとうございました。<拍手喝采>

19世紀の末から、アマゾンの奥地に分け入って、広大なブラジルを結ぶ電気通信のネットワーク、これを完成させた。
民衆の幸福と繁栄に人生を捧げた人道の大勝利者こそ、貴大学の名前に厳然と留められているホンドン先生であることも、よく存知上げております。(←でも、アマラウ総長には「池田氏を知らなかった」と言われちゃいましたね。)
未知なるアマゾンヘの「電気通信」の開設。それは、誰もが絶対に不可能であると思っていた、至難の大事業であったことを、ホンドン先生は、(---聞き取れない---)。

勝利の要諦を3点挙げるならば、第1に「師弟の道」(←でた〜!)を勇敢に突き進むことです。
このホンドン先生は、困難であればあるほど、師匠と仰ぐ共和制の父・コンスタン先生の教えを、いつもいつも心に響かせて、自分で自分を勇気をつけながら戦った。
そして社会のために、人々のため、未来のため、一歩も引かず、わが師匠の夢を実現していった。
だから強かった。だから負けなかったのであります。(←自分自身の夢だからこそ実現できたのでしょう?ホンドン氏に失礼だと思いますけど。)

勝利の第2の要諦は、「団結の道」これを聡明に貫き通すことであります。
ホンドン先生には、苦楽を共にする同志が多くいた。その固い結合は「使命を自覚する学校」と呼ばれ、皆から慕われた。
先頭に立つ先生は、疲れを見せず、弱音を吐かず、誇り高き使命の盟友たちを、毅然と励ましながら、皆の獅子奮迅の力を引き出し、結集していったのであります。

いかなる戦いでも、団結したほうが絶対に勝つのだ。**の叫びであります。その通り。やろうな!(返事:ハイ!!!)(←結局、学会の勝利にこじつける。)

勝利の第3の要諦は「対話の道」これを忍耐強く広げ続けることである。
ホンドン先生たちは、地元で暮らす先住民を徹底して大事にされた。地道な対話を誠実に重ねながら、大胆に友好を広げた。
最も苦労している人々を(---聞き取れない---)、がっちり心をつかんで味方にした。故に勝ちました。
学会もそうだな!(返事:ハイ!!!)(←創価はぜんぜん心掴めてません。嫌われてます。自覚して下さい。)
そして、その大英雄の精神を脈々と継承される人間主義の大人材城こそが貴大学なのであります。<拍手喝采>

私も、青年時代に愛する関西の友と、「まさかが実現」と謳われる民衆の大勝利の金字塔を堂々と打ち立てて参りました。(←選挙法違反で逮捕された時に、信者を見捨てて自分だけ釈放された事件ですね。)
そういう人生を生きようね。(返事:ハイ!!!)

この大金星を輝かせた、その原動力は一体何か。
「師弟の道」「団結の道」「対話の道」これを最後まで祈り抜き、走り切ったからであります。
この事実こそ、永遠の勝利の大道であることを、諸君は知っていただきたい。(返事:ハイ!!!)
------------------------------------------------------------------------------------

まだまだ続くが、これで十分と思われるので・・・。
原稿らしきものが掲載されているサイトを見つけたので(「SGI会長のスピーチ」の部分)、私が実際に聞き取ったものと見比べてみても面白いと思う。


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posted by ミル1000 at 20:16| Comment(1) | TrackBack(0) | 学会訪問記録

2009年08月09日

真心の最低額

創価学会の広布基金(財務)については、以前も記事にした事がある。
(6月6日「広布基金(財務)を考える」参照)
今日の記事をお読み頂く前に一度目を通して頂ければと思う。
先日、8月6日の記事「お釈迦様の真意はどこに」でも、財務という名の物質的供養が法華経の思想に反していることに触れた。

今日は、再度「供養」のあり方について考えてみたい。学会員の方々にも、どうか一緒になって考えて頂きたいと思う。

まず、kanさんに頂いたコメントをご紹介する。
「学会を守る全会一致」のコメントより一部転載)

==============>
内外共に悪名高い「財務」という名のタカリ。
毎年、夏くらいに申し込みを募集します。納金は冬です。振り込み票が来るのです。
希望者なんていうものじゃなく、幹部が積極的に推進するのです。
もちろん目標もあります。一般会員には波風が立つので言わず、幹部に言って強烈に寄付の推進です。

一口1万円です。
「気持ちのご供養なんです。」そう言いながら、100円ではダメ! 千円ではダメ!必ず一口1万円なのです。
何口も要求する話を幹部はします。
池田教となった創価は「幾らでもいいんです。真心でいいんです」という常識的な言葉はありません。あくまで一口1万円です。

それ、会則にはありません。会則にあるのはキレイ事だけです。
会則にない寄付を、金額を決めて要求し、その説明が一切ないのです!

記念の会合では「広布基金」という封筒を用意してて、会員さんはそれにお金を入れます。その金額も用途の説明も一切ありません。
以前に、会館の職員が遊びのお金欲しさに、そのお金を使い込んで県外に左遷された話を聞きました。もちろん会員さんたちには、そういう話は秘密にしています。

大変な世の中で、家族を養おうと大変なのですが、創価はそれはどうでもよくて、組織が望む成果を上げる人が立派なようです。
そういう成果をあげて、人生や生活環境が破壊した活動家、悲惨になった活動家・・・かなりいらっしゃいます。
池田大作氏は助けません。

毎年、数千億円の強制的寄付が創価に集まります。非課税なので、もう好き勝手に使えます。全ては池田氏が自由に使うのでしょうが、苦労して寄付したお金の用途は一切明かしません。

大変な思いで寄付した、そのお金の使い道は一切明らかにしない。
これほど、人を愚弄した行為はないと思います。

<==============

kanさんご自身が、財務の為に大きな借金を背負われたことがあるそうだ。kanさんのコメントは噂話ではない。実体験に基づいている。
クロさんも、財務の辛い体験をブログに綴っておられるし、ネットにはこうした体験が山の様に綴られている。

創価の彼は、「学会はお金がかからない」と自慢げに言う。本当か嘘かは知らないが、財務を強要された事はなく、寄付もしていないらしい。

なので、kanさんの様な創価学会がごまんと抱える財務の問題を話して聞かせても、まず信じないし、たとえ学会内で起こっている事だとしても「学会にもいろんな人がおる」と言い、自分には無関係な事として片付け、忘れようとする。

彼の所属する男子部本部長Aさんにしても、同様だ。
結局、見たくないものに蓋をして目を逸らし、自分と自分の周りさえ幸せであればそれで良いのだ。
彼らの描くユートピアの幻想から脱落した者は、そこから切り捨てられるだけなのだ。

多くの学会員は、「苦しくても、苦しい時だからこそ財務をする。」「自分が望んでそうしている。」と言うかもしれない。

けれど、借金をしてまで、家庭を犠牲にしてまでする財務が、創価の教えではないはずだ。
では何が彼らにそうさせるのか?
組織そのものが、誤った選択を扇動している実情があるのだ。

「誤った財務をする人を諌め、それを見過ごす学会員・煽り立てる幹部に対し、臆することなく正論を貫くことができる人間」と、「自発的な行為だからと、黙って仲間の過ちを見過ごす人間」の、どちらに正義があると言えるだろうか。

学会員の方々、大きな組織の流れに身を委ねることで自分を変えることなど出来はしない。本気でそう望むなら、毅然とした態度で正義を主張する、あなた方ひとりひとりがそうあるべきだと、私は思う。また、そういう組織でなければ、社会との溝はますます深まるばかりだ。

「自分には関係ない」と目を背けた時点で、あなたは最早、宗教人ではない。
ただの偽善者に過ぎない。


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posted by ミル1000 at 20:25| Comment(13) | TrackBack(0) | 日記

閉ざされた世界で生きる人々

これまでにご紹介した書籍の中に、島田裕巳氏の著書『民俗化する創価学会』がある。ブログの記事にも何度か引用させて頂いている。

書店でこの本を手にした学会員の方がこんな事を言われた。

『文中に「創価学会は“創価民族”として確立した」というものがありました。
心外にも、言いえて妙だなと変に納得してしまいました。

学会の内輪での結束と、外からの学会の不可解さこの如何ともし難い、越えがたい壁は、民族の違いにも近いほどなのかも知れないなと。 』


多くの学会員は、自分達が一般社会には受け入れられ難い事を自覚していると思う。
しかしそれでいいのだろうか。
社会から孤立して生きることを、彼らは本心から望んでいるのだろうか。

この島田氏の著書から、一部引用してご紹介する。

====================================================
創価学会に限らず、新宗教には、それなりの理屈があり、自分たちは正しいという思いがある。けれども、それを押し通すことが、新たな不幸を生んでいるという事態については、問題を感じることなく、批判が生まれても、それをつっぱねてしまう。
創価学会が宗教教団として成熟し、新宗教という枠から本当に脱するだめには、この点を無視してはならないのではないだろうか。

創価学会では、「仏法は勝負」であり、勝ち続けていることが求められる。それゆえ、逆説的ではあるが、経済的な苦境に陥ると、つまり負けてしまうと、周囲の学会員からは、「信心が足りない」と批判され、立場が悪くなってしまうのである。
宗教的ユートピアは、幸福な人間には居心地が良くても、不幸を抱えた人間には居心地が悪い。幸福でない人間は排除されることが宿命なのである。
宗教的ユートピアには不幸が生まれるはずはないのだが、現実には生まれる。そのとき、もっとも手っ取り早い解決方法は、不幸な者を外側に追いやることである。それによって、誰もが幸福な世界が維持されることになる。
====================================================

非常に的を得た指摘だと思う。

以前、「ポン太」という名の学会員の中傷コメント(どれだけの学会員が中傷と感じるのかは分からないが・・・)を、某地区男子部本部長のAさんに見てもらい、何かしら「ポン太」を諌めるコメントを入れてくれる様にお願いした。

Aさんの答えはこうだった。
『ポン太さん的な人は学会員であろうがなかろうが、困りますね。
相手にするほど疲れますね。
正々堂々会って話す腹があればええんですけどね。疲れますね。』


私は、即座に抗議した。
『ポン太の様な人格は、創価学会に大いに責任があります。
正真正銘、学会員なんですから、仲間に忠告するのは当然じゃないですか?
「相手にするほど疲れる」といって、邪魔な人間を切り捨てるところが創価の悪いところです。
選挙より大切なこと、あります。一応、宗教団体なんだから。』

ポン太さん、あなたの様な人物もまた、ユートピアから脱落し、切捨てられてしまうのです。
そうなってから気付くのでは遅いのです。
ご自分の人生です。何が正しい行いなのか、考え直してみませんか?

島田氏は、創価学会を「閉ざされた世界で生きる人々」と表現している。
創価の家庭に生まれてくる子供達にとって、それは幸せなことなのだろうか。
社会の中で果たすべき社会人としての責任、親としての責任、そして宗教人としての責任を、学会員の親達、そしてこれから親になる人達も、今一度自分自身に問い直してみてほしい。

未来は、自分達の為だけにあるのではない。
未来は、これから生まれてくる新しい命の為により良いものでなくてはならない。
その為に、私は創価学会の全ての人に、自分達の立ち位置を、今この時期に見つめ直してほしいと思っている。


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posted by ミル1000 at 01:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月07日

続)お釈迦様の真意はどこに

以前の記事にも書いたが、学会員さんからこんな事を聞いた。

「日本は、他のどの国、地域よりも救いがたい人々の国だ(趣意)と日蓮が断じてます。」

ブログ「想学サロン2.0 」を読んでいて知ったのだが、どうやら御書の中にその様な趣旨の言葉が出てくる様だ。

上記ブログに、
『今日本国・上一人より下万民大悪心の衆生充満せり』云々、この他数々の同様の文が有ります。」
というコメントがあった。

学会員にしても非学会員にしても、恐らく、こうした一文だけを抜き出して日蓮の趣意とすることは軽率だろうと思う。
また、それをそのまま現代の日本人に当てはめてしまうことも、あまりに短絡的ではないだろうか。

日蓮がそうした発言に及んだ理由、背景、時代を鑑み、様々な要素からその言葉の真意を読み解く事の方が、日蓮宗を志す人にとって大切なのではないかと思う。

釈迦の教えに対しても同じことが言える。

以前、学会員さんのコメントに「釈尊は法華経を説いた時点でそれまでの教えは捨てるように言っています」というものがあった。(5/15「八百万の神様」参照)

妙さんに助けを求めたところ、次の様なお返事があった。

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
法華経の方便品第二に次のくだりがあります。
「今我喜無畏 於諸菩薩中 正直捨方便 但説無上道」
(訓読)今我喜んで畏なし 諸の菩薩の中に於て 正直に方便を捨てて 但無上道を説く

この方便品では、釈尊がどういう経緯でこの真理の法(妙法蓮華経)を説くに至ったかを描写している場面が登場します。
その一つに「正直に方便を捨てて 但無上道を説く」と語られ、「これまでこの教えに導く為に説いてきた方便の教えを誠の心で捨てさり、無上道(この上ない仏の道)を説こう」と説法を希う舎利弗や集った諸菩薩たちに語られたのです。

つまり表現としては、ルッキーさんの主張する「捨てる」主体がそれを信仰する者たちへの強要では無いことは明らかですね。
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

更に、妙さんはこう綴っておられる。

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
釈迦の説法は固定された一つの教理を常に説法したというスタイルではない為に、聞く人間によってたくさんの経典が生まれた・・・というのが真相ではないかとも思います。

仏説のとらえ方は、直説かどうかではなく、釈迦の真意はどこにあったのか?ということがインド仏教徒にとって最大の関心事であり、長い歴史の中でそれが付加され6千以上もの経典が生まれたのではないでしょうか。

日本に渡ってきたその一切経(大蔵経)を、日蓮聖人は生涯で3回読んだと言われておりますから、並々ならぬ精神力を持たれた方なのですね。
大事な事は日蓮聖人がその莫大な経典の中から何故法華経を選ばれたのか・・・という事です。
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

時代が変われば価値観も変わる。
釈迦の教えを伝える人間もまた、その時代背景に影響を受けた思想を持つ。
けれど、どんなに時間が流れようと変わらない真理・法則がある。
お釈迦様の真意と言えるものは、その普遍の中にある様な気がする。

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2009年08月06日

お釈迦の真意はどこに

先日、とあるサイトで、創価大学の学生さんに「法華経『分別功徳品』の思想」と「創価学会の財務」の整合性について意見を求めた。

法華経「分別功徳品」については、6月7日の記事「釈迦を越えた池田大作」にあるLibraさんのコメントを参照頂きたい。

Libraさんは、「法華経の信仰者は物質的な供養を必要としない」という創価大学の菅野博史教授の見解を紹介して下さっている。(Libraさんのサイトに詳細説明あり)

創価大学の学生さん相手であれば、あわよくば菅野教授ご自身の解釈が聞けるかも・・・と期待したのだが、「創価大学のコミュニティで特定団体についての質問は不適当」とのクレームがあり、結局、大学院生さんお一人の回答しか得られなかった。

大学院生さんの回答は以下の通り。
=====>
(いわゆる根本仏教と)『法華経』を日蓮以上に重視する立正佼成会についてならまだしも、『法華経』からひとっとびに創価学会の宗教理論に話を移すのには無理があるかと思いますが、菅野先生の解釈によれば、当然「広布基金」の宗教的妥当性とは齟齬(そご)がある文言でしょう。
<=====

「創価学会の財務が『法華経』の思想に反している」ことは、指摘するまでもない様だ。
では何故、創価学会では財務が「これに勝る供養もなければ、大善もない」と言われているのだろうか?
学会員は、なぜ財務(金銭)を幸福に結びつけるようになってしまったのだろうか?

学会員の皆さんには、財務の前に、是非この点について考え、答えを見つけて頂きたいと思う。


もう一点、学会員の皆さんに考えて頂きたい事がある。

大学院生さんの文章の中で、私は、法華経の思想と創価学会の教義がかけ離れたものであるかの様な表現に引っかかりを覚えた。
この疑問点について質問すると、大学院生さん曰く
=====>
日蓮が鎌倉時代という文化的脈絡の中で『法華経』を最高の経典であると見なしたことは事実ですが、彼の『法華経』解釈そのものが独特なので、その思想を受容することと、(日蓮とは異なった文化的脈絡の中で創作された)『法華経』において説かれるなり象徴されるなりする思想を受容することとは必ずしも一致しません。
<=====

残念ながら、「法華経に象徴される思想」と「日蓮の独特な法華経解釈」の間にある具体的な相違点にまで質問が及ばなかったのだが、大学院生さんの文章を読む限り、「法華経(=釈迦の教え)」と「日蓮の教え」は切り離されて考えられている様だ。

以前、法華宗の僧侶である妙さん(当ブログの読者様)が、次の様に指摘しておられた。

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
学会では、表現のすり替えが頻繁に行われています。例えば、「釈尊の法華経」とか「釈迦の仏法」という表現をよくしております。
これは、まるで釈尊が説く以外の法華経や仏法があるかのような表現で、信者を誘導する時に使う常套手段であると思います。
結果それが「創価の日蓮仏法」という、まるで新たに説かれた真実の仏法が別にあるという終着点に信者を落とし入れる為の仕掛けとなるのです。
日蓮聖人の御書は法華経を正しく読み解くためのご指南書として位置づけられております。つまり経典とは違うわけです。
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

妙さんのご指摘の通り、創価学会の教義は、事実「御書根本」とされている。これは何かおかしくないだろうか?

仏教は、釈迦が生み出したものだ。日蓮が説いたのは法華経にある釈迦の教え・思想であって、日蓮教ではない。
釈迦なくして法華経はあり得ないし、法華経なくして日蓮の教えもない。

創価学会の「御書根本」という考え方は、土台のないところに家を建てるようなもの。成り立つはずがないのだ。

「続)お釈迦の真意はどこに」へつづく)


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2009年08月04日

学会を守る「全会一致」

衆議院解散前の事になるが、以下の様なニュースが小さく報道された。

公明党:鳩山氏の参考人招致は「全会一致で」…北側幹事長
公明党の北側一雄幹事長は8日の記者会見で、献金虚偽記載問題による鳩山由紀夫民主党代表の国会への参考人招致について「全会一致がこれまでの慣行であり、原則は守るべきだ」と述べ、自民党で浮上している多数決による招致決定に否定的な考えを示した。
(2009/7/8 毎日新聞)

鳩山氏招致見送りへ 個人献金問題で公明難色
自民党は、衆院政治倫理・公選法改正特別委員会で10日に鳩山氏の参考人招致を議決する方針だった。しかし、公明党は国会の慣例でもある全会一致による議決を求めていた。
10日の同委員会には、民主党をはじめ野党各党が欠席、全会一致で議決する状況にはならなかった。公明党幹部は同日、自民党幹部に「全会一致でなければダメだ」とあらためて要請。自民党は公明党の理解が得られないまま鳩山氏招致の議決を強行することは困難と判断した。

(2009/7/11 東京新聞)

総選挙に向け、現在、創価学会(公明党)が展開している民主党への激しい攻撃を見ると、唐突に「全会一致」を持ち出して鳩山氏に逃げ道を与えた公明党の態度は、どうにも腑に落ちない。

しかし、『黒い手帖』の一説を思い出し読み返してみると、謎はあっさりと解けた。

以下、長くなるが『黒い手帖』からの引用を掲載する。
======================================================

今となってはあまり指摘する人もいないが、私が公明党の書記長・委員長だった時代、国会に証人や参考人を招致する場合、全会一致が慣例となっていた。
この慣例ができたのも1970年の言論出版妨害事件が景気だった。
当時、私は少数派を保護するためにも、喚問は全会一致が原則だと主張した。以来、これがルールとなっていた。

事実、全会一致の慣例があったから、私たちの時代は、池田氏証人喚問は絶対にあり得なかったし、「是々非々」とはいえ、反対する政策に関しては後顧の憂いなく、公明党は野党らしく自民党と対決できた。ありていにいえば、池田氏証人喚問という与党の脅しが効かないからだ。そういう意味で、全会一致のルールは、われわれが残した創価学会への政治遺産でもあった。

ところが、私の政界引退後、公明党自らがこの遺産を潰してしまう。
1994年、当時、野党に転落していた自民党は巻き返しの好機と見て、衆議院予算委員会での細川氏の証人喚問を要求した。さらに公明党・創価学会の政教一致問題を究明するためとして、池田氏の喚問要求も出された。
細川喚問に応じれば、池田喚問への道を開くことになりかねず、公明党は、細川喚問に対しても反対の立場を取った。全会一致の原則を守るためには、公明党議員が採決を欠席するという方法もあったが、連立与党のなかで公明党だけが欠席するわけにもいかないという判断もあって、採決に加わり反対票を投じた。

当時は少数与党という特殊な政治状況下なので、やむを得ない事情もあったのだろう。しかし、議場で反対したために、公明党は自らが全会一致の原則を放棄したと見られても仕方がない。賛成、反対に票決が分かれ、事実上、多数決になってしまった。

私は、なんと愚かなことをするのか、と嘆いたことを覚えている。私たちが残した学会を守る政治遺産を自ら放棄したことに言葉を失った。
実際、1995年の宗教法人法改正論議のなかで、池田氏の証人喚問招致が再び俎上にのせられると、それを避けるさめに秋谷創価学会会長(当時)の参議院での参考人招致に応じざるを得なくなった。
以来、公明党は池田氏喚問阻止のために、常に政権与党、多数派に身を寄せなければならなくなった。いつ多数決によって喚問が決定されてしまうか、わからないからだ。

もちろん、政権与党に入ること自体を否定はできない。政策を実現するためには、与党の一角にいることは重要だ。しかし、そうした純粋な政党の政治目的とは別に、政治活動に支障をきたしかねない宿命を負ってしまったのである。

このときから政権与党であることが公明党の絶対的な命題となるーこれが公明党の大きなターニングポイントとなった。
======================================================


公明党は、今まさに下野の危機に直面している。
今回の降って湧いた様な「全会一致」の主張は、野党という立場で如何に創価学会=池田大作を守るか、それを見越しての事だったのではないだろうか。
あるいは、民主党と背後で何らかの合意がなされていた可能性も否定できない。
学会員は「民主党と手を組むことはあり得ない」と言うが、実にお目出度い思考だと思う。
民主政権となれば、公明党は必ず民主に擦り寄り、「外国人の地方参政権」を始めとする悪法の数々を成立させようと図るだろう。

「庶民の政党」という言葉を隠れ蓑に、公明党は結党以来、粛々とその使命を果たしてきたのだ。

『創価学会=池田大作を守る』為の政党など、日本に必要ない。

読者の皆さま、このブログから創価学会(公明党)の危険性を少しでも感じ取って頂けたなら、家族や知人に、たとえ一人でも二人でも、その実情・実態を周知して下さることを心からお願いしたい。


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posted by ミル1000 at 23:40| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月03日

創価とSGIの不協和

私は、SGIに関する知識をあまり持っていない。
創価学会の会合や学会員の口から「世界192カ国に広がっている」というフレーズは何度か耳にした。
Sokanet SGIの概要 にも「世界192カ国・地域に1200万人以上のメンバーを擁する」と同様のことが書かれている。

しかし、SGIのオフィシャルサイトには、ざっと見たところ192カ国という記載は見当たらない。1200万人という数は明記されている。

そこでSGIに対して、「192カ国の国名や、それぞれの国の組織の規模などの基本情報を教えてほしい」とメールを送った。
同じ質問を学会員の方にも聞いているが、回答保留の状態である。
何らかの回答が得られたら、この場でお知らせしたい。

SGIは、SGI憲章というものを掲げている。
今回は、【目的と原則】から以下の2点を取り上げてみる。

・SGIは「信教の自由」を尊重し、これを守り抜く。
・SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく。


他宗教の尊重・協調が明言されている。

一方、Sokanet 新会員のために には、次の様な記載がある。

『相手が他宗教を信じ、間違った宗教観をもっているのであれば、真実の仏法の考え方を、道理を尽くして語り、正していくことが大切です。』

この「他宗教=間違った宗教」としている創価HPの記載は、SGIの方針と正反対のものとなっている。
なぜこのようなギャップが生じているのだろうか?

創価のAさんは、創価HPの記載も「信教の自由を前提としている」と言う。しかし、この文面から他宗教を肯定する意味合いは読み取れない。
それに、脱会者やその協力者を魔と見なすあたり(←詳しくは「愛が魔に変わるとき」を参照)、とても信教の自由を尊重しているとは言えない。

更に、創価とSGIのギャップの原因について、Aさんはこう述べておられる。

「日本を特別視していることに原因があるのだと思います。「他のどの国、地域よりも救いがたい人々の国だ(趣意)」と日蓮が断じてます。」

つまり、日本という国は世界の中でも救い難い人間の集まりだから、愚かな人間達が信じる日本の宗教は全て邪教だと、こういう事であろうか?

ブログ『妻はアンチ、夫はバリバリ』によると、聖教新聞において、日本は「精神後進国」などと書かれているらしい。
創価は祖国を否定する言動が多いが、創価学会員の方々、あなた方は一体どこの国の人間なのだろうか?
日本の素晴らしさが理解できないのなら、一度世界に出て、日本人、日本文化の賞賛を確かめてきてはいかがだろうか?

創価学会には、こうしたSGI方針との不一致に限らず、教義や思想の矛盾が多い。
その時々で都合の良いことばかり書いているから、矛盾が更なる矛盾を呼ぶ。それは、いずれ致命的なものとなって、創価学会自身に降りかかってくるのではないだろうか。


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posted by ミル1000 at 17:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

愛が魔に変わるとき

学会員のAさん(某地区男子部本部長)にこんな質問をしてみた。

Q:創価を批判する私は、仏敵であり魔であるのでしょうか?私に幸せはあり得ない?私にはいずれ仏罰があり、地獄に堕ちるのでしょうか?

A:批判はかえってエネルギーになります。正直本当に怖いのは、ミルさんが偽装入会して役職を上げ、ここぞという時に組織破壊(大量の脱会者を出す)することです。そのレベルでようやく仏敵でしょう。
○○さん(←創価の彼)が退会に至れば魔になるでしょう。
なので、今現在であれば、逆に自ミルさん自身に功徳の出ることをされているのかもと思います。



私は何事も面と向かって正攻法で行くタイプなので、偽装入会など性に合わない。可笑しなことを想像されたものだ。
それから功徳はご勘弁願いたい。自分の行為に功徳を求めるなどという愚かしい考えは私にはない。

しかし、批判者に対して仏罰だの堕地獄だのという言葉はよく見聞きするが、「批判=功徳」という考え方は正直面白いと思った。
考えてみれば、ひとりの小さな批判であっても、それが数多く集まれば組織に大きな影響を与える可能性がある。
それが創価の衰退、もしくは更正につながる事になれば、批判の全てが創価学会に功徳を施したと言えるだろう。

さて、前置きはここまで。
今日書きたいテーマは「魔」について。

○○さん(←創価の彼)が退会に至れば魔になるでしょう。

この一文を見て、心の中にヒヤッと冷たい風が吹いた。

宗教の自由を尊重するなら(この点については次回の記事で詳しく触れる)、もちろん脱会も自由なはず。そう言いつつ、脱会を促した人間を「魔」と見なすのはおかしくないか?

Sokanet 新会員のために 〜障魔に打ち勝つ信心〜 の中にこうある。

煩悩や、夫や妻、子、父母、あるいは病気や死といっても、それら自体が初めから障魔であるというのではなく、これらに引きずられる修行者の弱い生命にとって「三障四魔」としてあらわれる、ということです。
信心を妨げようとする障りや魔を打ち破るものは、どこまでも、何事にも揺り動かされない強い信心そのものなのです。

(以上、引用)

家族や恋人を「障り、魔」などと言うこと自体、人の道に外れている。

マインドコントロールされた一人の人間を脱会に導く為に、どれだけの忍耐と、先の見えない時間、挫折に耐える精神的強さ、自分を支える知識、そして深い愛情が必要か、考えたことがあるだろうか。

自己満足の為に出来る事ではない。その行為に見出すべきものは、見返りを求めない、ただ一途な想い、愛情の深さではないのか。

もし、今、親や子、友人、恋人に脱会を促され迷っている方がいたら、どうか愛する人、愛される人の純粋な心を「魔」に摩り替えてしまう様な事だけはしないでほしい。
「結局、自分のことしか見えていなかった」と後悔する日がくる。

どんなに価値観や思想が違っても、人には超えてはいけない(超えられない)一線があると思う。
その聖域すら土足で踏み荒らす様な創価学会のやり方に、私は嫌悪感と怒りを抱かずにはいられない。

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posted by ミル1000 at 00:43| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2009年08月02日

読者様に半年間のお礼を

ブログを始めて早半年になります。
この半年間、私のブログをお読みくださり、メッセージを寄せてくださった方々に心からの感謝とお礼を申し上げます。

ブログというものは、対面でないだけに、アクセス数の増加やメッセージを頂くということが素直に嬉しく、楽しみでもあり、また記事UPの励みにもなりました。
皆様に支えられて半年間続けてこられたことに、本当に感謝しています。
ありがとうございます。

この半年間、自身の勉強から、読者様のメッセージから、創価学会そのものから、実に多くの事を学びました。

当初は、創価の彼との関係を綴っていくつもりでしたが、現在は、ひとりでも多くの方に「創価学会問題」を知って頂きたいという思い、目的を持っています。

学会が社会に与える影響の大きさを見れば、創価学会と直接関係のない方々にとっても、学会問題は決して無関係な事ではないという強い思いがあります。

今後も、批判に終始するのではなく、出来る限り自分の実体験を通して、事実に即した記事を書いていこうと思っています。
(とは言っても、既にメチャメチャ批判的な文章ですが・・・。)

いつの日か、読者の皆様にお会いして、美味しいお酒を片手に、笑顔で語り合える日を夢見ています。

これからも、どうぞよろしくお願いします。

ミル

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posted by ミル1000 at 12:40| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

折伏教典 vol.1

今、手元に『折伏教典』がある。
知り合いの学会員Aさんに貸して頂いた。

Aさん曰く、
「最近は「しゃの字」も聞かない古文書状態です。折伏経典を引き合いに出す人は、自分の周りの学会員では皆無です。」
との事。

「池田氏が公式に訂正したという記録もないですし、内容は今も踏襲されていると思っていいんですよね?」という問いかけ部分には回答がなかったが、肯定と捉えた上で同書を読み、特に強く嫌悪感を抱く部分、問題性が高いと思われる部分を、この場で紹介していこうと思う。

創価学会は、都合の悪いことは「言わざる聞かざる」の傾向が強い。
今となっては時代遅れも甚だしい、何より人道に外れたこの書物に、池田大作自身が一番触れてはほしくはないだろう。
出版廃止となった理由は、一般人も然ることながら、もっと重要なのは学会員自身の記憶から消し去り、その目に触れさせない為だったと考える。

折伏教典(昭和39年改訂版)は、次の様な文章で始まる。

古今の歴史をひもどいてみるに、一冊の本が大きく時代に影響を与え、民衆の幸不幸を左右した礼は、しばしば認められるところである。しなしながら、経文や御書は別として、この折伏教典ほど、民衆の幸福生活確立に寄与しつづけている本は、まことに稀であるといわねばならない。
昭和26年10月13日に発行以来、つねに学会員の偉大な戦力として、民衆救済、仏国土建設への折伏大行進を推進してきた。

(以上、引用)

創価学会が、この書物に書かれてある思想を最前面に押し出して活動してきた事実は否定のし様がない。しかし今日、学会員に聞かせる表向きの言葉は、折伏教典の内容から180度転換したものが多い。
都合の良い言葉で本心をオブラートに包みながら、例え書物を消し去ろうとも、この教典に書かれてある思想は、今尚、創価学会の根底に確実に流れている。

人生にとって最高の善は、たとえいくら批判されようが、憎まれようが、折伏することであり、すなわち、聞法下種、発心下種をなしえることである。これが根底から人々を救い切る慈悲の行為であることを、強く確信していただきたい。
(P2より引用)

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posted by ミル1000 at 11:49| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記