2009年06月29日

公明党の売国政策 vol.1

公明党が推進する法案について勉強しつつ、書き留めていこうと思う。

公明党の使命は、創価学会=池田大作を守ることにある。
彼らは、この使命の為なら何でもする。祖国を売ることすら厭わない。
公明党が主導、推進する法案を見れば、創価学会=公明党に、祖国日本を想う心・愛国心などないことがよく分かる。

まず、昨年12月に成立し、2009年1月1日施行された「改正国籍法」だが、同法は、人権擁護に名を借りた「日本国籍のばら撒き」であり、国家存亡の危機を招く悪法と言っても過言ではない。

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今秋(2008年)、にわかに浮上し、あっという間に衆議院を通過した「国籍法一部改正案」。ネットを中心に反対運動が盛り上がっていた矢先の平成20年12月4日の参議院法務委員会。国籍法改正案に対して意見を述べようとした丸山和也議員の発言を遮り、速記とマイクを止めて発言を封じ、強引に採決に持ち込んだ。この日、日本の立法府の中心で、堂々と情報封殺が行われたのである。しかし、どのマスコミも報じなかった。
(『反日マスコミの真実2009』より引用)
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国家の根幹に関わる様な法案が、国民はおろか、ほとんどの国会議員が知らないまま、わずか3時間の審議で参議院を通過し、参議院も通過してしまった。正に異常な事態の中で成立した法案なのだ。

改正国籍法の成立により、日本の法律は、偽装を含め、より簡単に日本国籍が取得できるものに変わってしまった。
「認知」だけで「婚姻関係」は必要ないのだから、実際は血縁関係がないのに「この子は自分の子供だ」と認知すれば、それだけで誰もが日本人になれてしまうのだ。

公明党は今回の法案成立を受け、「自分達の推進してきた法案が形になった」と喜んでいる。

公明党ニュース(08/11/24)にある同党の見解を見ると、
1.)偽装認知を防ぐ為の対処が十分であること、
2.)不正取得の刑罰「1年以下の懲役か、20万円以下の罰金」が妥当であること、
3.)DNA鑑定は差別につながり不用であること、
4.)法案は十分に審議されたこと
などが記載されている。

しかし、冒頭でも述べた様に、この法案は、マスコミ報道(産経新聞以外の新聞社、全テレビ局)が一切ないままに、反対議員の言論を無視してあっと言う間に成立してしまったのだ。到底、十分な審議が為されたと言えるものではない。

改正国籍法の問題点を見ると、同法が悪用される可能性は極めて高いと言える。

DNA鑑定などの科学的証明は虚偽認知を防止する上で不可欠であるにも関わらず、その義務付けがない。「実の子でないことを証明する手段」がないのだ。
自己申告である認知と聞き取り調査のみの現状では、虚偽の申請を見抜く確実な方法とは言えない。

また、認知した者には扶養義務がなく、経済的な扶養能力がなくても認知が行える。経済的負担がなければ、何人でも子供を作る(認知する)ことができるのだ。

更に、出生後の認知が認められた事により、19歳11ヶ月の子供でも認知ができることになった。こうして国籍を取得した子供は、日本人になって1ヶ月で選挙権が与えられる事になる。

こうした問題は、更なる問題を生み出す。
人身売買・売春の増加、外国人犯罪の増加による治安の悪化、スパイ増加による国防の衰退、生活保護受給者の増加による増税・年金破綻、賃金低下による低所得者の生活困窮・・・。

公明党が、こうした危険性に言及する事はない。彼らの目的は、日本国籍を取得した者を創価学会に取り込み、獲得票を増やし、創価学会の支配を拡大する事にしかなのだ。日本国民の有益性など考えてはいない。
当然、学会員は、公明党(創価学会)の政策が日本国民である自らの生活を脅かす結果になる事を、全く知らされていないのだ。


公明党にフォーカスしたが、改正国籍法の賛成派は公明議員だけではない。選挙までにに、更に知識を深めたいと思う。
下記のサイトは参考まで。

選挙に行く前に知って欲しい、日本を売る政治家たち

【改正国籍法の問題点を指摘するポスター】
39ed19f6.jpg

■参考:「反日マスコミの真実2009」(オークラ出版)
posted by ミル1000 at 16:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 公明党・政治関連

2009年06月26日

公明党って一体・・・

選挙が近いので、公明党の記事を書こうと検索していたら、こんなものを見付けてしまった。

公明党マニフェスト

30頁にこう記載されている。

(8)政治改革

■18歳選挙権を実現します。
■永住外国人の地方選挙権の付与を実現します。
■戸別訪問による選挙運動の解禁を実現します。


どこに向かっているのだろうか、この政党は。
支持母体の利権しか考えていないのは承知してるけど・・・。
ここまで、なり振りかまわないコトをするとは。唖然としてしまう。
それより何より、票獲得の為なら何でもする集団が、日本の与党にのさばっている恐ろしさよ。

一体、どれだけの学会員が、公明党の政策をどこまで理解して、選挙活動をしているのだろうか。
我が国の国益が損なわれている事に危機感はないのか。

そう言えば、先日、私の実家に、近所の学会員宅から貢物が届けられていた。
選挙前になると、必ず貢物が届く。
そして、投票日当日は必ず「戸別訪問」してくる。

両親は適当にやり過ごしている様だが、投票日には実家に戻って応対してみるのも面白いかもしれない。
  
posted by ミル1000 at 18:22| Comment(4) | TrackBack(0) | 公明党・政治関連

自分の意思で選んだもの

人間は、意識的にも、無意識にも、毎日の生活の中で、必ず何かを選択して生きている。
それは、自分の人生を左右するほどの重要な選択(例えば進学、就職、結婚の様な)だったり、逆に「ラーメンにしようか、ペペロンチーノにしようか」みたいな、日常の些細な事だったり。
でも、人は、毎日必ず何かを選んで、何かを切り捨てて(諦めて)、一生のうちで数え切れないくらいの選択をしながら生きているものだと思う。

私は、人には、自分の選択をしっかりと意識して、明確しなければいけない時があると思う。
自分が何を選んだのか、何故それを選んだのか、自分の中できちんと認識していないと、自分の選んだ道に無責任になってしまう。

以前、彼は、「どちらも(私も創価も)大切だから、選ぶ事なんて出来ない」と言ったが、「選べない」と言って目の前の決断から逃げたり、後になって、「そんなつもりはなかった」とか「切り捨てたわけじゃない」と言い訳の道を残したりする事は、無責任な行為だと思う。

そんな風に自分の決断と向き合えない人は、その後の人生も、惰性で流されて生きていってしまう危険性がある。
迷ったり、悩んだりした時こそ、苦悩の中から見出した自分の結論をしっかり認識して、自分の選択に責任を持つ生き方をしなければ。

彼の選んだ道は、「恋人の理解を得る為に何かをする」事より、「今の生活(信仰)に波風を立てないようにする」事だった。違うだろうか?

彼が、自分から進んで何かをした事(私を説得する為に)は一度もなかった。
「理解してもらえないなら、諦めるしかない」
最後までこのスタンスは変わらなかった。
「どちらも大切」なんじゃない。大切な方は、始めから決まっていた。
ただ、未だにそれを口にできないだけだ。

「説得できない恋人を、諦めて手放した」
そして、
「たとえ恋人を失っても、創価学会に留まることを望んだ」
これが、彼の結論だ。

逃げてると思われたくないなら、誰に対しても(学会員にも、友達にも)、もちろん私に対しても、堂々とそう言うべきなのだ。

私達がうまくいかなかった原因は、創価学会という宗教団体の存在である事は間違いない。そこから目を逸らしていては、何も変わらない。
今の様な、無知な自分に甘えた生き方をしたいなら、それでいい。
創価を共有できるお相手を見付けて、居心地のいいその世界で、よく分からない大儀の為に、一生闘っていればいい。

ただ、いつ如何なる時も、自分の人生の責任は自分にあるということは、忘れないでもらいたい。
  
posted by ミル1000 at 16:51| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月25日

創価のなんちゃって本尊

今更のテーマだが、一度は取り上げておこう。
未だに事実を知らない、無知な学会員さんがいるかもしれないし・・・。

私は創価学会が何を拝もうが、実はどうでもいいと思っている。
彼らの本尊が、何かの改造だろうが、安っぽいコピーだろうが、有難いと思って拝んでいるなら、別に文句を言うつもりはない。創価の本尊に祈ったからと言って、謗法だ、大罪だ、堕地獄だ、という事も思わない。

私が思うのは、「やり方がセコイね」という事だ。

創価学会が改造に利用した本尊は、大石寺第26世の法主 日寛が浄圓寺16代住職・日證師に授与したものだが、創価学会はこれを否定している。否定しているが、本尊の出所は明らかにしていない。

どうせやるなら、池田サンが書いたものを堂々と配ればいいのに、人様のモノをこそこそと改造して、大量コピーし、学会員に売りつける、その泥棒まがいのやり方があまりにもセコイ!!

以下の画像は、ご覧になった方も多いと思う。
nise_h_kaisetu.jpg

[A]は、授与書を抹消
[B][C][D]は、筆跡に加筆

よく引き合いに出される戸田城聖の言葉がある。

「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、佛立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから。力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている。」
(『大白蓮華』昭和34年7月号9頁)

学会員は、日々拝み続けている本尊を見て、これっぽっちも疑問に思った事はないのだろうか。


繰り返すが、私は「創価学会が何を拝もうがどうでもいい。」
が、しかし、自分の事を創価の本尊に拝まれるとなると、話は違う。

彼に以前、「いつも私の健康を創価の本尊に祈っている」と聞いていたのだが、先日、キッパリとそれを断った。
私は特別な信仰を持っていないが、仏教、お釈迦様を敬う心はある。そして、私は、創価学会を仏教徒の団体とは認められない。寧ろ、お釈迦様を貶めている。
創価学会は、池田教だ。その池田サンが捏造した本尊に自分の事を拝まれるのが、堪らなくイヤだと思った。呪われる方がまだマシ。祈られるなんてまっぴらごめんだ。

彼の気持ちは心から有難いと思う。私には、その気持ちだけで十分デス。
  
posted by ミル1000 at 19:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月23日

創価学会は中国のコマ

創価と中国の関係について、もう少し触れておこうと思う。

去る6月4日、天安門事件から20周年を迎えた。日本でもそれなりの報道があったが、中国では徹底したメディア、ネットの規制が敷かれ、抗議活動や事件に関わるニュースは悉く封殺されたようだ。天安門被害者は、事件の闇が何一つ解決せぬままの20周年を迎えたと言える。

特集「天安門事件20年」
天安門20年 中国当局、言動を“封殺”

創価学会は、この天安門事件の直後(1990年)に、300人規模の代表団で中国を訪問している。
世界各国が「天安門事件」=「武器を持たぬ市民への虐殺とも言える武力弾圧」に抗議し、中国に対して様々な経済制裁を敷く中での訪中だった。
中国は、この創価訪中団を「熱烈歓迎」し、李鵬首相を始めとする中国首脳が会見に応じたほか、池田氏には中日友好協会から「友好の使者」の称号が贈られた。
中国がこれほどに創価訪中団を歓迎した背景は、想像に難くない。
天安門事件で行った市民への弾圧により、中国は国際社会から孤立し、日本からのODAも停止されていた。
日本政府関係者はこう指摘している。
「経済制裁解除のための外交工作の一環。日本の与党に影響力を持つ池田氏を招請し、ささくれだった日本の世論を和らげ、ODA停止の解除につなげたいというのが中国側の目論見だ。」

池田氏は、このときの訪中について、「友が苦しんでいるときだからこそ、行って手をさしのべるのである」と述べている。
友の救済と言えば聞こえは良いが、現実に池田氏が手を差しのべた相手は、弾圧された庶民ではなく、中国政府当局なのだ。
各国が中国に対する制裁に足並みを揃える中での、創価学会の国際世論を無視した身勝手な行動は、人権を軽視した「日本の恥」と言うべき愚行だ。

ちなみに、李鵬首相は、1995年頃、オーストラリア首相であったポール・キーティングに、「日本という国は40年後にはなくなってしまうかもわからない」あるいは「30年もしたら日本は大体つぶれるだろう」といった内容の発言をしたとされている。
この発言の真偽は定かではないが、もし李鵬首相が天安門直後の創価学会の訪中を心から「歓迎」していたならば、この様な発言はあり得ない。
結局のところ、中国は創価学会を都合良く利用したに過ぎないのだ。

池田氏(創価学会)の人権・人命軽視のスタンスは、中国政府によるチベット弾圧に一切言及しない事にも見て取れる。
2008年北京オリンピック時の、善光寺による「聖火リレー出発地の辞退」は記憶に新しい。
「チベットの宗教指導者が立ち上がり、それに対し弾圧しているので、仏教の寺として考えた」と、善光寺は抗議の意を表した。
世界中のメディアもこれを報じている。(下記リンク参照)
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/51887478.html
(「せと弘幸Blog『日本よ何処へ』より」

池田氏は、2007年の温家宝首相との会談時にも、チベット問題には一切触れていない。
そして、温首相の前で「政治家でなく庶民の王者と会って頂いた」と言っている。
(この発言をテレビ朝日は、「庶民の味方と会って頂いた」と修正したテロップを流したが、創価もテレビ朝日も、流石にこの馬鹿げた発言を全国に放映する勇気はなかったと見える。)

権力による市民の弾圧、虐殺を見て見ぬフリをするのが、池田氏の目指す「庶民の王者」なのだろうか?
それとも、民主化を求めて立ち上がった中国の志士、チベット独立を求める人々が、創価お得意の「仏敵」だとでも言うのだろうか?
だから、虐殺されても当然とばかりに沈黙を通しているのだろうか?
これが、創価学会の謳う世界平和のカタチだと、全ての学会員は胸を張って言えるのだろうか。

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posted by ミル1000 at 17:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月22日

おせっかいな私

先日、彼に会った。GW以来なので、ほぼ1ヶ月ぶりに会った事になる。

訳あって彼は少々落ち込んでいて、そのせいか、私に会いたいと言うし、私も彼の様子が気になっていたので、会うことにした。
彼が、前々から見たいと言っていた『天使と悪魔』を見て、その後、私の希望でカラオケに行った。
会う前に「よりを戻すつもりはない」と釘を刺したけど、ふつうに楽しくデートして、笑顔で「おやすみ」と言って別れた。

その翌週、つまり先週末も彼に会った。
近く、彼は引越しをするのだが、その買い物に付き合って、一緒にごはんを食べた。
そして、また笑顔で「おやすみ」と言って別れた。

翌日の夜は、彼が実家にいた私を、ひとり暮らしのマンションまで送り届けてくれた。
疲れ気味だったので、つい彼の好意に甘えて送ってもらった。
そして、笑顔で「ありがとう」と言って別れた。

そんな訳で、この2週間は、何かとメールを送ったり会ったりしている。
どうも、自分のおせっかいな性格が原因の様な気がする。
彼の引越しが心配で、あれこれ注意したり、引越しの手続きをリストアップしてやったり。
何故、こんなに世話をやいてしまうのか・・・、と言うと、彼があまりにも頼りなくて心配なので、つい余計な事をしてしまう、のだと思う。

長年、ゲゲゲハウス(彼の以前のアパートを彼が自分でそう呼んでいた)で送っていた自堕落な生活を、今回の引越しを機に、是非とも改善してほしいし、万年貧乏の生活から脱出して、生活基盤を建て直してほしい。

私がそこまで心配する必要もないのに・・・、と思いつつも、彼にとっていい機会なので、つい手が動いてしまう。
私のおせっかいも、ここまできたら病気かな。
仕方がないので、引越しが終わるまでは、あれこれ世話をやこうと思う。


『天子と悪魔』は、怖いシーンが近付くと、慌てて目を瞑ったり、上着で顔を隠したりして防御しなければならないので大変だったが、なかなか面白い映画だった。

ラストで枢機卿のひとりがこんな事を言う。
「宗教には欠点もある。だが、それは人に欠点があるからだ。
 誰しも、私にも。」

私は、この言葉に、自らの欠点を見つめることができる「ヴァチカン−カソリック教会」の懐の深さを垣間見た気がした。
彼も、何かを感じただろうか。それは、もう聞かないでおこうと思う。
  
posted by ミル1000 at 20:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月15日

日中国交正常化の立役者

1987年9月、池田大作は日中国交正常化についての提言をした。

「今日こそ日本は、この世界的な視野に立って、アジアのの繁栄と世界の平和のため、その最も重要な要として、中国との国交正常化、中国の国連参加、貿易促進に全力を傾注していくべきであることを重ねて訴えるものであります」

創価学会では、この池田提言によって日中国交正常化が実現されたと主張し、そう学会員に教え込む。
池田大作自身が、「日中国交正常化の立役者は自分である」と自己アピールしているからだ。

だが、島田氏は著書の中でこう指摘している。

(以下引用)----->
日中国交正常化までの過程を記した本を読んでみると、創価学会や公明党関係のものを除けば、池田の提言が重要な役割を果たしたという指摘は全くなされていない。そもそも、池田の提言自体言及されていないのが一般的である。
(中略)
現在の創価学会、公明党は、この池田提言を、当時の中国が高く評価したかのように主張している。しかし、1974年5月に、池田が初めて中国を訪問したとき、池田は毛沢東主席にも周首相にも会うことができなかった。もし中国が、池田提言を本当に評価していたとするなら、少なくとも周首相は池田を歓迎したはずだ。

<-----

出版物を見ても、池田提言を評価している(提言に触れている)文章は全て、学会系出版社から出されている。
日中国交正常化においては、池田大作より、公明党元委員長 竹入義勝の果たした役割の方が明確であり、その功績は大きい。
しかし、国交正常化の功労者として竹入が評価される一方で、池田提言が思った程に評価されない事が火種となって、竹入は創価学会によって激しく糾弾されるようになった。

創価学会の目的は、学会系メディアを使って池田提言への評価を意図的に作り上げ、竹入元委員長を貶めることで、その功績を奪い、池田の功績にし立て上げる事なのだ。

しかし、池田提言が日中国交正常化に大きな影響力を持たなかった事実は、その経緯を記した書籍(もちろん学会系出版以外の)を読み、中国側の対応を見れば、容易に知れる事である。

先の引用にもある様に、池田氏は国交正常化(1972年)後の訪中時(1974年)に要人との面会が叶わなかった。
更に、1998年に来日した江沢民主席は、池田氏との面会に先立って、竹入元公明党委員長と懇談している。江主席は、日中国交正常化に寄与した人物として竹入氏を迎賓館に招き、「周恩来首相は生前、水を飲む時に井戸を掘った人を忘れてはいけない、と言った」と発言し、日中国交正常化や日中平和条約の締結に寄与した竹入氏らの業績に感謝の意を表している。


創価学会員が信じている日中間の歴史は、創価学会が自分達に都合のいい様に創り上げた捏造に過ぎない。
知識の収集を、聖教新聞の記事や会合の演説、内部の出版物に限定してしまうから、自分の歴史認識が誤っている事に気付かないのだ。
偏った知識には、何の説得力もない。誰を納得させる事も出来ない。
必要なのは、多くの情報に触れ、そこから真実を拾い上げる判断力を身に付ける事ではないのだろうか。

学会外に溢れる情報は、仏敵でもなければ、魔でもない。
それは、人を正しく導く為の道標なのだと思う。


<参考>
■民俗化する創価学会(島田裕巳著)
日中国交正常化(Wikipedia)

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posted by ミル1000 at 14:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月10日

御書にもそぐわない創価の教義

頂いたコメントから、更なる納得を得てしまったので、整理してみた。


「折伏教典」は、池田さんが会長時代に監修したもので、末法における釈迦の教え、法華経の力を否定している。
 ↓↓↓

その証拠に、「釈迦仏法は末法無益」と信じる学会員が多くいる。
 ↓↓↓

しかし、池田さんは折伏教典を公に修正する事なく廃刊にし、その後の著書(「法華経の智慧」)の中で、「法華経は末法の衆生を救う慈悲の教え」だと、異なった見解をしれっと述べた。
 ↓↓↓

法華経の中には、「経典を受持・読誦することが供養となるので、物質的な供養は必要ない」とある。
 ↓↓↓

池田サンも、会長時代、「創価学会は、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養を願うようなことはいたしません。」
と断言していた。

 ↓↓↓

しかし、池田サンは、またまた勝手に180度の方針転換。
「新・人間革命」の中で、「学会が推進する供養、財務は、すべて日蓮大聖人の御遺命である。これに勝る供養もなければ、大善もない。ゆえに、これに勝る大功徳もないはずである。」 と法華経完全無視!の自論を展開。

 ↓↓↓

極め付けに、日蓮大聖人の御書までも完全無視!!
 ↓↓↓

何故かと言うと、「妙法比丘尼御返事」(P1412)には、「仏法の中には仏いましめて云く法華経のかたきを見て世をはばかり恐れて申さずば、釈迦仏の御敵いかなる智人善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし」とある。

つまり、日蓮聖人は、『公然と法華経を否定し、法華経の教えに背いて財務(物質的供養)を正当化する創価(池田サン)こそが、釈迦仏の御敵で必ず無間地獄に堕ちる』 と言っている事になるからだ。

 ↓↓↓

創価学会では、この日蓮の御書を教義の根本としている!
 ↓↓↓

創価の教えって、支離滅裂!!

それでもバリ活学会員さんが望むなら、池田サンに尽くせばいい。
でも、少しでも迷いのある学会員サンは、勇気を出して正しい道へ軌道修正してほしい。
何年、何十年の信仰を捨てるには、相応の不安、迷い、苦しみ、障害があると思う。でも、勇気を出して、今、一歩踏み出してほしい。
人は、何歳になっても、どんな状況からでも、やり直せる。
人生の全てが積み重ねなのだから、「やり直す」という言葉は適切ではないかもしれない。創価で過ごした年月がゼロになる訳ではなく、その上に新しいものを積み重ねていくだけなのだから。

【参考サイト】
創価学会は「生命の変形の被害者」と「釈迦仏の御敵」の集りか?
NOTHING TO YOU by Libra様 より) 

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posted by ミル1000 at 13:53| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

Amazing grace

生命の重さを痛感する出来事があった。

今日を生きている幸せを、父母に、祖父母に、兄に、友人に、支えてくれる全ての人に感謝して、これからも生きていきたい。

 【Amazing Grace】 lyrics by John Newton/岩谷時子 music 不詳

  Amazing grace how sweet the sound
  That saved a wretch like me
  I once was lost but now am found
  Was blind but now I see

  やさしい愛の てのひらで 今日も私は 歌おう
  何も知らずに生きてきた 私はもう迷わない

  ひかり輝く幸せを 与えたもうた あなた
  大きな御胸にゆだねましょう 続く世界の平和を

 るんるん <YuTube>で聴く
(2004年、本田美奈子さんが白血病で亡くなる1年前の映像)

ジョン・ニュートンは、奴隷運搬船の船長であった。彼は30歳で船を降りた後、牧師となり生涯を聖職者の道に捧げた。奴隷貿易に手を染めた事を悔い、それを赦した神への感謝の気持ちを込めて書いたのが「Amazing Grace」だと言われている。
ジョンが奴隷貿易から牧師へと転身した背景として、彼が22歳の時、アフリカからイギリスへ帰る途中で遭遇した大嵐の体験がしばしば語られる。しかし、ジョンはこの嵐から生還した後も6年間に亘って奴隷を運び続けた。この6年間、彼は何を思い何を感じていたのだろうか。

「Amazing Grace」は今や、世界中で愛される黒人霊歌となった。その詩と音楽の美しさは、宗教を超えて人々を魅了し続けている。
  
posted by ミル1000 at 09:49| Comment(5) | TrackBack(0) | Songs in my Heart

2009年06月07日

釈迦を越えた池田大作

一昨日、創価の役員Aさんにお会いした。
以前にも一度お目にかかっている方なのだが、最近ひとりで煮詰まっていたので、Aさんに連絡を取り、話を聞いてほしい旨お願いしたところ、学会活動でお忙しい中、時間を割いて下さった。
やはり、創価の事は創価学会員に聞くのが一番手っ取り早い。

私は、身近に創価の話を出来る人がいないので、Aさんは心置きなく創価の話が出来る貴重な方だ。それに、学会員オーラが強烈ではないので、割と何でも話しやすい。
・・・まぁ、私は誰にでもポンポン物を言うから、Aさんがどう感じておられるかは分からないが、今のところ怒らずに聞いて頂いている。有難い事だ。

Aさんとのお話で考えがまとまった部分を、昨日の記事(『一家和楽の信心』 と 『広布基金(財務)を考える』)にアップした。

今日は、もう1点気になったところを書いておこうと思う。

Aさんとこんなやり取りの場面があった。

ミル:「池田さんの師弟不ニって、結局“自分を守れ”って事でしょう?指導者として自分が信徒を守るべきなのに、自分を守れっておかしくないですか?」
Aさん:「私達が、ちゃんと出来てない(守れていない)からそう言っているんだと思います。“お前らそれで大丈夫なんか?”と心配しているから、ハッパをかけているのだと思います。」
ミル:「これだけ多くの学会員が学会活動にのめり込んでいるのに、それでもまだ“守られていない”と思うなんて、なんちゅうエゴや。」

それから、こんなやり取りも。

ミル:「なぜ、親としての責任を放棄してまで学会活動にのめり込んでしまうんでしょう?」
Aさん:「為そうとしているコトの大きさが・・・」(←私が遮った気がする)
ミル:「大儀の為には家族を犠牲にしてもやむを得ないという事ですか?」
Aさん:「そうなってしまっていますね。」

いつだったか、創価批判をする私に、彼が言ったことがある。
「みんな、創価学会員である前に、ひとりの人間やねんから。」

そう、その通りだ。私も全く同感だ。
けれど、現実は「ひとりの父親・母親である前に、創価の為の(もしくは池田サンの為の)創価学会員」となってしまっているではないか。

当たり前だが、Aさんの考え方はとても「創価学会流」だ。
Aさんは、他の学会員さんの様に、無闇に「池田センセイ」を連呼したりしないが、言葉の端々に池田サンの存在の大きさを感じた。

学会員にとって、池田大作は釈迦を超えているのだと思う。

私の「仏教は釈迦のものであって、日蓮のものではないでしょう?」
という指摘に、Aさんはこう答えた。
「けれど、末法には釈迦の教えも通用しないんです。」

あぁそうか、と思った。
池田サンも釈迦仏教を完全に否定している。

「折伏経典」より
「釈迦の法はもう過去のもので何の利益もない」(P63)
「われわれは釈迦仏法に縁のない民衆であることを知らねばならない」(P65)
「日蓮聖人が末法の御本仏であらせられる」(P67)
「釈迦等のとうていおよぶ分際ではない」(P316)
「釈尊出世の本懐である法華経でさえも末法の今日には全く力はない」(P93)
「この大御本尊を拝む以外に末法の衆生は基本的に幸福になれないのである」(P70)
「釈迦仏法など立てるのは去年の暦と同様で役に立たないしろものである。これを使用するから生活に破綻をきたすのは当然である」(P303)
「俗にいう日蓮宗を代々やっていると家族に不具者ができたり、知能の足りない子供が生まれたり、はては発狂する者ができたりして〜」(P321)


「私は、日本の国王であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」

気分が悪くなる。もう、ため息しかない。
創価には、釈迦も、仏教も、法華経もない。池田大作が全てなんだ。

末法は、その時期・意味に諸説ある。詳しい知識がないのだが、私は、現代を「釈迦の教えが通じない世」だとは思わない。
創価が仏教的思想からかけ離れているのは、彼らが釈迦を捨ててしまっているからなのだ。
そんな人達に、いくら釈迦の言葉や寛容の心を伝えてみたところで、受け入れられないはずだ。

妙な納得を得たところで、しばらく創価から離れようと思う。
ここ数日、いろいろ考え過ぎた。

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posted by ミル1000 at 16:45| Comment(19) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月06日

広布基金(財務)を考える

ネット検索でこんなものを見つけた。

財務の小冊子1http://www.geocities.jp/masakitugimori/sg/PA190178.JPG
財務の小冊子2http://www.geocities.jp/masakitugimori/sg/PA190185.JPG

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こんなモノまで作って財務を競わせてるのか。何だかなぁ・・・。
お布施ってランク付けされるものなのか?
「全員」の意義って何?? 生命までかけなあかんの??

これって、戸田サンの「金のないのに出す必要はないぞ」や、池田サンの「永久に、ただの一銭も供養を願うようなことはいたしません」という言葉を裏切ってないか?

いや、違うな。裏切っているのは、池田サンの方だ。
地区の幹部が、功徳だの、真心だの、公宣流布だの、正義の闘いだの御託を並べて末端会員からお金を搾り取っているのは、池田サンがそう命令しているからだ。
トップダウンの徹底された創価で、まさか地区の幹部が揃いも揃って勝手に財務を強要しているワケではあるまい。

地区幹部は、実質的な財務のノルマを背負わされている。
だから、何としても会員達にお金を出してほしい。
会員の幸せの為ではなく、自分の地位を守る為に。

一、地区部長は少なくとも10万円以上の財務をすべきである。
一、預貯金全部を出すのは当たり前。
  それにどの程度上乗せするかが信心の戦いだ。
一、各支部で10万円以上出す人を20人以上作れ。
一、1口2口しか出さない人は信心がない証拠だ。
一、支部内で100万円以上の大口を何人作るかが、支部長の戦いだ。
一、個人指導、家庭指導で3口以下の財務部員がいないようにする。


課せられたノルマを背負って、地区幹部は学会員宅に出向き財務の額を確認してまわる。生活が苦しい人でも、例え借金があっても、かつての戸田サンの様に「金のないのに出す必要はない」とは決して言わない。
むしろ、「苦しい時にこそ財務を」と会員の信仰心を煽り、財務に駆り立てる。そして、財務が原因で生活が破綻する様な事になれば、「信心が足りない」と切り捨てる。

果たして、これが「供養」の正しいあり方なのか。
供養が信心から行われるものであるなら、その正誤を問うのはナンセンスかもしれない。
ならば、「信者に絶対の幸せを確約する」宗教で、信者を誤った道へと導き、破滅へと追い詰め兼ねないこの現状が見過ごされているのは何故なのか、と問いたい。
活動家の中から、軌道修正を求める声が挙がらないのは何故なのか。
組織の誤りを認識する一部の学会員も、巨大な組織の前では正義心を捨て、見て見ぬふりをするだけなのか。
それが釈迦の信徒として、日蓮の信徒として正しい姿だと、胸を張って言えるのだろうか?


もうひとつ、財務の明細・用途について公表を求める声が挙がらない事も不思議でならない。

私なら、自分が苦労して手にしたお金がどの様な形で役立てられるのか知りたい。と言うより、お金を出す以上、その用途にも責任を持つ事は当然だと思う。
「供養」だから、学会を信じているから後はお任せ。こうした態度を、私は無責任だと感じる。根拠はなくとも「良い事に使われている」と信じて人任せにしてしまえば、自分も満足するし、考えなくていいから楽だろう。
そう、ただ楽をしているだけなのだ。

学会員は、自分達の汗と血の結晶である学会の資金が、無駄に浪費されている現実と、その可能性について、真剣に考えるべきではないだろうか。

実際、弓谷男子部長の様な幹部の給料に消え、負け続ける裁判費用と賠償金に消え、メディアの篭絡に消え、池田サンの有り余る憲章と引き換えに消えるお金がいかほどのものか、私には想像もできない。

因みに、池田大作氏の過去の納税額は以下の通り。

 1995年度 2億4109万円
 1996年度 2億1206万円
 1997年度 2億3751万円
 1998年度 1億7200万円
 1999年度 1億5396万円
 2000年度 1億1883万円
 2001年度 1億3616万円
 2002年度 1億1537万円
 2003年度 1億2774万円
 2004年度 1億2895万円

ま、人の財布の中身に興味はないけど、池田サンの巨万の冨が、宗教法人法の恩恵と、公明党の策略と、学会員の献身によって築かれたものである事は間違いない。

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posted by ミル1000 at 20:36| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記

一家和楽の信心

学会員の家庭において、信仰が家庭不和の原因となっている例は少なくない。
本来、人を幸せにする為の宗教が、信仰に傾倒すればするほど不幸の要素を作り出している様では、本末転倒甚だしい。

幸せや平和は、自分ひとりのものではないはずだ。人と人の繋がりの中に感じてこそ、そこに本当の意味での幸せが生まれるのではないかと思う。

創価の妄信会員は、兎角、物事の順序を取り違えがちではないだろうか。
彼らは、何事にも「創価は正しい」という大前提を置き、その後に諸々の現実や問題を付随させて考える。
例えば、返済しなければならない借金があるのに財務やマイ聖教を優先したり、親としての責任(家事や子育て)を放棄して学会活動に明け暮れたり、活動の為に仕事をおざなりにしたり。

彼らが道を誤っている事は明らかだ。
学会員のAさんによると、こうした良識ない行動は『法を下げる』と言うらしい。

かつて、戸田城聖は「一家和楽の信心」を説き、「供養は苦しんでやるものではない」と指導していた。

「経王殿御返事」講義より引用 (1957.7.18 大阪市中之島公会堂)

金のないのに出す必要はないぞ。そんなことで金を出してもろうては、わしは困る。貧乏人からまで金をもらってやるわけにはいかん。だから、そんな大講堂の方への寄付金などは、君はやめ給え。
(中略)
供養というものは、そんな苦しければやらなきゃいい。楽しんでやるようでなければ供養になりません。だから、そんな苦しければ、ご供養なんかやめなさい!これはわしの命令だ!するな!しないでよろしい!誰のためにするんだ?自分のためにするんじゃないか。俺のためにしてもらうんじゃない。やめろ、やめろもう!心に少しの負担を感ずる者はご供養はしては相成りません。功徳にならないから。


この考え方は、現在の創価学会でも変わってはいないはずだ。
しかし、多くの学会員は、こんな風に思っていないだろうか。

 ・苦しい時ほど財務を頑張ることが功徳につながる
 ・財務はいつか何倍にもなって返ってくる
 ・聖教新聞は読まなくても買うことが信心の証
 ・学会が為そうとしている大儀の為には家族の犠牲も止むを得ない
 ・仕事で責任を果たす事より、学会活動の方が世の為人の為

現在の学会で、この様な偏向した指導が積極的に行われている。
その目的は、ひとりひとりの会員の為ではなく、学会組織を守る為、ひいては池田サンを守る為、それに尽きる。

『新・人間革命』第4巻「凱旋」の中に、この様なくだりがある。

学会が推進する供養、財務は、すべて日蓮大聖人の御遺命である。
これに勝る供養もなければ、大善もない。
ゆえに、これに勝る大功徳もないはずである。


前述の戸田城聖の言葉と比較してみてほしい。
そして、かつての池田サン自身の言葉とも比べてみてほしい。

 創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も
 寄付を願ったり、供養を願うようなことはいたしません。

(1962.6.16 聖教新聞より)


この数ヶ月、彼を見ていて感じた事でもあるが、創価学会は末端地域においては、ある意味素晴らしいコミュニティを作り上げている。
しかし、素晴らしいコミュニティとは、互いを矯正し合える関係でなくてはならない。親としての責任、社会的責任を見失っている人達に、誤りを指摘し、正しい道へ連れ戻す事が、良きコミュニティの姿であり、宗教人としてのあるべき姿だと思う。

信心とは、巨大組織の歯車になる事ではない。
組織の大儀の為にたったひとりの人でも犠牲にするべきではないし、ひとりの犠牲者も見過ごすべきではない。
人の不幸の上に成り立つ幸せなんてあり得ない。
誰かの幸せを犠牲にして築かれたものに何の意味があるだろう?
  
posted by ミル1000 at 12:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月02日

個人情報保護法⇒創価保護法

『個人情報の保護に関する法律』(以下、個人情報保護法)は、公明党が強引に推し通し、2004年に制定されたものだ。
実は、この法律に関して、私は誤解している点が多々あった。
改めて同法律について調べ、併せて自分の考えをまとめてみた。

私は、仕事柄、個人情報の扱いにはナーバスな方だと思う。勤め先が「P(プライバシー)マーク」を取得していて、何かと煩く言われるせいかもしれない。
面倒臭いと思わないでもないが、個人情報保護の必要性はインターネットでの情報の受発信が益々容易になる現代で高まっており、『個人情報の保護に関する法律』は不可欠だと思う。

以前、学会の役員さんに、学会会合での個人情報の取扱について指摘した事があった。
学会のある種の会合では、折伏の目標として「個人名など」を会合出席者の前で発表するらしい。
「私は、△△の○○さんを必ず入信させます!!!」という感じで。
彼と役員さんに事実確認したので、間違いない。
自分の知らないところで、自分の名前が叫ばれている可能性があるので、心当たりのある方は学会員に事実確認をし、キッパリ拒否表明をされた方が良いかと思う。

ブログ『創価学会は本当に正しいのか?』にも、その「折伏戦」の様子が書かれている。(かなり笑えるので、思いっきり笑ってしまいましょう。)
<「折伏戦2」「折伏戦3」参照>

こうした事実に加えて、彼の上役が私の情報(勤務先、現在居住地域、実家など)を彼から聞き出していた事が腹立たしくもあり、
「学会の個人情報の扱いはどうなってるのか。
 個人情報保護法に違反するのではないか!?」と詰め寄ったわけだ。

しかし、改めて同法律を調べてみて、呆れ返ってしまった。
(自分と法律に・・・)

この法律が対象としている「個人情報取扱事業者」とは、「個人情報データベース等を事業の用に供している者(顧客情報、取引先情報、従業員情報等において、5000人以上の個人情報を有し、それらを事業を営む上で利用している事業者)」をいう。つまり、個人を対象にしてものではないから、「○○さんが個人情報保護法に違反したから訴える!」という主張は成り立たないわけだ。更にこの法律、適用除外の項にちゃっかり「宗教法人」とあるのだ。
因みに、創価学会のHP(SOKAnet)の「当会の個人情報の取扱い」にも、このあたりの事は記載されている。
会合や折伏、選挙活動における一般人の個人情報の取扱については、学会員の良識に委ねられる、というのが現状の様だ。

同法律の問題点は、他にもある。
創価学会がその名を伏せて政治経済、教育、メディア、芸能等のあらゆる分野に信者を送り込む事を容易にしたばかりか、真の目的は、池田大作をメディアのバッシング等から守ることにある。
更に、同法が犯罪捜査の障壁となり、結果的に犯罪者の手助けをしてしまっている事実も見過ごしてはならない。

『個人情報保護法』が不要であるとは思わないが、現行法には改善の余地が大いにある様だ。


【参考】

個人情報の保護に関する法律の概要(内閣府)
「池田大作を守る」ためだった個人情報保護法案の成立(FORUM21)
  
posted by ミル1000 at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 公明党・政治関連