2009年05月27日

法華経の来歴

『日経ビジネスオンライン』 というメルマガを登録している。
登録しているだけで、ほとんど読んでいなかったのだが、「諜報謀略講座」というコーナーの中に面白い文章を見つけたので、ご紹介しておこうと思う。

簡単に要約したものを載せるが、法華経の成立にまつわる、とても興味深い話なので、創価学会員の方にも熟読されることをお薦めする。

第5講:仏教に埋め込まれたインテリジェンスの連鎖
(東京農工大学教授 松下博宣)

(以下、要約)
法華経が書かれたのは釈尊滅後からほぼ500年後、紀元前50年から紀元前150年くらいのことである。
仏教経典に精通する博覧強記の僧である智は、「全ての御経はお釈迦様が説いたことがらを記述した正当なテキストである」という大前提のもとで、次のように経典の価値を判定(教相判釈)した。
お釈迦様は、最初に華厳経をお説きになった。その教えが難しいため、次に平易な阿含経をお説きになった。そして、方等経、般若経をお説きになり、最後の8年間で法華経と涅槃経をお説きになった。そして最後に説いた法華経がお釈迦様の最も重要な教えであるとした。
これを五時教判という。
しかし、智の前提「全ての御経はお釈迦様が説いたことがらを記述した正当なテキスト」は、実は間違いだった。近年、内外の学問研究によって法華経は仏陀釈尊直説を記した経典ではないということが歴然と判明している。
日本に伝わった中国経由の仏教の正当性、正統性が問われる一大事である。日本の仏教徒は、ある意味、偽物の経典を信じて(信じさせられて)きたことになる。そして法華経の影響は、仏教界はおろか、政治、経済、教育の諸制度にまで甚大に及んでいる。
“de facto”とは「作られたるがゆえの」を意味するラテン語だが、ある時代の人材がインテリジェンスをもって次の世代に熱烈な信仰者を生む仕組みを作り、そこから新たな才能を持つ人材がまた別のインテリジェンスをもって次の世代の熱烈な信仰者を生む仕組みを作っていく。この精巧なインテリジェンスの連鎖により、時代や地域を超えたデファクト・スタンダードを作り上げる「強い力」が生み出された。


第6講:語られ得ぬ法華経の来歴

(以下、要約)
法華経創作は、大衆部の僧らが原始キリスト教の福音を参照した(影響を受けた)可能性がある。
その根拠として、第一に、法華経の成立時期とトマスによるインドへのキリスト教伝道の時期が符号するという時代背景。第二に、法華経の構成論理が、上座部系の経典には全く見られず、仏教の脈絡からは隔絶したものであり、かつ福音書の論理構成と同型であること、がある。
法華経は、一乗妙法、久遠本仏、菩薩行道を、法華経の真実性、絶対性、優位性とともに繰り返し説く。福音書は、イエス・キリストのみを救い主として信じ、十字架による罪の償いを受け入れ、その教えを他者に伝えることで誰もが等しく救済されると説く。両者の論理構成は同じなのである。
また、法華経に多用されている「如是我聞」という文言は非常に重要である。「法華経」フィクション・ライターは、独自のストーリーを作り上げ、「如是我聞」=「私はこのように直接お釈迦様からお聞きしました」と虚偽の言説を埋め込んだのである。
インドの「法華経」フィクション・ライターの共同謀議による経典捏造の社会的インパクトは広大無辺といっていほど甚大なものであった。仏教経典のデファクト・スタンダードとして、ユーラシア大陸東部のほぼすべての地域で広く流布し、漢語、チベット語、ウイグル語、モンゴル語、満州語、朝鮮語にまで翻訳されて伝播した。2000年という長きにわたる歴史に浸透させることに成功したからだ。日本でも大きな影響を及ぼしたことは前回述べたとおりである。
1900年くらい前に、「如是我聞」という4文字が物語に加えられ、それが仏教経典になった。約1900年後に、遥か東方の日本で選挙が行われ、その仏教経典をかつぐグループに関連する政党が政治の動向を左右している。事後的に歴史を振り返れば、法華経の来歴にはありありとバタフライ効果(初期値の小さな差が思いもよらぬ差となって結果に表れること)が見てとれる。
この欺瞞工作、ノイズ挿入を仕掛け、後の世に途方もないバタフライ効果を放った一派は、天才インテリジェンスの集団である。法華経を創作して後世に伝播させたインテリジェンスの天才達は極楽浄土からこの不思議な風景を見下ろしてニヤニヤ笑っているのだろうか。あるいは地獄に堕ちて、事の顛末を見上げて苦しみもがき懺悔しているのだろうか。

  
posted by ミル1000 at 17:31| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

サヨナラは今も・・・

今日、5月27日はZARDの坂井泉水さんの命日、今年3回忌を迎えるそうだ。

恋愛は、終わっても結構引きずってしまう方で、諦めが悪いのか、根に持つタイプなのか・・・。

でも、恋愛のキズは大抵、時間が癒してくれる。
年月が経てば、苦〜い思いでもオブラートに包まれた様にボヤけてくるし、何となく、かつて愛した人の幸せを願っていたりもする。
「サヨナラは今も・・・」という人はいないから、ちゃんと卒業できているんだろうな。

創価の彼は、まだ分からない。
いつだったか、こんな事をメールに書いたことがあった。

    誰かに必要とされたいから
      誰かの為にガンバってる


  この歌詞がすごく好き。


自分を必要としてくれる人がいたら、すごく嬉しいものだ。
誰もみんな、本当は寂しがり屋で、孤独を抱えてる気がする。


 るんるん<YuTube>で聴く

 サヨナラは今もこの胸に居ます

  Lyrics by 坂井泉水
  Music by 栗林誠一郎
  
posted by ミル1000 at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | Songs in my Heart