2009年05月19日

支え合ういのち

阪神淡路大震災の時のこと。
神戸に住んでいた祖母と親戚一家、親戚の老犬が我が家に避難してきた。
このワンコ(おばあちゃん犬)は、震災による疲労のせいであったか、老衰であったかはっきりと覚えていないが、我が家に来た時には、もう、ごはんにも散歩にもウチの愛犬(元気盛りのオス)にも興味を示さず、声を出すことすらない程に衰弱していた。

ところが、我が家の愛犬は、このおばあちゃん犬に、“大変”興味を持ったのだ。
彼女をターゲット内の女性と判断し、精力的に追い回し始めた。

この積極的(なりふり構わない?)アプローチに“女心”を触発された(?)おばあちゃん犬は、数日のうちに驚異的な若返りを見せて私たちを驚かせた。
彼女は、モリモリとごはんを食べ、散歩中も力強く歩き、鬱陶しくまとわり付くウチの愛犬に吠えかかるようにもなった。

この事件を思い出す度、神秘的な様で、実は何よりも自然な事なのだと感じ入る。
老いを感受し、静かに最期を待つ老犬の心が、若さ溢れる生命力に触れ、その体に生きる気力が蘇ったのだ。
動物の心は純粋なだけに、こうした現象が顕著に現れるのではないかと思う。

このおばあちゃん犬は、我が家を去ると、また以前の状態に戻り、その後間もなく静かに永眠した。

人間も、年齢に関わらず、他人から気力や活力を与えられる機会は多い。
落ち込んでいる時に励ましてくれる人から、悲しみを共感してくれる人から、悩み事を相談できる人から。
独りで生きていくことは、人間にとっても動物にとっても、とても厳しいことであり、支え合うことのできる存在が、相互の生命力の糧となっている。
こう考えても、考え過ぎではないと思う。

創価学会のコミュニティの中には、こうした支えあう力が大きく働いているのだろう、と思う。
共依存、MC、信仰を条件にした関係であったとしても、「救われた」と感じる人は確かにいるのだ。
大げさな言い方かもしれないが、いのちの糧を得ることができた組織に、その人間が心酔していくのは当たり前だろう。
人と人の繋がりが希薄な現代社会にあって、こうしたコミュニティが大きな魅力となっている現実は否定できないのではないかと思う。
もちろん、これは末端組織に限られたことであって、組織の中枢は善良な信者を食い物にして肥大しているのだが、幹部の悪行が、盲目となった末端信者の目に映ることはない。

もし、善良な末端会員たちが、組織の悪業に気付き、自分たちの力で創価組織を変えていってくれたら・・・。
そして、日本社会にも、政治が変わり、メディアが変わり、一般人の意識が高まり、社会全体にその歪みを正そうとする自浄作用が起こってくる可能性はないだろうか。
   
posted by ミル1000 at 16:38| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記