2009年05月15日

八百万の神様

日本人の宗教には、古来、神様と仏様が共存してきた。
神仏習合は日本の文化であり、現在も私達の生活に根付いている。

寺院、神社、天満宮、稲荷大社、私達は神様仏様を同じ様に大切にし、折々手を合わせる。
家の中に神棚と仏壇があったり、お寺に鳥居があったり、日本人は合理的かつ柔軟に神仏を共存共栄させてきた。

私は「スタジオジブリ」の作品が大好きなのだが、宮崎アニメの中には、必ず<神>の存在がある。
風や、森や、川の神様が、いろんなカタチで登場する。

そうした万物への崇敬の念は、大人たちの感動を呼び起こし、子どもたちの心に自然と溶け込む。そして、自然や生命への愛情、時として畏怖の念を抱かせる。
そうした感情が、人の心を豊かにしていくのではないかと思う。

多感な幼年期に、たったひとつの固定観念を押し付けることは、豊かな感性を損なうことになりはしないだろうか。
日蓮の、創価の教えだけが正しいと刷り込まれた2世、3世の方々の成長後の苦悩が、ネット上には溢れている。
信仰を子供たちの足枷にした親の責任は、計り知れないものがあるのではないだろうか。

信仰が本来の意味を失わない限り、その真偽や優劣を問う必要などないはずだ。
創価の掲げる「平和」「教育」「文化」は何も創価特有のものではなく、どの宗教団体も目指すものは似たり寄ったりなものなのだから。
それぞれの宗教が、それぞれのやり方で信者を救い、共栄共存していけば良いではないか。
開放された精神で万物を敬うこと、本当の祈りとは、その様なものではないだろうか。
「我こそは」と他を押しのけ、のし上がろうとするから、反感を買い嫌われるのだ。
釈尊も八百万の神々も、何と愚かしい事よ、と嘆いているに違いない。
  5/19 追記
posted by ミル1000 at 19:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記