2009年05月07日

闘わない日々

今年のGWは、ほぼ毎日、彼と顔を合わせた。

特別どこかに出かけたワケではなく、映画を見て、ごはんを食べて、彼の部屋を掃除して、昼寝をして、一緒にワンコの散歩に行って。
慌しい用事の合間に、他愛ない、穏やかな休日を過ごした。
創価の話を一度もしなかったが、連休中に活動している様子はなかった。
私が気付かなかっただけかもしれないが・・・。

5月3日の朝、実家で朝日新聞を捲っていると、スポーツ面に掲載された創価学会の広告が目に入った。
記念日に合わせて、大々的な広告を出稿した様だ。
インド創価学会の子どもたちの写真の上に、
『笑顔の向こうに、新しい明日が見えます』 とある。

india_soka.jpg

インドの子どもたちは、この広告に写っている様な恵まれた環境の子どもたちばかりではない。
かつて、バックパックひとつで1ヶ月程インドを旅行した事があるが、インドの現実はその様なものではなかった。
分かった事を言うつもりはないが、生と死の混沌の中で、子どもも大人も、必死に命を繋いでいた。

渋滞の中で、私の乗った車の側からいつまでたっても離れない女児がいた。窓から小さなお菓子をひとつだけあげると、弟の手をひいて、あっさりとどこかに去っていった。

乞われてお金を渡す事は容易い。
だが、目の当たりにした現実は、豊かな国に育った私には重かった。
どこに行っても、客引きや物乞いが群がってくる。
あまりのしつこさに、嫌気がさして、そのうち近寄って来る人に険しい顔を向ける様になっていた。

そんな時、出会ったある日本人に、こんな事を言われた。
「挨拶してくれてるんだから、挨拶くらい返した方がいいですよ」
そのたった一言が、私にはズシンときた。
自分の行為が、一気に恥ずかしくなった。
私は、何の為にこの国を旅しているのか、その意味を見失っていた。

無意識のうちに、自分より貧しいと思える人たちを見下していたのだと思う。
そんな驕った目で、何を見て、何を理解することが出来ただろうか。
今でも、名前すら知らないその人の一言が忘れられない。

話を新聞広告に戻そう。
世界に認められ、192ヶ国で活躍するはずの創価学会が、日本一国のメディアを籠絡する為に、莫大な資金を注ぎ込む。
一方で、貧しさに喘ぐ子どもたちに分け与えるという選択肢もあるのに。
会員の貴重な寄付金が、世界平和の為ではなく、組織を守る為に浪費されているのが現実だ。

インドでは、ヒンドゥー教徒が8割を占める。
創価が賞賛するガンジーも、ヒンドゥー教徒であったはずだ。
仏教発祥の地とは言え、インドにおける仏教徒の数は僅か1%程度。キリスト教徒よりも少ない。聖なる川ガンガーを埋め尽くし沐浴する人々の数は、この先何十年経とうとも、創価の及ぶところではない。
これもまた、インドの現実だろうと思う。

今日、久々に『SEIKYOnet』を見ると、「5.3」だの「5.5」だの、創価は相変わらず「大闘争」三昧の日々だ。
「仏法は勝負だ」「師の為の勝利こそ正義だ」
そんな言葉は、今日の命を繋ぐのに必死な子どもたちの前では、ただの荒唐無稽なセリフでしかない。
posted by ミル1000 at 23:39| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記