2009年04月27日

「師弟不二」の真意

創価学会の会則 三代会長の項に、こうある。

 牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の
 「三代会長」は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、
 この会の永遠の指導者である。


2002年の会則変更に伴い新たに制定されたものである。
『黒い手帖』で、矢野氏はこう危惧している。

(引用)----->
すべての会員は池田氏が生存している限り、生涯、池田氏の弟子で、師匠である池田氏の言葉には絶対服従となってしまう。
この危険性を原島元教学部長がかつて指摘していた。
「日蓮の信仰が純粋であるほど、いつの間にか「池田は正しい」ということになってしまう。
そうなると池田さんの正しさが証明されなければいかん。そのために選挙で勝たねばならん。
池田さんが「国法より仏法が上」といえば、社会的不正を犯してもかまわんとなるから、罪の意識さえなく、犯罪集団化してしまう。」

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この危惧は、既に現実のものとなっている。
2008年最高裁で有罪判決を受けた「違法ビラ配布事件」、その他、数々の盗聴事件、脱会者や創価批判者へのストーカー行為、選挙法違反など、「国法」より「創価・池田教」を重んじるが故の個人的、組織的犯罪が後を絶たない。

そして、何より恐ろしいのは、多くの学会員が、こうした数々の重大事件に自分達の仲間・組織が関わっているという事実を知らずに過ごしている事だと思う。

学会の極端な教えによって破綻した思考・精神が、結果的に重大犯罪に結びついている。
その事に気付くことなく、学会員は抜け出すことの出来ない深い深い闇を自らの手で手繰りよせているのだ。

創価学会には、「師弟不ニ」という言葉が溢れている。
「師の仇は弟子が討つ。これが、創価の正義の血脈である。」
「師匠の仇を討つ。これこそが本当に偉大な人間の証である。」
「師弟は仏法の根幹であり、根本の学会精神である。」
「師弟不二で勝ちまくろう!」

どうか、もう一度、心をゼロにして考えてほしい。

「師」の為に全てを捧げることが、仏法であり、正義であるのか。
釈尊は、師の仇討や、俗世の勝負を説いただろうか。
命をかけて守るべきは「師」と説いただろうか。
釈迦の悟りは、勝にも負にも偏らない中道ではなかったか。
師弟不二という言葉の裏に自己保身を求める「師」が、あなたの手を握りしめて離さない家族や恋人、友人に勝るだろうか。

手をのばせばそこにある小さな平和こそ、見失ってはいけないと思う。
自己主張しない素朴な愛は、飾りたてた美辞麗句に目を奪われて見失いやすい。

今、こうして書いていて気が付いた。
彼の愛し方も、とても、素朴だった。
何を求めることもしなかった。多くを求めていたのは、私の方だ。


いつも拝読しているブログに、「師弟不二」についての記事があった。

『池田氏が強調する「師弟不二」という言葉が御書にはまったく書かれていない』そうだ。

-*-*-*-(参考:「斜め目線の創価学会」)-*-*-*-

上記ブログは、とても興味深い記事なので是非ご一読頂きたい。

私も、機会を見つけて、学会員の方に「御書に書かれていない師弟不二」についての意見を伺ってみようと思う。
posted by ミル1000 at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記