2009年04月24日

もはや「カルト池田教」

引き続き、『黒い手帖』を引用しつつ、創価学会のカルト性について考えてみたい。

初めて創価学会の会合(同時中継)を見たとき、予想以上のショックを受けた。
以前、「2月の同時中継」、「彼の弁論?」などで、その印象や批判を述べているが、その中で「カルト」という表現は使わなかった。
その定義を十分に理解していなかった事もあるし、信仰の自由を否定できないという思いもあった。
私の目に、創価学会がいかに異常に映ろうとも、それを素晴らしいと感じる人もいるだろう。
蓼食う虫も好き好き、である。

しかし、創価学会が、反社会的、非人道的な要素を持つ危険性の高い組織であると確信した今、私の中で創価学会は、もはや明確な「カルト教団・カルト池田教」である。

『黒い手帖』で矢野氏はこう述べている。
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私の手帖はまさに爆弾だった。
学会、公明党の暗部に触れる内容も少なくない。
振り返れば、私が現役時代、実に多くの事件が起きた。
それ自体、学会という宗教団体の異常体質を示すものではないかと思う。

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矢野氏が関わった事件とは、言論出版妨害事件、学会と共産党との協定、池田氏の女性問題を記事にした「月刊ペン」との裁判、大石寺との
二度にわたる紛争、ルノアール絵画疑惑、捨て金庫事件、国税庁による学会への税務調査、などである。
残念ながら、『黒い手帖』の中でその仔細は述べられていない。
いずれ、全てを白日の下に晒す日が来るという矢野氏の言葉に、期待したい。

会合(同時中継)で、私は、学会の「個人」に対する執拗なまでの攻撃、悪口雑言の数々、池田氏に対する異常なまでの服従と妄信ぶりを目の当たりにした。
しかし、私が予想以上にショックを受けたのは、彼が、この会合を「素晴らしい」と賞賛し、罵詈雑言の溢れるスピーチに躊躇うことなく拍手を送る姿を、この目で見てしまったから、なのかもしれない。
彼と距離を置いている今も、彼のこの行動がマインド・コントロールによるものであり、彼本来の姿ではないのだと、信じたい気持ちは消えてはいない。

『黒い手帖』からも、会合の異常性が、いかに危険性を孕んでいるかが
分かる。
(以下引用・一部要約)----->
学会会合においても、誹謗中傷は日常茶飯事で、名は全て呼び捨て。
罵詈雑言のオンパレード。
竹入義勝元公明党委員長、山崎正友元創価学会顧問弁護士、阿部日顕日蓮正宗前管長、藤原行正下公明党都議への凄まじいバッシング。
およそ宗教団体、宗教人の言葉とは思えない汚い口調の誹謗。
会合の会場入り口には、それらの人の名を書いた色紙様の紙を置き、会員たちにあたかも踏み絵の様に土足で踏み躙らせた。
こうすることによって、会員の憎悪新を掻き立てただけでなく、躊躇する者は異心ありとして学会への忠誠心を確かめた。
また、仏壇に彼らの名を記した色紙様の紙を置き、呪い殺さんかのように会員に指導した。
学会や公明党の中枢にいた人間が離反した際に、連鎖、連動による他の会員の学会離れを防ぐために熾烈な見せしめが必要であり、学会首脳は、見せしめ効果を高めるためには「容赦のない徹底した攻撃」が有効だと考えている。

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更に、----->
あたかも敵を呪い殺そうとでもしているような指導は一刻も早くやめるべきではないか。
人の幸せを祈るならまだしも、宗教人ともあろうものがそのようなことを行っているとは信じがたい。
こうしたマインド・コントロールが、カルトの特色だと指摘する専門家もいる。 昨今の学会の暴走ぶりを見ていると、狂信集団に変異しつつあると見る人が出てもおかしくない。

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こうした極端な思想が、ごく普通の人の心を支配していくキッカケは、人の心の弱さに因るものなのか。
それとも、社会の歪みに因るものなのだろうか。

例え小さな挫折でも、心に痛みを抱えるのは辛い。
おそらく、学会員の誰もが、そういう痛みを知っている。
その経験は、やがてその人の中で「優しさ」や「強さ」、「思い遣り」へと成長するはずだった。
そして、同じ痛みに苦しむ人を救えるはずだった。

しかし・・・、
学会で日常的に繰り返される荒んだ言葉を、心苦しく思う人は、もはやいないのだろうか。
人を許し、人に許されて誰もが生きている。その事に気付く人は、もはやいないのだろうか。
妄信の果てに頑なに閉ざされた心を哀れと思える人は、どこにもいないのだろうか。

学会信者の心から優しさを奪い、破壊しながら、学会の導く道は、何処へ向かっているのだろうか。

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posted by ミル1000 at 15:45| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記