2009年04月08日

信じたいから、ただ信じようとする

今更だが、創価学会を通して彼に接すると、どうしても擦れ違ってしまう。

学会活動のせいで約束の時間に遅れ、時間になっても連絡すらよこさなかった彼に、またもや怒りが爆発した。
精神的に崖っぷちを歩いているから、感情を抑える事ができない。
今の私は、「学会員」と接するには、不適当な人間この上ない。

以前、本部長さんを交えた話し合いで、彼は「学会の裁判敗訴の事実」
など、多少なりとも学会の嘘をを知る事となった。
だが、その後も変わりなく学会活動を続けている。
創価学会に対する依存度(忠誠心?)は、ほとんど変化していない様だ。

怒りにまかせて、彼に言った。

『創価学会が何百万人もの人を騙してる嘘も、一般人を巻き込んでいる
 犯罪も、目を逸らして、何も考えなければ楽でしょう?

 自分が活動をする意味も「分からない」って言葉で逃げてしまえば、
 悩まなくていいから、すごく楽でしょう?

 でも、そうやって逃げているうちに、自分自身の心も、大切な人も、
 見失ってしまうよ。

 もう既に、善の心を見失ってる。

 事実を知った上で、嘘に加担して、犯罪を容認して、過ちを正す
 どころか、平気で見過ごして、そこに罪の意識を感じてないんだから。
 無知の罪よりずっと重い罪だと思う。』


正義感を振りかざすつもりはないが、分かってもらえない歯がゆさで
彼を追い詰める言葉しか出てこない。
そして、私の言葉が、彼の心を、返って頑なに閉ざしてしまっている。

ふと、数年前の自分を思い出した。
その頃付き合っていた彼は、親にも友達にも受け入れてもらえない人
だった。
反対される理由を、理性の部分で私はよく理解していた。
傍から見て、私は決して幸せには映らなかっただろう。
私自身、辛い思いを繰り返し、泣きながら眠りについた夜も数知れない。
そんな人と訣別するのに、4年の歳月を要した。
信じたいから、ただ信じようとする、強烈な観念に捉われていた様に思う。
何故なのか、と問われても、分からない。

彼の創価学会に対する思いも、根本は同じなのではないだろうか。
人は、そう簡単に未練を断ち切れない。
弱い心は、自分の信じてきたものを否定できない。
だから、信じているものを批判されると、無意識のうちに庇ってしまう。

私が彼の元を去っても、彼が追いかけてくる事はないだろう。
そして、彼は、学会と共にそれなりに幸せな人生を送るのだろう、と思う。
とても素直で、人に愛されるものを持っているから。
posted by ミル1000 at 18:34| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記