2009年04月30日

感受性を豊かに

今日の日本列島、全域で晴れマーク一色となった。
今朝の天気予報で、「1年に1度あるかないか」と言っていたのだが。
真夏には連日の出来事の様な気がするが、注意して見た事もなかったな・・・。

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昨日、彼に会った。
ゆっくりと顔を会わせるのは、いつ以来だったろうか。

夜勤明けの彼を叩き起こして、隣県の美術館へ連れて行ってもらった。

いつの頃からか、美術館に行くことが好きになった。
パリのルーヴルや、フィレンツェのウフィツィなど、訪れた美術館は結構ある。宗教画の鑑賞は、私にとって物語を読むような感覚だ。

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これは、ボッティチェッリの『聖母子と天使』。
繊細なヴェールに包まれた聖母マリアの横顔は、優しく美しい。

彼は、何を感じてくれただろうか。

そう言えば、彼を連れてあちこち出かけている。

『山下清』展に行ったこともあった。
花火の貼り絵が大好きで、この日も夜勤明けの彼を引っ張って行った。

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劇団四季のミュージカル『オペラ座の怪人』も、一緒に観た。
怪人の歪んだ愛憎と、その怪人を「音楽の天使」と歌うクリスティーヌ。
クリスティーヌの純粋な愛は、最期、怪人の心に触れる。

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映画、美術、舞台芸術、音楽などを通じて、いつも感性豊かな人間でありたいと思う。
彼が望むかぎり、彼にも、私の手で新しいことに触れる機会を与えてあげたい。
豊かな心は視野を広げ、いつか、閉ざされた世界から一歩踏み出すきっかけになるかもしれないから。
posted by ミル1000 at 18:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年04月28日

MCに取り組む

今日、西田公昭氏著 『マインド・コントロールとは何か』という本を購入した。

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今の私には、創価の知識はあっても、彼の心を知る事ができない。
今後、どの様なカタチで彼と付き合っていくにしても、MCに関する知識は、少なからず私にヒントを与えてくれる様な気がする。

自分の感情すら持て余す様な人間に、果たして何ができるのか。

挫けそうになる気持ちと、何とかしたいと思う強い意志の間を彷徨いながらも、明日後悔しないように。

posted by ミル1000 at 19:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 書籍紹介

2009年04月27日

「師弟不二」の真意

創価学会の会則 三代会長の項に、こうある。

 牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の
 「三代会長」は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、
 この会の永遠の指導者である。


2002年の会則変更に伴い新たに制定されたものである。
『黒い手帖』で、矢野氏はこう危惧している。

(引用)----->
すべての会員は池田氏が生存している限り、生涯、池田氏の弟子で、師匠である池田氏の言葉には絶対服従となってしまう。
この危険性を原島元教学部長がかつて指摘していた。
「日蓮の信仰が純粋であるほど、いつの間にか「池田は正しい」ということになってしまう。
そうなると池田さんの正しさが証明されなければいかん。そのために選挙で勝たねばならん。
池田さんが「国法より仏法が上」といえば、社会的不正を犯してもかまわんとなるから、罪の意識さえなく、犯罪集団化してしまう。」

<-----------

この危惧は、既に現実のものとなっている。
2008年最高裁で有罪判決を受けた「違法ビラ配布事件」、その他、数々の盗聴事件、脱会者や創価批判者へのストーカー行為、選挙法違反など、「国法」より「創価・池田教」を重んじるが故の個人的、組織的犯罪が後を絶たない。

そして、何より恐ろしいのは、多くの学会員が、こうした数々の重大事件に自分達の仲間・組織が関わっているという事実を知らずに過ごしている事だと思う。

学会の極端な教えによって破綻した思考・精神が、結果的に重大犯罪に結びついている。
その事に気付くことなく、学会員は抜け出すことの出来ない深い深い闇を自らの手で手繰りよせているのだ。

創価学会には、「師弟不ニ」という言葉が溢れている。
「師の仇は弟子が討つ。これが、創価の正義の血脈である。」
「師匠の仇を討つ。これこそが本当に偉大な人間の証である。」
「師弟は仏法の根幹であり、根本の学会精神である。」
「師弟不二で勝ちまくろう!」

どうか、もう一度、心をゼロにして考えてほしい。

「師」の為に全てを捧げることが、仏法であり、正義であるのか。
釈尊は、師の仇討や、俗世の勝負を説いただろうか。
命をかけて守るべきは「師」と説いただろうか。
釈迦の悟りは、勝にも負にも偏らない中道ではなかったか。
師弟不二という言葉の裏に自己保身を求める「師」が、あなたの手を握りしめて離さない家族や恋人、友人に勝るだろうか。

手をのばせばそこにある小さな平和こそ、見失ってはいけないと思う。
自己主張しない素朴な愛は、飾りたてた美辞麗句に目を奪われて見失いやすい。

今、こうして書いていて気が付いた。
彼の愛し方も、とても、素朴だった。
何を求めることもしなかった。多くを求めていたのは、私の方だ。


いつも拝読しているブログに、「師弟不二」についての記事があった。

『池田氏が強調する「師弟不二」という言葉が御書にはまったく書かれていない』そうだ。

-*-*-*-(参考:「斜め目線の創価学会」)-*-*-*-

上記ブログは、とても興味深い記事なので是非ご一読頂きたい。

私も、機会を見つけて、学会員の方に「御書に書かれていない師弟不二」についての意見を伺ってみようと思う。
posted by ミル1000 at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年04月24日

もはや「カルト池田教」

引き続き、『黒い手帖』を引用しつつ、創価学会のカルト性について考えてみたい。

初めて創価学会の会合(同時中継)を見たとき、予想以上のショックを受けた。
以前、「2月の同時中継」、「彼の弁論?」などで、その印象や批判を述べているが、その中で「カルト」という表現は使わなかった。
その定義を十分に理解していなかった事もあるし、信仰の自由を否定できないという思いもあった。
私の目に、創価学会がいかに異常に映ろうとも、それを素晴らしいと感じる人もいるだろう。
蓼食う虫も好き好き、である。

しかし、創価学会が、反社会的、非人道的な要素を持つ危険性の高い組織であると確信した今、私の中で創価学会は、もはや明確な「カルト教団・カルト池田教」である。

『黒い手帖』で矢野氏はこう述べている。
----->
私の手帖はまさに爆弾だった。
学会、公明党の暗部に触れる内容も少なくない。
振り返れば、私が現役時代、実に多くの事件が起きた。
それ自体、学会という宗教団体の異常体質を示すものではないかと思う。

<-----

矢野氏が関わった事件とは、言論出版妨害事件、学会と共産党との協定、池田氏の女性問題を記事にした「月刊ペン」との裁判、大石寺との
二度にわたる紛争、ルノアール絵画疑惑、捨て金庫事件、国税庁による学会への税務調査、などである。
残念ながら、『黒い手帖』の中でその仔細は述べられていない。
いずれ、全てを白日の下に晒す日が来るという矢野氏の言葉に、期待したい。

会合(同時中継)で、私は、学会の「個人」に対する執拗なまでの攻撃、悪口雑言の数々、池田氏に対する異常なまでの服従と妄信ぶりを目の当たりにした。
しかし、私が予想以上にショックを受けたのは、彼が、この会合を「素晴らしい」と賞賛し、罵詈雑言の溢れるスピーチに躊躇うことなく拍手を送る姿を、この目で見てしまったから、なのかもしれない。
彼と距離を置いている今も、彼のこの行動がマインド・コントロールによるものであり、彼本来の姿ではないのだと、信じたい気持ちは消えてはいない。

『黒い手帖』からも、会合の異常性が、いかに危険性を孕んでいるかが
分かる。
(以下引用・一部要約)----->
学会会合においても、誹謗中傷は日常茶飯事で、名は全て呼び捨て。
罵詈雑言のオンパレード。
竹入義勝元公明党委員長、山崎正友元創価学会顧問弁護士、阿部日顕日蓮正宗前管長、藤原行正下公明党都議への凄まじいバッシング。
およそ宗教団体、宗教人の言葉とは思えない汚い口調の誹謗。
会合の会場入り口には、それらの人の名を書いた色紙様の紙を置き、会員たちにあたかも踏み絵の様に土足で踏み躙らせた。
こうすることによって、会員の憎悪新を掻き立てただけでなく、躊躇する者は異心ありとして学会への忠誠心を確かめた。
また、仏壇に彼らの名を記した色紙様の紙を置き、呪い殺さんかのように会員に指導した。
学会や公明党の中枢にいた人間が離反した際に、連鎖、連動による他の会員の学会離れを防ぐために熾烈な見せしめが必要であり、学会首脳は、見せしめ効果を高めるためには「容赦のない徹底した攻撃」が有効だと考えている。

<-----
更に、----->
あたかも敵を呪い殺そうとでもしているような指導は一刻も早くやめるべきではないか。
人の幸せを祈るならまだしも、宗教人ともあろうものがそのようなことを行っているとは信じがたい。
こうしたマインド・コントロールが、カルトの特色だと指摘する専門家もいる。 昨今の学会の暴走ぶりを見ていると、狂信集団に変異しつつあると見る人が出てもおかしくない。

<-----

こうした極端な思想が、ごく普通の人の心を支配していくキッカケは、人の心の弱さに因るものなのか。
それとも、社会の歪みに因るものなのだろうか。

例え小さな挫折でも、心に痛みを抱えるのは辛い。
おそらく、学会員の誰もが、そういう痛みを知っている。
その経験は、やがてその人の中で「優しさ」や「強さ」、「思い遣り」へと成長するはずだった。
そして、同じ痛みに苦しむ人を救えるはずだった。

しかし・・・、
学会で日常的に繰り返される荒んだ言葉を、心苦しく思う人は、もはやいないのだろうか。
人を許し、人に許されて誰もが生きている。その事に気付く人は、もはやいないのだろうか。
妄信の果てに頑なに閉ざされた心を哀れと思える人は、どこにもいないのだろうか。

学会信者の心から優しさを奪い、破壊しながら、学会の導く道は、何処へ向かっているのだろうか。

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posted by ミル1000 at 15:45| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記

2009年04月23日

政教一致の事実

ブログのアクセス元を見てみると、「黒い手帖」(矢野絢也著)の検索から来て頂いているケースが結構ある様だ。

先日、駅近くの本屋で、通路側最前列に同書が置かれているのを見て、少し驚いた。
国政選挙が近付く中、創価学会・公明党が注目を集めるのは良いことだと思う。

『黒い手帖』を参考に、創価学会と公明党の「政教一致」の事実を書いておこうと思う。

選挙が始まると、学会員は組織を挙げて公明党の支援活動をする。
誰しも、選挙期間中に、学会員から何らかのアクションを受けた経験があるのではないだろうか。

学会員は、「F(フレンド)票」を獲得する為に、ご近所、友人、知人、親戚、ありとあらゆる縁を辿って、精力的な活動を繰り広げる。
それは、「選挙活動」=「公宣流布の闘い」であり、選挙活動で功徳を得られると信じているからだ。

『黒い手帖』に、こうある。
(引用・一部要約)--->
ある民主党議員が公明党の政策を批判した。
政策には政策で反論するのが常識だが、学会幹部は敵意をむき出しにして、内部の会合で「民主党は仏敵だ」と怒りをあらわにした。
「仏敵」という言葉を使用すれば、これは超論理の世界になってしまい、政治次元から信仰次元にすり替わってしまう。
だが選挙の戦略としては、これほど有効な言葉はない。
学会員のボルテージを上げ、対立候補への憎悪をかきたてる。
池田氏自らが、選挙違反で罪に問われた学会員に「法難賞」なるものを贈って讃えている、という話もある。
学会員にとって選挙と信仰は直結しているのである。

<---

更に、「活動には、非課税で建てられた学会施設がフル活用される」とある。
学会員による活動はもちろん、公明党候補者も創価学会の会館を無償で利用するのだ。
これでは、政教一致と見られても仕方がない。
いや、明らかな政教一致である。

また、同書によると、公明党議員は、「師弟不二」こそが、命がけで池田先生を守ることこそが自分達の使命だと信じている、という。
それが「公明党議員に刷り込まれている至上の使命」であるが故に、政治家としての立場より、学会員の立場の方がはるかに強い、というのだ。

その為、公明党議員は政治の場で池田氏の考えを優先してしまう。
矢野氏自身、
「創価学会、池田先生を守らねばという使命感を持って活動してきた。
学会と公明党とともに歩み、池田先生をお守りしてきたというのが私の半生である。」 と述べている。

そして、公明党が、ややもすれば、自らが掲げる方針とは異なる方向に進むのは、こうした宗教的価値観が「政策」を凌駕していることに起因する、と。

一宗教団体に支配される政党が、10年に渡って与党に居座り、国を侵食し続けているのが、日本の現実だ。

自民党には、まだ「学会の麻薬」から抜け出せる力があるのだろうか。
  
posted by ミル1000 at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 公明党・政治関連

2009年04月21日

選挙日は創価の都合?

久々に彼に会った。
3時間程、車の中で話をしたが、学会については何も話さなかった。
今までの様に、闇雲に正論を並べ立てても、彼を傷付けるだけで何も解決しない。
しばらく距離をおいてみようと思う。
そして、先の事は分からないが、今出来る事を続けていこうと思う。


さて、公明党が「解散総選挙」の時期を学会都合に合わせようと躍起になっている。

「8月解散」公明流布 首相の真意は?(4月21日 産経新聞)

首相、公明代表と極秘会談=太田氏が解散日程で要請
 (4月17日 時事通信)

学会にとって、選挙活動は今や組織を結束させる唯一のイベントと言える。
だが、夏の猛暑の中、資金・時間・労力を強いられる重要な選挙が続く
ことは、学会員にとって大きな負担となる事は間違いない。
その上に公明党の敗戦が重なれば、さすがに内部からも疲弊感と不満が溢れてくるのではないだろうか。

<参考>(『博士の独り言』より)
創価「同日は避けて」か
創価「同日選挙は困るの」か

矢野絢也氏が指摘している様に、公明党候補者が創価学会の会館を無償で選挙活動に使用している事は、明らかな政教一致と考えられる。
私の実家には、選挙の度に学会員が手土産を持って訪れる。
この様な戸別訪問にも、今後は適切に対応しなければならないと思っている。

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『公職選挙法』 (戸別訪問)第138条 

何人も、選挙に関し、投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて戸別訪問をすることができない。

いかなる方法をもつてするを問わず、選挙運動のため、戸別に、演説会の開催若しくは演説を行うことについて告知をする行為又は特定の候補者の氏名若しくは政党その他の政治団体の名称を言いあるく行為は、前項に規定する禁止行為に該当するものとみなす。

posted by ミル1000 at 20:01| Comment(8) | TrackBack(0) | 公明党・政治関連

2009年04月14日

祥月命日に寄せて

4月14日、大切な人の祥月命日。あの日から3年になる。

毎年、お寺に命日のお供養をお願いする。
お経をあげてもらい、御札と御守をいただく。
御札は、一昨年亡くなったワンコの写真と並べてテレビの上に置き、
肌身御守は、通勤定期用の小物入れに入れる。
御札には時々手を合わせるくらいで、毎日お勤めをする様な事はない。

このお寺は、菩提寺でもないし、過去には縁もゆかりもなかった。
3年前、このお寺を訪れたのは、偶然に近い。

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 一年中いつでも本堂をお参りできること、
 電車で行きやすいこと、
 本堂の空気が気に入ったこと、
 小さなお寺で訪れる人が多くないこと、

そんな単純な理由で、最初の1年は毎月お寺を訪れ、手を合わせた。

お寺の法話は、自然と心に馴染む。

 旅先でお地蔵様を見かけたら、そっと手を合わせましょう。

そんな、優しいことばが、とても好ましい。

あの人は、あなたに、温もりと、感謝の気持ちと、哀しみを乗り越える勇気を遺してくれました。

誰もが生かされています。
先祖、祖父母、親、子供に、友人や恋人にも、多くの人に許され、
生かされています。
だから、感謝の気持ちを忘れてはいけません。

お釈迦様の心とは、全てを許す慈悲の心なのです。
posted by ミル1000 at 11:21| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2009年04月13日

分かち合えるもの

しばらく彼と会っていない。
私の中で、「愛すべき彼の人間性」と
「私の正義にそぐわない学会の正義」が、消化不良をおこしている。

彼が、私を喜ばそうと、桜の写真を送ってきてくれた。
一番立派な木を探し、綺麗に写そうと四苦八苦したらしい。
その姿が容易に想像できて、複雑な思いが胸に広がった。

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分かち合えるものは、確かにある。

でも、今の私は、彼から距離を置くことで、何とか彼を見失わない様に
する事が精一杯になってしまった。
posted by ミル1000 at 19:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年04月10日

アンチの一票が学会票を崩す

今日は、『黒い手帖』にある「都議選が国政選挙より重い理由」について記しておこうと思う。

私の拙い文章では不十分なので、先に、詳しい解説のあるブログ
博士の独り言」をご紹介する。 是非ご一読頂きたい。

『黒い手帖』によると、創価学会・公明党にとって、都議選は国政選挙に匹敵する特別な位置づけになっている。
警視庁など行政への影響力を常に保持し、首都圏で権力を持つことは、池田氏と組織を守る上で大きなメリットがあり、必要不可欠だからだ。

宗教法人資格に関する権限が地方自治体に帰属していた頃から、東京はどこよりも重要な戦略的な地域であり、今でも、国政より行政の現場と直結している都政の方が重要な位置づけになっている。

そのため、都議選があると、創価学会は「都議選支援の全国作戦」を
展開し、全国各地から学会員を上京させる。
しかし、総選挙と都議選が同日実施となると、都議選支援の一方で、地元の活動が十分に行えなくなってしまう。


公明党が総選挙を急ぐ背景には、学会の都議選運動に支障が出るのを避けたい事情があるのだ。
解散総選挙の時期が、学会の都合という政治とは別の次元で左右されているわけだ。

公明党も、自民党も創価学会の協力なくして単独で選挙を闘うことができない。
「学会票は麻薬だ」という指摘がある。
自民党議員の中には、学会票に依存すればする程、独自の基礎票を
減らし、結果、学会票を上積みしても当選ラインに届かなくなってしまう
危険性が現実のものとなりつつある。

加えて、国民の政治への関心が高まり投票率がアップすれば、当選
ラインの票数も底上げされる。
投票率が5%上がっただけでも、学会票の重みは格段に軽くなるのだ。

次の総選挙で、公明党の党勢が大幅に低下すれば、
超党派有志による矢野氏らの国会参考人招致、ひいては
「池田大作国会喚問」の実現性が高まってくる。


参考:『黒い手帖』矢野絢也著、ブログ「博士の独り言」


斯く言う私も、進んで投票に赴く人間ではなかったが、今回の選挙には大いなる関心を寄せ、公明党・創価学会の今後に注目したい。

ブログをお読み頂いている皆さま、私達の一票一票が創価学会にいかなる影響を及ぼすのか、見守っていきましょう!
posted by ミル1000 at 14:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 公明党・政治関連

ダンマパダ−ブッタ 真理のことば

最古の原始仏典『ダンマパダ』より

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三. 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息むことがない。


七四. 「これは、わたしのしたことである。在家の人々も出家した修行者たちも、ともにこのことを知れよ。およそなすべきこととなすべからざることとについては、わたしの意に従え」−
愚かなものはこのように思う。こうして欲求と高慢とがたかまる。


七五. 一つは利得に達する道であり、他の一つは安らぎにいたる道である。ブッダの弟子である修行僧はこのことわりを知って、栄誉を喜ぶな。孤独の境地にはげめ。


八一. 一つの岩の塊りが風に揺がないように、賢者は非難と賞賛とに動じない。


一三三. 荒々しいことばを言うな。言われた人々は汝に言い返すであろう。怒りを含んだことばは苦痛である。報復が汝の身に至るであろう。


一六〇. 自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか?自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。


二〇一. 勝利から怨みが起る。敗れた人は苦しんで臥す。勝敗をすてて、やすらぎに帰した人は、安らかに臥す。


二〇六. いつわりを語る人、あるいは自分がしておきながら「わたしはしませんでした」と言う人、−この両者は死後にはひとしくなる、− 来世では行いの下劣な業をもった人々なのであるから。


Wikipedia:法句経
posted by ミル1000 at 12:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍紹介

2009年04月08日

信じたいから、ただ信じようとする

今更だが、創価学会を通して彼に接すると、どうしても擦れ違ってしまう。

学会活動のせいで約束の時間に遅れ、時間になっても連絡すらよこさなかった彼に、またもや怒りが爆発した。
精神的に崖っぷちを歩いているから、感情を抑える事ができない。
今の私は、「学会員」と接するには、不適当な人間この上ない。

以前、本部長さんを交えた話し合いで、彼は「学会の裁判敗訴の事実」
など、多少なりとも学会の嘘をを知る事となった。
だが、その後も変わりなく学会活動を続けている。
創価学会に対する依存度(忠誠心?)は、ほとんど変化していない様だ。

怒りにまかせて、彼に言った。

『創価学会が何百万人もの人を騙してる嘘も、一般人を巻き込んでいる
 犯罪も、目を逸らして、何も考えなければ楽でしょう?

 自分が活動をする意味も「分からない」って言葉で逃げてしまえば、
 悩まなくていいから、すごく楽でしょう?

 でも、そうやって逃げているうちに、自分自身の心も、大切な人も、
 見失ってしまうよ。

 もう既に、善の心を見失ってる。

 事実を知った上で、嘘に加担して、犯罪を容認して、過ちを正す
 どころか、平気で見過ごして、そこに罪の意識を感じてないんだから。
 無知の罪よりずっと重い罪だと思う。』


正義感を振りかざすつもりはないが、分かってもらえない歯がゆさで
彼を追い詰める言葉しか出てこない。
そして、私の言葉が、彼の心を、返って頑なに閉ざしてしまっている。

ふと、数年前の自分を思い出した。
その頃付き合っていた彼は、親にも友達にも受け入れてもらえない人
だった。
反対される理由を、理性の部分で私はよく理解していた。
傍から見て、私は決して幸せには映らなかっただろう。
私自身、辛い思いを繰り返し、泣きながら眠りについた夜も数知れない。
そんな人と訣別するのに、4年の歳月を要した。
信じたいから、ただ信じようとする、強烈な観念に捉われていた様に思う。
何故なのか、と問われても、分からない。

彼の創価学会に対する思いも、根本は同じなのではないだろうか。
人は、そう簡単に未練を断ち切れない。
弱い心は、自分の信じてきたものを否定できない。
だから、信じているものを批判されると、無意識のうちに庇ってしまう。

私が彼の元を去っても、彼が追いかけてくる事はないだろう。
そして、彼は、学会と共にそれなりに幸せな人生を送るのだろう、と思う。
とても素直で、人に愛されるものを持っているから。
posted by ミル1000 at 18:34| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2009年04月07日

「善」の哲学

ブログをお読み頂いている学会員の方から、「『善』とは何か?」
という質問が届いた。
コメント欄で回答するには、長文になり過ぎるし、折角なのでここに記載しようと思う。
私と学会員さんのこれまでのやり取りは、4月以降のコメントをご覧頂きたい。
今日の記事は、4/6のコメント「さくら by 学会員 (04/06)」への回答になる。
タイトルを「哲学」としたが、そんなご大層なものではない。

-------------------->
ご自分の固定観念に当てはめて考えるタイプなんですね。
「哲学」だったり「思想」だったり「宗教」だったり。
ご専門は理系ですか?
でも、学会員の方は「哲学」という言葉がお好きですね。
彼も使っていました。
まぁ、彼の場合、あなたの様に確固たる考えを述べる事はできないんですけどね。
私が言うのもナンですけど、彼は考察が浅いから。。。

私の専門は英語なんですけど、若い頃に海外をフラフラしていたせいで、考え方が一所に定着しなのかな。
自分と全く違うものを咀嚼する力は、私の長所だと思うんですけど。

インドの混沌の中に「生と死」の共存を感じて、
タイの山奥の小さな村で生きる人々の世界の大きさを考えて、
イタリアの美術館で、宗教画の荘厳に触れて、
オセアニアの大自然に心癒されて、
ニューオーリンズでは、その文化を肌で感じてゾクゾクしてました。

私の考えは、「哲学」みたいな確立されたものではないです。
言葉を当てはめれば「価値観」なんですけど、私の価値観は、色んな出会いを通じて、影響を受けて変化しているので、何かの枠に当てはめる事はできないんじゃないかな。
私は、変わっていく事を重要だと思うけど、「価値観」の核の部分は、基本的には変わらない。
それは、その核が私の「善」に基づくものだから、なんです。

では、「善」とは何か。
おっしゃる通り、とても難しい質問です。
心で判断する要素も大きいから、なかなか文章にはしづらいですが、
例えば・・・、

嘘をつかない、人を裏切らない、騙さない、過ちから目を逸らさない、
驕らない、生命を尊ぶ、平和を尊ぶ、そして、「無償の愛」を忘れない


数え上げればキリがないですね。
全て『心の真理』に背かない行動をすることです。
当たり前のことだけど、未熟さ故に忘れてしまいがちなこと。
人として大切なものなのに、一度見失うと、なかなか探し出せない。
手放した事に気付かないから、もう一度手にする事が難しい。


こんな答えでいいでしょうか。
以前のコメントに「宗教的思想、哲学の観点からの善悪・幸不幸の判断は、第3者に及ぶものではない」と書きましたが、今回も同様です。

難しいテーマですが、考察を深める良い機会になりました。感謝です。
彼にも、伝えようと思います。
posted by ミル1000 at 13:56| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2009年04月05日

さくら

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とてもあたたかい一日だった。
彼と、桜を見に行ってきた。
彼も私も、桜が大好きで、随分前からお花見を楽しみにしていた。

手をつないで、ゆっくりと公園の中を散歩する。
立ち止まって、満開の枝、まだ蕾の残る枝を仰ぎ見る。
時折、顔を見合わせて笑顔を交わす。

昨晩、学会活動を続ける彼を問い詰め、越えられない壁の前でもがいていた私の心が、彼の心と通い合う充足感で満たされていく。

彼と手をつないで散歩するのは何度目だろうか。
彼と出会って、何気ない休日の一時が、ただ幸せで、それで十分だと
思える様になった。

私の中で、答えは出ている。
その答えに自分の心が追いつかない。
悩みながら辿り着く場所は、まだ見えない。

posted by ミル1000 at 20:12| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2009年04月03日

黒い手帖 矢野絢也著

昨日から『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』
(矢野絢也著 講談社) を読んでいる。

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矢野氏が逆転勝訴した裁判の争点になっている「手帖」について、ご本人が書き記している。

参考までに、目次を記しておく。(詳細な目次は、文末に記載)

 ▼まえがき 池田大作名誉会長による独裁国家の建設
 ▼序章   私はなぜ創価学会に反旗を翻したが
 ▼第1章  黒い手帖の極秘メモ
 ▼第2章  手帖強奪
 ▼第3章  創価学会の卑劣な違法行為
 ▼第4章  カルト化する「池田教」
 ▼第5章  創価学会に完全支配される公明党
 ▼第6章  宗教政党の罪
 ▼第7章  池田名誉会長の野望
 ▼第8章  日本占領計画


現在、1/3程度を読んだところだが、創価学会問題に関心のある方
(学会員、非学会員共に)には、是非読んでほしいと思う。

創価学会問題に関心のない方も、他人事と思わずに手に取ってほしい。

私自身、彼に会うまでは「創価学会」というものに何の興味もなかった。
学会についての知識はゼロに等しかった。

一般人は、3ヶ月前の私と同じ様に、関わり合いになるのを極力避け、
無関心である人が多いと思う。
テレビも新聞も、ごく一部を除いて、学会問題を取り上げるメディアはなく、無関心でいれば、その情報が目に入ることも耳に届くこともない。

そういう社会の無関心の中で、創価学会は温存されているのかもしれない。

たった3ヶ月の間に、私は創価学会に関する問題が、日本の社会でいかに重要なものであるかを感じている。

「知らぬ存ぜぬ」で済まされる事ではない、と思う。
社会の一員の責任として、ひとりでも多くの人に、学会問題について考察を深めてほしいと思う。

完読後、重要だと思われる箇所は、随時紹介していこうと思う。

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posted by ミル1000 at 13:15| Comment(9) | TrackBack(0) | 書籍紹介

矢野絢也氏 逆転勝訴

昨年5月に創価学会を脱会した、矢野公明党元委員長の逆転勝訴は、創価学会にとって、そして社会にとっても大きな意味を持つ判決だった。
より多くの人に、この事件に、学会問題に関心を持ってほしいと思います。

週刊現代が逆転勝訴 公明党幹部の「メモ」持ち去り報道(朝日新聞)

公明党幹部だった元参院議員ら3人が、矢野絢也・元同党委員長の自宅から手帳を持ち去ったとの「週刊現代」の記事で名誉を傷つけられたとして、損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決が27日、東京高裁であった。

南敏文裁判長は3人が矢野氏を脅迫して手帳などを提出させた上、自宅に上がり込んでほかの資料も捜したと認定。
発行元の講談社などに計660万円の支払いを命じた一審・東京地裁判決を取り消し、3人の請求を棄却した。3人は即日上告した。

また判決は、反訴した矢野氏側の請求を認め、持ち去った手帳などを矢野氏に引き渡し、プライバシー侵害の慰謝料として計300万円を支払うよう3人に命じた。

訴えていた元幹部は、元参院議員の黒柳明氏と大川清幸氏、元衆院議員の伏木和雄氏の3人。
創価学会や同党に関する矢野氏の「極秘メモ」を持ち去ったとの同誌報道について「手帳を強奪した事実はない」と主張していた。

判決は、3人が05年5月、4回にわたり矢野氏の自宅を訪れ、要求を拒めば創価学会や公明党員が危害を加える恐れがあると脅迫していたと指摘。
矢野氏はやむなく手帳などを引き渡したが、3人はさらに矢野氏宅の本棚や引き出しなどを開けたと認めた。

3人は代理人弁護士を通じて「全く真実を無視した信じられない不当な判決。勝訴まで断固戦う」とのコメントを出した。

講談社は「記事の正当性を認めた極めて妥当な判決だ」とのコメントを出した。

矢野絢也氏:「手帳持ち去り」で逆転勝訴…東京高裁判決(毎日新聞)

矢野氏側が逆転勝訴、「手帳持ち去り」認める…東京高裁(読売新聞)

28日の聖教新聞にも、小記事ながら「不当判決」として掲載されている。


矢野氏は、2008年5月、名誉毀損で創価学会を提訴している。

2008-6 特集/矢野絢也元公明党委員長が造反(FORUM21)

矢野絢也 元公明党委員長が創価学会を提訴(YouTube)
posted by ミル1000 at 12:34| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

2009年04月02日

学会役員サンに会う (3)

昨日、Aさんに、長時間お付き合い頂いたお礼のメールを送った。
お礼にかこつけて、こんな事を書いた。

 最終的には【まる】(彼)個人の責任ですが、彼の様な人間は、
 学会にとって、ある意味いい駒なのでしょうね。
 Aさんにとっても、実際問題そうなのかもしれない、と思います。

Aさんに「彼を利用していないか?」と、今一度問いかけたつもりだ。

Aさんの返信には

 言葉ではなく、行動として正しいのかどうか、
 常に問いながら進んで行きたいと思います。

と書かれてあった。

どんなに小さな声でもいいと思う。
変わろうとする強い意志は、必ず組織の中に根付いていくと思う。
巨大な組織に、ひとりの力は及ばないかもしれないが、
それは決して「無」ではない。
  
posted by ミル1000 at 14:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 学会訪問記録